氷の美女に婚約者を奪われた私の話
婚約者のショーンが出征先から氷の美女を連れ帰ったのは、先月のこと。
ショーンは伯爵家の嫡男で、騎士団の分団長を務めている。
家柄実力ともに申し分なく、堂々とした風貌で実直な性格だ。
そんなショーンをフィアンセの私も誇りに思っている。
しかし近頃のショーンは私を憂えさせる。
原因は先述の『氷の美女』にある。
氷像のように美しく、態度の冷たい女性という比喩ではない。
彼女は実際に氷像で、ゆえにとても冷たい。
「やあ、調子はどう?」
私の職場である王立魔法研究所に、ショーンは頻繁に顔を出す。
ここに保管されている、件の彼女のことが気にかかって仕方ないからだ。
私のご機嫌伺いという体裁で、実際のところは彼女に会いたくて来ているのがバレバレだ。
今日もひとしきり彼女を眺めたあと、進捗状況を尋ねて帰って行った。
「フィアンセ殿は毎日ご熱心ですね。出征でしばらく離れていた反動ですか?」
ショーンを見送って研究室に戻ると、同僚のエイベルが声をかけてきた。
肉体派のショーンとは対照的な、頭脳派の研究員で、私と同じく氷の美女の担当者だ。
彼女にかけられている『氷結の魔法』について共に研究している。
「私に会いに来てるんじゃないわ。氷の美女のことが気になって仕方ないみたい」
ため息混じりに答えた。
「ああ、それは確かに気になりますよね。彼女を持ち帰った本人ですもんね。責任者的な感じで」
エイベルはそう解釈したが、本当に責任感だけだろうか?
彼女を見つめるショーンの瞳は熱い。熱情を帯びている。そしてどこか悲しげで、切羽詰まったものを感じさせる。
しかも日に日に、その度合いは増しているように思える。
あれは恋をしている目だ。
叶わぬ恋に焦れている表情だ。
ショーンは私を急かした。
彼女にかけられた悪い魔法はまだ解けないのか、早く彼女を助けてくれと。
氷漬けにされたままどれほど長い期間放置されていたのだろうか、しかもあんな薄着で寒そうだ、可哀想だと。
泣きそうな顔をして訴えるショーンを前に、私は寒々とした気持ちでのらりくらりと言い訳をした。
彼女にかけられた魔法はとても強力で解析に時間がかかり、魔法を解くと何らかの副作用が出るかもしれないため、慎重に進めたいという研究所の方針は嘘ではない。
ただショーンや皆と違って、私はできることなら彼女を助けたくないと思っている。
ショーンを取られたくないからだ。
彼女の魔法が解け、氷漬けの人形でなくなったら。生身の女として動き出し、自分を助けてくれたショーンに感謝して、とびきりの笑顔を見せたなら――……ああ、ショーンの恋は叶ってしまう。
「私はひどい女だわ。ショーンを取られたくないから、彼女にずっとあのままでいて欲しいだなんて。嫉妬心から、そんな風に願ってしまうの」
元気のない私を気にかけ、話し相手になってくれたエイベルに打ち明けた。
エイベルは少し考える素振りをしたあと、「大丈夫ですよ」と自信ありげに答えた。
「彼女の魔法が解ければ、貴女の悩みもなくなります。彼が彼女のことを気にかけているのは、彼女があの状態だからです。生身の女に戻れば、なんてことはない普通の人間です。もう特別ではない。貴女は彼女以上に魅力的な女性ですから、自信と余裕を持って迎え撃てばいい。それだけのことです」
にっこりと笑うエイベルの言葉に、胸を撃たれた。
ショーンの気持ちが日増しに離れていくのをひしひしと感じ、己の心の醜さに絶望し、私はなんて無価値な人間なのだろうと落ち込んでいたのだ。
自信なんてない、余裕もない。だけどエイベルのこの信頼に応えられる人間でありたい。
エイベルの言う通りだ。正々堂々と向き合って戦おう。寝取られ上等、やれるもんならやってみろだ。
清々しい決意のもと、それからの私は氷の美女の魔法を解くという使命に心血を注いだ。
