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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第1部.発症と出会い 1-16.チヨの初入院

 1995年12月中旬から翌年の6月中旬までの6ヶ月間、チヨは市内にあるT老人病院痴呆性老人精神科専門病棟にやっとのことで入院することができた。この病院は6ヵ月後には退院しなければならず、少なくともその後3ヶ月が経過しないと再入院することができなかった。それでも健次にとっては本当に心休まる期間となった。

 入院した週の土曜日、淳一は由美子と共に病院内の様子見を兼ねてチヨのお見舞いに行った。病院で落ち合う約束をしていた健次は先に到着していて少し気落ちしているような表情で出迎えてくれた。

「淳一、これを見てみろよ」

 健次は一枚の紙切れを淳一に見せてくれた。それには、入院する際に主治医の前でチヨが自分で書いた署名と生年月日の文字が並んでいた。まともに読めるものもあったが、文字の体裁をなしていないものの方が多かった。

「もう、字も満足に書けなくなってしまったんだよ」

 そう健次は悲しそうに言った。

 三人が病院に入り、患者たちが入れられている大部屋の様子を観察していると、チヨが物陰から部屋の中に入って来た。健次たちの存在を無視してただ前を向いて廊下に沿ってひたすら歩き続けていた。


 チヨが入院した後、健次は一人で生活していたが、結婚してからずっと家事一切をチヨに任せきりだった健次の生活ぶりは傍からは見ていられるものではなかった。淳一と由美子は頻繁に健次のところに二人で行ったり、どちらか一人で行ったりして炊事洗濯掃除を手伝ってあげた。つくばから遠く離れた所に住んでいた真理や裕子も忙しいにも拘らず、長時間電車に乗って健次の家に顔を出し、あれこれ細かく父の面倒を看てあげた。


 最初の入院から4ヶ月が過ぎた4月中旬の土曜日、チヨが入っていたT老人病院で退院間近の入院患者の家族を対象とした説明会が開催された。この病院から退院させられた後、引き受けてくれそうな施設を見つけなければならない出席者たちは真剣な表情でメモを取りながら聞いた。

 県内ばかりでなく他県も含めた特別養護老人ホーム、老人保健施設、老人病院等に関して、利用できる対象者、利用料、入所可能な期間等に関する情報を詳細に説明してくれた。施設や病院の情報について実名で具体的に教えてもらうことができたので、健次はその後数週間かけてチヨを次に引き受けてくれる施設探しを必死で行なった。

 結局、健次はT老人病院の隣にある同系列のS老人保健施設に『入所・ショートステイ利用申込書』を提出することにした。

 この申込書には、申込時点での日常生活行動調査表も記入することが求められていたので、随分細かいことまで記載した。チヨの当時の状態がよく分かる内容であった。


『聖滝チヨ、71歳。人や物の動きが見えにくい。眼鏡はあまり使用しない。聴力は普通に聞こえる。自分で起き、座っていられる。自分で立っていられる。自分で歩ける。補助具は持っていない。箸、スプーンで食べられる。コップで水が飲める。義歯をいつも使う。自分でトイレに行ける。おむつは、家では夜間のみ使用し、入院時は昼・夜とも使用する。入浴には一部介助を要する。洗面は自分でしたり、一部介助したりしている。一般的挨拶は普通にできる。自分の意思表示については大体できるが話が理解し難い。話す内容は辻褄が合わない。他人から話された場合、理解することができない。徘徊はする。麻痺はない。褥そうはない』。


 健次はS老人保健施設に利用申込書を提出した後、東京郊外にあるK老人病院におけるチヨの入院待ち状況が気になり出した。自分で現地に出かけ、実情を訊きたいところではあったが、次の入院準備もあり迷っていた。淳一は由美子からその話を聞き、その役を買って出た。


 その年の4月下旬、淳一がK老人病院に着いたのは午後2時を過ぎていた。受付で事情を話すと、今回も大野優子が対応してくれた。

 小さな面談室で淳一はチヨと健次の現状を詳細に伝えた。淳一の話が終わると大野が話し始めた。

「聖滝チヨ様と配偶者の健次様のその後の状況は本当によく分かりました。大変な状況であると思いますので、私は心が痛みます。そんな苦しい状況の聖滝様に対して、こんなことをお話しするのは大変申し訳ないのですが、この病院の実情を申し上げます。この病院への入院を希望され、順番をお待ちになっておられる方々はまだ数百人もいらっしゃるのです。そのほとんどの方はご自分で歩くことができなくなっておられますし、ご自分の身の回りのこともほぼできなくなってしまわれた方も沢山おられるのです。本当にご家族の皆様はお困りになっておられます。

 私たちと致しましてもできるだけ早く皆様のご希望を叶えて、直ぐにでも入院していただきたいのは山々なのですが、病院で収容可能な空ベッドは皆無の状況です。空きができた時に順番に入院していただくしかないのです」

「まだそんなに沢山の方が入院待ちの状況なのですか……」

 淳一はK老人病院の現状を聞いてかなり落胆したが、気を取り直して次の質問をした。


「入院できる順番はどのように決められているのですか? 先に申し込んだ人から順次入院できるのでしょうか?」

「本当はそうできれば公平で良いのでしょうが、患者様の中には一刻を争うような状況の方もかなりおられるのです。そのため、病院内で会議を行なって、お引き受けするおおよその順番を決めているのです。その際、入院を希望された日付と、患者様の病状とが考慮される大きな要因となります」

「母の場合はどのようになっているのでしょうか?」

「聖滝チヨ様は1992年7月21日に当院の院長による初診を受けられ、その際入院を希望されておられますので、それから4年が経過したことになります。従いましてお待ちいただいている期間としては平均よりは長くなっております。後は病気の進行状況を勘案して決めることになるかと思います」

「そうすると、私の母の場合、入院はいつ頃になると考えておけばよろしいでしょうか?」

「先ほどご説明致しましたような状況でございますので、現時点では正確な入院期日を申し上げる状況にはございません。ただ、聖滝様が本日来院され、大変お困りになっておられる現状をお話になられたことはきちんと院長にお伝え致しまして、できる限りご希望に沿うように致したいと思います。どうかご理解いただきますようお願い申し上げます」

「そうですか……」

 淳一にはそれ以上の質問をすることが出来なかった。


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