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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第1部.発症と出会い 1-19.長期入院へ

 あと数日でT老人病院から2回目の退院をしなければならなくなった1997年3月初旬、健次はK老人病院へ電話を掛けてチヨの入院に関して問い合わせてみた。ある程度の期間は待たないと仕方ないと思ってはいたものの、対応してくれた大野から、現状では待機期間が2年程度と告げられ愕然とした。しかし、5年半前の7月半ばにK老人病院で院長に診察していただいたこと、その際、入院について希望していたこと、さらに、何度も長男がK老人病院を訪れてチヨの病状等を報告してきたこと、以前は自分とチヨもK老人病院の所在地の住人であり、現在は娘がその家に住んでいること等を理由に挙げ、チヨの早期入院の検討を懇願した。すると、健次の勢いに押されたのか、K老人病院への入院申込書を提出しておいた方が良いとのアドバイスを引き出すことができた。


 T老人病院からの退院前日、健次はこの病院の医師に呼ばれ、退院後の対応についていくつかアドバイスを受けた。退院後もチヨには投薬が必要なので2週間毎に薬を取りに来ること、食事はお粥が良いこと、食べさせる際は気管に入らないよう注意すること、食物が喉を通るのを見届けてから次の食事を口に入れてあげること、退院後は訪問看護を依頼したほうが良いこと等であった。さらに、訪問看護センターとの打ち合わせのやり方までアドバイスしてくれた。

 退院の日、健次はチヨを迎えに行く前に、隣の市にあるM老人保健施設に行き、少し前に提出しておいた利用申込の結果を訊いた。月に2週間のショートステイということで受理されていたのを知り、胸を撫で下ろした。


 T老人病院から退院後の3月中旬、由美子は車で健次の家に行き、義父母を乗せてJRの最寄り駅まで走った。車を降りた健次は何度も由美子にお礼の言葉を述べながら改札口からホームに入り、一人でK老人病院に向かった。健次が戻るまでのチヨの世話は由美子の仕事になった。

 健次がK老人病院の受付で来院目的を告げると、いつも淳一が案内される小さな面談室に通され、そこで大野に教えてもらいながら入院申込を行なった。入院補償金、入院費、入院期限等について説明された後、『入院お申し込み受付書』が病院の印付きで発行されて漸く入院申込が正式に受理されたことになった。

 入院が許されたわけではなかったが、入院を前提にした大切な証書のように思った健次はとても嬉しく感じた。この紙切れ一枚を入手するまでに5年半もの長い期間が必要であったわけで、本当にようやく手に入れることができた貴重な受付書であった。


 それから数日後、M老人保健施設でのショートステイ入院が始まった。チヨはかなり身長が低い方だが、初めてT老人病院に入院した時の体重は45キログラムあった。しかし、この時点では35キログラムにまで減少していた。食事はお粥が主食で副食も刻み食の方が安全な状況ではあったものの、少し介助してあげればまだ自分で食べることはできた。

 その日の夕方、家に戻った健次のところにK老人病院の大野から電話があった。

「先日、当院にお越しくださった際、聖滝様から伺ったことを院長に報告致しまして、相談させていただきました」

「それは有難うございます」

「院長も聖滝様は確かに約5年半前に受診され、入院希望を表明されておられたとのことでございましたので、早期入院について検討してみることになりました。そこで、事前に確認させていただきたいのですが、今年の6月中に当院への受け入れを検討してみたいと思いますが、聖滝様はご希望なさいますでしょうか?」

「それは、それは。こちらとしましてはお願いできれば大変有難いことです」

「そうですか。ただしですね、入院する時点でチヨ様が体力を回復され、柵を乗り越えたり徘徊が始まったりするようになりますと、こちらと致しましては受け入れができなくなってしまいますので、ご了承しておいていただきたいのですが」

「現在のチヨの状況から考えますと、多分そういうことにはならないだろうと思います」

「そうですか。それでは6月が近づきましたら、またこちらからご連絡させていただきます」

「ご配慮、本当に有難うございます。どうかよろしくお願い致します」

 受話器を置いた健次は全身の力が抜け落ちていき、ふわふわと浮き上がるような感じがした。暫くしてから心の底から沸き上がる笑みが浮かんできた。


 3月後半と4月の半ばまでは、ホームヘルパーに頻繁に来てもらったり、訪問看護を受けたり、M老人保健施設でのショートステイ入院を行なったりして何とか凌いだ。4月の後半はS老人保健施設にショートステイ入院した。入院する日は土曜日であったので、淳一と由美子は父母の家に行って健次を手伝い、午前中には入院手続きを済ますことができた。翌日の日曜日も淳一はお昼より少し前に施設に見舞いに行った。健次は朝食後直ぐに来ていたようで、笑顔で迎えてくれた。チヨは眠そうな顔もせずに少しの間だけではあったが喜んだような表情を見せてくれた。

「事情を知らない人がちょっと見ただけでは痴呆があることに気づくことはないのであろうな」

 淳一はそう呟いた。そのうち昼食の時間となり、ナースエイドが来て、チヨの上半身を起こし、大きな黄色のエプロンを掛け、ベッドの上に細長い食事用のテーブルをはめ込んでお膳を置いた。促されたチヨは自分で食べ始めた。眼光はまだしっかりしているように見えたが、左手はほぼ完全に動かなくなっていて、右手でスプーンを持って口に運んだ。そのうちチヨは食事をしながらうとうとし始めた。

「母さん、起きて。まだ食事は終わっていないよ」

 淳一は優しくチヨに呼びかけると、チヨは驚いたような表情をした後、にこりと笑ってから再びスプーンを動かし始めた。


 6月下旬、K老人病院の大野から、入院日が7月4日金曜日に決定したという電話があった。入院時には、現在服用中の薬名、当時流行していた疥癬に罹っていないことの確認、MRSA感染症の有無についての記載を含むS老人保健施設からの紹介状をもらってきてほしいとのことであった。健次は飛び上がらんばかりに喜び、直ぐに淳一、真理、裕子、更には弟の泰蔵にまで電話して伝えた。

 健次は早速、S老人保健施設に電話して紹介状の件を依頼すると快く了解してくれ、T老人病院に連絡して調整した後記載するとのことであった。


 7月1日付けのK老人病院宛に出された診療情報提供書には以下のような記載があった。

『①傷病名:アルツハイマー型老年痴呆。

②紹介目的:転院。

③既往歴及び家族暦:白内障、その他特に疾患なし。夫。

④症状及び治療経過:1989年頃から痴呆。1992年7月貴院でアルツハイマー病の診断を受けています。夫と先生を誤認。夫の帰りが遅いと不機嫌。嫉妬・妄想を抱く。炊事などもできなくなり、夫が一切をやっていた。当院には1995年12月12日から1996年6月11日に第1回、同年9月12日から第2回の入院をしているが、1997年2月4日、病床ベッドから転落、左肩、左股部を打ち、TK整形外科を受診。X線で骨に異常はない。横になっていることが多くなった。その後3回に渡りショートステイ。外来では以下の処方。

⑤ADL及び検査結果:MRSA;マイナス、HBS抗原;マイナス。

⑥現在の処方:脳循環代謝改善薬、睡眠薬、脳代謝改善薬』


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