ある少女の回顧録
私が小さい頃、私の世界は自室と、たまに連れ出される謁見の間だけだった。
銀ともいえない、灰色のくすんだ髪。そのあたりに転がる石がはめ込まれたような瞳。
視力も弱く、すりガラス越しに見ているようにぼんやりとした視界。
美を何よりも尊ぶこの国では、私の容姿は忌避すべきもの。
メイドですら私を視界に入れないようにしていた。
しかし、異質さも際立つと狂信的な人間を引き付けてしまうようだった。
いつしか私の世話係は、私を嫌悪しない――むしろ神格化するような人間で固められていた。
いい意味ではなく「こんな異質なモノは人間じゃない、神が遣わしたものだ!」と信じ込んでいるようだった。だからこそ、私が「人間」らしいことをすると嫌がった。
……特に、排泄を。
「お手洗いにいきたい」などと言おうものなら、ヒステリックに「必要ありません!」と叫ばれてしまう。
そこで、勉強以外の時間はできるだけ寝て過ごし、最小限の飲食しかしなくなった。
深夜、メイドに見つからないようにお手洗いに行く。
誰の手も借りず行ける唯一の外出先がお手洗いとは、情けなくなる。
成長のため体は栄養を欲するはずだが、「食べてはいけない」という強迫観念のおかげか体も慣れてしまった。それが幸せとは思わなかったけど、助かったと思ったのは確か。
そんな、なんのために生きているか分からないような生活を送っていた。
転機は7歳。姉の18歳の誕生日と成人祝いを兼ねて作らせた色とりどりのローズガーデン。
そのお披露目に、国内外から招待客を集めパーティを開いた。
姉主催のお茶会も開かれたため、外交官の子女も同時に招かれていた。
たとえ王家の恥だとしても、公的に皇女として発表されている身としてはお茶会の欠席などできない。
いつものように、姉の視界に入らない席でうつむきながらティーカップを見つめる。
だれも私を気にしない。
とても良い匂いの紅茶。甘い香りの赤いものがのったタルト。
視界が悪い分発達した嗅覚が、私の食欲を刺激する。
とってもおいしそう!
……ダメ。食べたら、お手洗いに行きたくなってしまう。
でも……と未練がましくケーキを見つめていると、さっと影が差した。
「イチゴ、嫌いなの?」
柔らかい、かわいい声。
パッと声が聞こえた方向を向く。
誰も近寄らない私のテーブルに、いつの間にか誰かが座っていた。
「イチゴが嫌いなら、このマカロンも美味しいよ」
今まで自分に話しかけてくる人なんていなかったから、本当に私に話しかけてくれたのかわからず、とまどってしまう。
「あっ、名乗らずにごめんなさい!私はエンディア国外交大使の娘、シェリス=コルベインと申します。急に話しかけてごめんなさい……。ここにきた時、どうしてもあなたとお話をしたくなったの。お友達を作るには、一緒にお菓子を食べてお話しするのが一番って本に書いてあって。良ければお友達になってくれませんかっ?」
悪意に慣れていたからこそわかる、純粋なる善意。
こんなに端に座っている私が王女なんて思いもしないのだろう。
だからこそ嬉しい。
そして彼女は友達になりたいと言った!
想像の中の存在でしかなかった、お友達!
嬉しい!嬉しい!!嬉しい!!!
ああ、でもせっかくのお友達の顔も、はっきりと見えない。
そんなの嫌、どうにかしたいーー!
その瞬間。文字通り世界が変わった。
一気に視界が開ける。
霧が晴れるようにぼんやりとした視界はきちんと焦点を結び、目の前の少女をしっかりと認識する。
はっきりした視界で見た、シェリーはとても可愛かった。
私の姿を見てまんまるになった茶色の瞳がいまでも脳裏に焼き付いている。
それ以来、私の一番好きな色は茶色だ。
何よりも温かく、優しい色。
周りを見れば、唖然とした表情で私を見る令嬢たち。
あの一瞬のあと、蛹が蝶に変わるかのように、私の容姿は美しく生まれ変わった。
私は知らなかったが、本来の姿を隠すというイタズラを妖精がすることがあるらしい。
とはいえ、おとぎ話のような「誰もが知っているけれど、本当に起こるとは思っていない」出来事だったようだ。
なぜ姿が戻ったかは分からないけれど、あの時の状況を考えると、今の自分を変えたいという強い思いのせいではないかと考えている。
それから、私の扱いは大きく変わった。
私をさげすんでいたメイドはこぞって私の世話を焼きたがり、顔ぶれは一新された。
両親も、兄弟も、私を大切にしだし、いろんな所へ連れまわしだした。
――まるでアクセサリーのようね。
欲しかった愛情を向けられても、どうでもいい。
物を贈られても煩わしい。
餓死をしかけているときにもらうお菓子と、お腹がいっぱいで吐きそうなときにもらうお菓子。同じものでも価値は全く違う。
ひとりぼっちで、辛いときにやさしくしてくれたのはシェリーだけ。
私が大切なのはシェリーだけ。
彼女のためならなんだってやる。
彼女の近くにいられるなら、どんな手段だっていとわない。
シェリーと頻繁に交流を持てると思い承諾したアレックス王子との婚約。
なのに。
いらないわ。シェリーを傷つける存在なんて。
ビリッ
いらないわ。婚約者のいる相手を狙う女の兄なんて。
ビリッ
「さて、どうしてくれましょう?」
“シェリスが婚約者に婚約解消されました”
千々に千切った手紙を馬車の窓から投げ捨てる。
「いらないものは捨てる。それだけよね」