145 大魔術師のあの日の話(1)
魔術師の塔の自室の窓から、大魔術師は空を眺めていた。
明かり一つつけてはいない部屋の中では、ふわりと光を放つものがゆるゆると飛んでいる。
ジークの魂だ。
精霊との契約により、大魔術師には、死んだ人間の魂を見ることができた。
悩み事は隅に押しやるかのように、そちらを見ないようにしていた。
もう、ジークの魂は、それほど言葉を交わすこともできない。今も、眠ったように沈黙している。
そろそろ解放してやらなくては、このまま消滅してしまうだろう。
そんな大魔術師の顔の側を、ふわっとした光が、通り過ぎた。
誰かの魂。
けれど、なぜ?こんな所に。
ふと見ると、10代後半の少女の魂だった。死んだばかりの。
死んだばかりなら、言葉を交わすこともできるだろう。
「……どちら様かな?」
その魂に問いかけてみる。
すると、声とも思えぬ、けれど大魔術師には理解できる声で、魂は応えた。
『えま。神崎、えま』
ずっと泣いているような、くぐもった声。
「…………」
大魔術師は、驚愕した。
「そんなまさか…………。えまさんか?」
神崎えま。
大魔術師には、その名前に聞き覚えがあった。
自分が作っているゲーム『メモアーレン』の、グッズをいつも買ってくれる人の名。いつだって丁寧なメッセージを添えてくれる、ユーザーの名。
ジークのことが大好きなのだという想いが、いつだって文章から伝わってくる、その人。
『あなたは誰ですか?』
声を聞けばわかる。この魂は、泣いている。
「マルーじゃ……。マループロジェクトの」
『……!じゃああなたが、サークル主様?』
「ああ……」
ああ、これで確定だ。
「なんということじゃ。お前さん……、お前さんまで、死んでしまうとは」
『…………いいんです。私の人生なんて。ジークが………、いないなら…………』
「おお……。まさかそれで……。愛弟子ジークに続いて、お前さんまで死んでしまうとは……」
なんということをしてしまったのか。
『ジークは……、ジークは……、本当に存在しているんですか』
「ああ…………」
『けど、死んでしまった…………?』
「その通りだ」
魂が、泣いている。
「一つだけ、考えていたことがある」
大魔術師は、静かに口を開いた。
「記憶を持ったまま、転生する方法がある」
『転生?生まれ変わる?』
「そうじゃ。記憶をそのままに。名前をそのままに。姿をそのままに」
『ジークは……、死なないで済む……?』
「いいや、“死”は、“死”だ。時間を巻き戻すことはできない。この大魔術師であろうともな」
大魔術師の声は沈んでいる。
「迷っているんじゃ。生まれ直すということは、また人生を最初から始めるということだ。ゼロからの成長のやり直し。……生まれ直したところで、先を行く仲間たちの中に、また同じように並ぶことはできないじゃろう」
『…………』
大魔術師は、暗い部屋の中を揺蕩うジークの魂に目をやった。
「それはどれほどの苦しみだろうか。より一層の苦労を、強いることにはならないか。本人が望んでもいないものを」
時間の精霊はいません。
精霊は自然界のものに宿るのであり、時間という概念には宿らないというのが通説です。