116 エマ・クレスト誘拐事件(1)
「誰にも相談せず、一人で来ること」
え???
何これ???
何か盗まれた覚えはないけど。でも。
もし、ヴァルに関係することなら……。
また、狙われるようなことがあるなら、行かないわけにはいかない。
少し悩んだけれど、馬車に行ってみることにした。
すぐにいつもの服に着替える。
そして、こっそりと一人、屋敷を出た。
正門前には、確かに、木製の質素な箱馬車が止まっていた。どこかから借りてきた馬車のようだ。御者も乗ってはいたけれど、顔は見えなかった。
ドアが開いている。
「……誰か、いるの?」
ドアに手をかけた途端、腕が引っ張られる。
「きゃっ」
馬車に引きずりこまれ、声を上げる間もなく馬車は走り出した。
「…………」
床にへたり込んだエマの両側から、二人の女性が見下ろしていた。
二人とも、ピンクの仮面を着けている。仮面舞踏会で使われそうな、目だけを隠すタイプのものだ。
「え…………?なんで……?」
エマは二人を知っていた。
エマの瞳が、じわじわと涙で埋まっていく。
「私の、大事なものって……?」
「ふふん。よくぞ聞いてくれました」
くるくるとした薄茶色のツインテールが揺れる。
仮面を外し、ドヤ顔でチュチュが叫んだ。
「エマ・クレスト、本人を、今誘拐しちゃいました!」
「わ、私……?」
呆気に取られているエマの腕を、もう一人の女性が引き上げ、隣に座らせてくれた。
「どうして……ここにいるの」
もう一人の女性が、仮面を外すと、エマの頭を撫でる。
「簡単なことはシエロ様からのお手紙で聞きました。引きこもってらしたみたいですね?お嬢様」
「マリア〜〜〜〜〜」
エマが泣き出す。
もう一人の女性は、クレスト家の使用人。エマを育ててくれたマリアだった。
エマが泣きながら、小さな声で話し出す。
窓の外には、明るい太陽が輝いている。
「前に……好きな人がいるって、言ってたでしょう?」
「うん」
「ジークヴァルト・シュバルツ、っていう人なんだけど」
「……え?」
聞いている二人が、少し、びっくりした顔をする。
「ジークヴァルトって……あの……学園長の弟子だった?」
「そう」
「翼竜を撃退したけれど、王太子様を庇って亡くなったというあの英雄のことですか?」
「……そう」
驚きながらも、二人は黙って聞いてくれていた。
「ヴァルがね……、その人の生まれ変わりだったの」
「…………ん?生まれ変わり……?」
「そう」
流石に二人も、そこのところは納得するのが難しかったらしい。
魔術なんていうものがある世界でも、生まれ変わりなんてものは普通は存在しない。
「記憶とか、持ってるってこと?」
「……記憶も持ってるし、顔もそのままだし、……死んだ人がそのまま、また生まれてきた感じ」
「ふ〜む」
チュチュが腕組みをして、考えるポーズをした。
「……好きな人が好きな人で、一石二鳥って感じ?」
そのチュチュの言葉に、マリアが反応した。
「あら、お嬢様、ヴァル様と……恋人関係なんですか?」
「ち、違うの!恋人とかそういう感じじゃないの!」
「仲良しなんだよねぇ」
そう言うチュチュは、ニヤついている。
「あらぁ」
マリアもちょっと嬉しそうだ。
「それで、なんでそんなに逃げ回ってるの?」
「ちょっと前にね、ヴァルに向かって、『ジークが大好き』ってめちゃくちゃ泣きながら語っちゃったことあって……。今までも、散々言っちゃってたし。知らないうちに毎日告白してたみたいなことに……。普通だったら嫌がらせなくらい……」
「あー……」
二人から納得のため息が漏れる。
お久しぶりのマリアさん。30代ですよね。子爵邸でのんびりした日常を送っております。