第1部.発症と出会い 1-9.結婚式と法事
その後も健次は時々子供たちの助けを借りながら自分一人でチヨの面倒を看ていた。1994年7月の日曜日、健次の妹である木崎寛子の長女の結婚式が生家の近くの式場で行なわれることになった。健次には戦死してしまった兄1人と2人の弟と4人の妹がいた。直ぐ下の弟の泰蔵だけはつくば市に住んだが、他の弟と妹たちは東京郊外の生家の比較的近くに住み続けていた。聖滝家の健次の代の兄弟姉妹は、その子供たちの結婚式には配偶者と共に必ず出席することが暗黙の了解事項となっていたため、健次とチヨは式の前日から裕子が住んでいる生家に行って泊めてもらった。
自分のこともなかなか思うようにはできなくなってきたチヨのことを心配していた淳一は、出席することにはなっていなかったが、式当日の朝、つくばから車を走らせて裕子の家に顔を出した。案の定、数人掛かりでチヨに着物を着せようと大騒ぎしていた。
「おお、淳一か。俺一人ではチヨに着物を着せることができないので政江さんにお願いしたんだよ」
政江とは泰蔵の下の弟である邦雄の妻で、生家の最も近くに住んでいたため何かと皆から頼りにされていた。
「政江叔母さん、お忙しいのに有難うございます」
淳一がお礼を言うと、政江はチラリと淳一の方を向いて会釈しただけで、それどころではないとでも言いたげにチヨの着付けに専念した。政江と一緒にやって来て簡単なことは手伝っていた邦雄がにこやかな顔で淳一に言った。
「義姉さんだけじゃ着付けは無理だと思って、俺たちは早めに支度してここに来てみたんだ。良かったよ、そうして」
「そうだったんですか。いつも本当に有難うございます」
普段着でもそう簡単には着られなくなってきていたチヨに留袖をきちんと着せるのは嫌になる程大変な作業であった。着付けをさせている人たちも思うように進めることができなかったが、チヨには自分が式服を着なければならない理由が理解できている訳ではなかったようで、当人にとってもできれば逃れたい作業であった。
淳一も加わって四人掛かりでようやく帯を締めるのが終わった時は、式場に出掛ける時間が迫っていた。淳一は両親と邦雄夫妻とを車に乗せ、式場まで送っていった。
披露宴でのチヨの言動は健次が心配していたものとは異なり、随分と晴れやかな表情で会場の雰囲気に溶け込み、大きな問題を起こすことはなかった。『結婚式のお目出度く華やかな雰囲気に浸ったことでチヨの気持ちも同じようなものになったのであろう』と健次は思った。
その年の晩秋、健次はつくばから東京郊外の生家に出向き、健次たちの父である藤太郎の法事を取り仕切った。健次たちの代の兄弟姉妹とその配偶者、さらには淳一や由美子たちのような孫たちの代も都合が付く者が出席して結構な人数で執り行われた。
お寺での読経とその後の墓参りを滞りなく済ませ、法事でいつも使っている割烹店でお斎と呼ばれる会食を行なった。孫たちの中には藤太郎の顔も覚えていない人もいる状況であったため、随分と賑やかな会となった。チヨはそんな雰囲気は嫌いではなかったようで、皆と一緒に笑顔で楽しそうにしていた。
法事は故人を懐かしむのが趣旨であるが、普段の生活ではなかなか会うことがない親族がお互いの現状を確かめ合う非常に良い機会を与えてくれる。
木崎寛子の長女の結婚式の時にチヨが世話になった邦雄夫妻の息子の祐二が、健次の姿を見つけてビール瓶を持ってやって来た。健次のグラスに注ぎ、お互いの近況について情報交換した後、気を利かした祐二はチヨにも言葉を掛けてくれた。
「チヨ伯母さんもお元気そうですね」
「はい、お蔭さまで。あなたもとっても若々しいわ」
祐二はチヨの思いもかけない褒め言葉に照れ笑いを浮かべながら他の出席者との情報交換に向けてその場を離れていった。
そのやり取りを傍で聞いていた健次は、『祐二はチヨの病状についてはそれ程酷いものではない、と感じたんだろうな』と思い、大きな溜息をついた。