その甲斐あって、ついに彼女の魔法は解けた。国王や大臣、騎士団長――そしてショーンも見守る中、氷の美女は体温を取り戻した。
長い冬が明け、固い雪が解けて春の芽吹きを感じさせるような、軽やかな空気が舞った。
それまで凍りついていた指先が動き、長い睫毛が震え、色を取り戻した瞳が真っ直ぐに私の婚約者を捉え、2人の視線が絡み合うのを見たとき――ああ、やっぱり負けたと思った。
運命的な出会いというものには敵わない。
間もなくしてショーンから婚約破棄を言い渡された。
「あは、負けちゃった。せっかく応援してくれたのに、面目ないわ。運命的な出会いには太刀打ちできないものね」
仕事終わり、食事に誘ってくれたエイベルに強がりの笑みを見せた。
エイベルは私以上にやけ酒を煽り、見たことがないほど荒れていた。
「はあぁ何が運命の出会いやっちゅうねん。んなもん勘違いに決まっとるやろが。こんなええ女泣かして、幸せになれる思たら大間違いやぞ、地獄に落ちやがれ。ほんま見る目ないわ~、あのアホンダレ~」
どうやら酔うと出身地方の言葉が出るらしい。
普段の穏やかインテリジェンスなキャラはどこへ行ったのか。
「まあまあ、落ち着いて。婚約破棄の慰謝料はたっぷり頂いたし、意外と気持ちはスッキリしてるの。もちろん悔しいのは悔しいけどねー。見る目がなかったのは私ね」
荒ぶるエイベルをなだめると、はらはらと泣き出したのでさらに驚いた。
泣きながら何か口走っている。
「俺がっ、俺が幸せにしますから、絶対っ、見損なわんといてくださっ、ううっ」
泣き上戸か。酒癖が悪いのはいただけない。
3ヶ月後、ショーンが泣きついてきた。
元『氷の美女』ことシンディーとは別れたので復縁して欲しいとのこと。
何でもシンディーとは合わないらしい。
話を聞いて納得だ。
シンディーはお姫様でも貴族でもなく、外国の農家の娘だった。50年以上も氷漬けの魔法にかかっていたため、見た目年齢は若いが、実年齢はおばあちゃん。生きてきた環境も時代も違うため、どうも価値観が合わないらしい。
知ったこっちゃない。もう私には関係のない話だと一蹴したが、しつこく職場を訪ねてくるので困っていたら、エイベルが割り入ってくれた。
「私の婚約者に何の御用ですか? 業務外の事でしたらどうぞお引き取りを」
それを聞いたショーンが目を剥いた。
「こ、婚約者!? どういう事だ、私と別れてすぐに……以前からだな? 私と二股をかけていたのか!?」
エイベルの発言に呆気に取られていた私だが、この発言はさすがに聞き捨てならない。
「はぁあ? どの口が言うとんねんっ!」
思わず口を突いて出たのは、エイベルの出身地の方言だ。
酔うと方言になるエイベルから移ってしまったらしい。
この方言のインパクトは大きい。
信じられないものを見たというような目をして、ショーンは慌てて帰って行った。
ぶはっと吹き出す音が隣から聞こえた。
目を合わせると、こらえきれないというように爆笑された。
「ええ啖呵や。あかん、惚れ直した」
いつまでも笑っているのでじとりと睨むと、涙目で笑いやんだ。
「ねえ、さっきの……『私の婚約者』って、すぐバレるような嘘ついてまずいんじゃない?」
「んっと、あー……嘘じゃなくしたらいいんじゃないですかね?」
「え?」
「私と、結婚してくださいませんか。心から愛しています。生涯を貴女と共に過ごしたい」
真剣な顔をしたエイベルが、真っ直ぐに私の視線を捉えて言った。
私たちの運命的な出会いがいつだったのかすぐには思い出せないけれど、ああこの人が好きだなと心から思った。
エイベルを愛している。
すっと片膝をついたエイベルが、私に手を差し伸べた。見つめ合ったままその手を取った。
途端に歓声が沸き上がった。ぎょっとして周囲を見ると、外出から戻った所長や他の部屋の研究員たちがいつの間にやら集まっていて、満面の笑みで私たちに拍手を送っていた。