96 オレには挨拶無しなわけ?
ふ……っと、キリアンの視線が、エマの後ろに注がれた。
ニッと笑う。からかうように、見下すように。
ビクっとし、目を見張る。
ゆっくりと、チュチュと一緒に後ろを向く。
そこから見えたのは、静かに歩いてくるヴァルの姿だった。
目が据わっている。
どうしたんだろう……。
じっと固まっていると、歩いてきたヴァルに、腕を取られる。
「エマ、そろそろ行こう」
ヴァルの声は、あまりにも静かな声だった。
ヴァルが学園へ戻ろうとするので、そのままおずおずと、付いて行こうとした。
その時だった。
「ふうううん?」
大きな、他人を挑発するような声が、背後から聞こえた。
もちろんそれは、キリアンの声だ。
「オレには挨拶無しなわけ?」
ヴァルは、立ち止まることもせず、エマを連れて、学園へと歩を進める。
2、3歩歩いた、その瞬間。
ヴァルは、エマの腕を離すと、短剣を取り出し、地面へしゃがんだ。
ブン……。
ヴァルの頭があった場所で、風を切る音と共に、大きな剣が通っていく。
ヴァルがその場で飛び上がり、キリアンが地面へ踏み込む。
ヴァルが落ちてくる丁度その場所へ、大剣を天に向けた。
「パパ!?」
チュチュが叫ぶ。
エマは後ろへ飛び退った。
何!?何が起こってるの!?
一瞬、娘の声に躊躇したキリアンの大剣の上に、ヴァルが着地する。
キリアンが持ったままの大剣の上で、ヴァルが踏み込んだので、剣先が下へ沈み込む。
ヴァルはそのまま腕を振り上げ、キリアンの顔を、バチン!と平手で叩いた。
「痛……っ」
大剣を地面へ突き立て、キリアンが顔を押さえ呻く。
魔術を……使わなかった……?
「パパ!?何してるの!?」
チュチュがキリアンを助け起こしに行く。
エマが、ヴァルとキリアンの間に割って入ると、ヴァルを庇うように立ち、キリアンを睨みつけた。
「どういうつもりなんですか!?」
「あー…………」
キリアンが立ち上がり、頭に手を乗せ、面白がるような顔をした。
「違うんだ!」
言いながら、突き立てられた大剣からじりじりと離れていく。
降参の態度で手のひらをこちらに向けている。びっくりしたチュチュまで同じポーズになってしまっていた。
「…………」
エマは、警戒を解くことなく、キリアンをじっと見つめる。
キリアンは、エマを回り込むようにして、そのままヴァルの方へ近付いていく。
ヴァルは、冷めた目でキリアンを見ながら、ため息をついた。
キリアンは、ヴァルのところまで辿り着くと、ヴァルの腕を取って、腕を組む形になる。
「友達なんだ」
エマに真剣な顔を向けた。
それを聞いたヴァルが、心底嫌そうに腕を振り解こうとした。
キリアンがヴァルの腕を引っ張ったのは、その一瞬のことだった。
キリアンが、ヴァルの頬に自分の唇を押し当てた。
エマに向き直ると、「ほら!」と言いながら、にこっと笑顔を作った。
なっ…………!?
なあああああああああああああ!!!!!
ヴァルが、本格的に嫌そうにしてキリアンを振り解くのが見えた。
エマの目にみるみる涙が溜まっていく。
キリアンの目の前に、大きな、赤い宝玉が付いた杖が振り下ろされた。
いつの間にかそこまで来ていたシエロが、
「騎士団長くんにはもうお帰り願おうかな」
と、にっこりした笑顔で言う。
慌てたチュチュがキリアンを引っ張って行く。
「うちの父がお騒がせしましたああああ」
小さな馬車の手前で、キリアンが立ち止まる。
「お前、早く表に出てこいよ」
ヴァルを睨みつけるように、見下すように見る。
ヴァルは、そんなキリアンに、
「お前に必要とされるのも悪くないな」
と、静かに言った。
エマはただ、その姿を何も言わずに見ていた。
チュチュのママであるキリアンの奥様は、キリアンとは幼なじみです。




