大切な人
アーシャは疲れていました。ここのところ全く寝ていなかったんです。早朝から揚げ物屋のパート。昼からコンビニのバイト。そして夜中まで工場の商品の仕分けをしました。でも、アーシャにはそうするしかなかったんです。アーシャは、父親の借金を返さないといけませんから。子供の世話も、ろくにできませんでした。子供の面倒は母親が見ます。旦那さんも働いていて頼みざるを得ませんでした。アーシャはこの生活が嫌で嫌で仕方がありませんでした。仕事は疲れるし、イライラするし、子供とのコミュニケーションが取れません。この生活にはいい加減、飽き飽きします。旦那さんもあまりいいひとではありませんでしたから、余計にイライラします。毎日、こんもりした少しジメジメのコッロケを食べます。残り物が食べれるだけましでしたがね。
「今から、仕事行ってくるわ。」
アーシャは靴を履きました。
「…。」
誰も返事をしないで、ただただ下の方を向いていました。アーシャは何も思いませんでした。
「こんにちは―。」
工場に着いても、誰も返事をしません。アーシャは何も思いませんでした。ただただ手だけを動かしました。仕分けはたいして面白くないものでした。でも、手を動かしました。だって、それが仕事だから。
「おい、みんな聞いてくれ。今日から新しく入った新人を紹介する。」
その新人は茶髪で、なんとなく色っぽいようでした。
「御影アゲハです。はじめまして。」
アゲハは、たちまち職場の人気者になりました。あっちこっちでちやほやされていましたので、アーシャはものすごく癪に障る女だと思っていました。
「アーシャさん、ここどうしたらいいんですか?良くわからなくて。」
アゲハの声は少し低くてまるで、男みたいでした。
「これは資料室に運ぶのよ。」
アーシャはアゲハとしゃべっても、なぜかなにも感じませんでした。あんなに癪に障るとイライラしていたのに。社長がアーシャとアゲハの名を呼びました。
「アーシャ、御影の指導者になってくれんか。」
どうして私がやんなきゃいけないのよ?とアーシャは思いました。でもグッとこらえて「先輩の方が良いのでは?」と聞きました。
「みんな忙しくてね、アーシャなら丁寧だし心配ない。」
アーシャは嫌だなぁと思っていました。アーシャはアゲハに関わるのが嫌で嫌で仕方ありません。でも、仕事なので仕方なしに引き受けました。
アゲハは顔が良い割になかなか仕事を覚えられません。ずっこけるし物を間違えるし、怒られっぱなしです。なのにアーシャは何も思いませんでした。
「アーシャ先輩、夜食食べませんか?、美味しいの知ってるんです。」
アゲハは段々とアーシャになつく様になりました。アーシャもなぜかアゲハといると楽しく思えてきました。アーシャはこんな気持ちになる事は、人生で初めてだったので少し、自分でもびっくりしました。アーシャにとってアゲハは大切な存在になっていたのです。
「御影ええ!ちょっと来い!」
社長がアゲハの名を呼びました。ひどく怒っているようです。
「御影!この前の仕分け、間違えたんじゃないか?大企業の方々だったんだぞ!どうせ、わざとやったんだろ!」
社長は間違えたのはアゲハだと決めつけて、ガミガミ叱ります。
「お前なんか、雇わなきゃよかったよ!」
この言葉が聞こえてきた時、アーシャの足は、真っ直ぐ前に向かっていました。
「私の力不足で申し訳ありません。しかしながら、社長もアゲハだと決めつけているのではないでしょうか。」
社長は、突然のアーシャの発言にひどく驚いた様子です。アゲハはじっとアーシャを見つめていました。
「私は、これまでのアゲハを指導をしてきましたが、ふざける様な真似をする人間ではありません。」
アーシャはどうして自分が今しゃべったのか分かりませんでした。前のアーシャなら、気にも留めなかったはずです。どうして、私は今この人をかばってるんだろう、そればかり考えていました。
「…すまない。つい、当たってしまった。」
社長はアーシャの言葉を聞いた後、深く頭を下げました。
「アーシャ先輩、ありがとうございます。かばってくれて。」
アゲハはニッコリ笑いました。アーシャには、その笑顔がとても眩しい朝日の様に見えて、照れくさくって下を向きました。
「別にあんたの為じゃない。」
アーシャはつい、そんな事を言ってしまいました。アゲハはそれでもニッコリ笑ってアーシャを見つめていました。アーシャもアゲハを見つめていました。アーシャにとって、アゲハが初めての友達でした。
二人は安心した様に笑うと、広い青空を見上げてただ、遠くまで歩いて行きました。大切な人を、見つめるように。