18、彷徨うリシュリア(side リシュリア)
リシュリアの人生は常に誰かに虐げられ、常に我慢を強いられるものだった。
母はリシュリアを産んですぐに産褥熱で亡くなったため、彼女は母親という存在を知らない。
父親は無関心で、利用できる時のみ彼女のことを利用した。
父親が女のリシュリアに期待することと言えば、良家に嫁ぐことくらいであり、リシュリアがどれほど頑張っても褒められたことはない。
誰からも必要とされず、常に孤独と隣り合わせだった。
腹違いの兄はいるが、彼は中央に住んでいるので、ほとんど会ったこともない。
魔導士としての能力は変わらないというのに、彼は母親が中央の高位貴族というだけで父親から目をかけられ、周囲からは次期領主として期待されている。
ある雨の日、リシュリアは父の部屋に呼ばれた。
「お前に縁談がある」
「縁談・・・ですか。わたくしはまだ魔導学校も出ていませんが・・」
シトシトと降る外を眺めながら、父は一つため息をついた。
「学校など行かなくてもよい。女は立派な男児を生み、家に尽くせばよいのだ」
「ですが・・・」
「話は終わりだ。部屋に戻りなさい」
父はリシュリアと目も合わさずに、手振りで出ていくよう促した。
縁談相手は三十も年上の中位貴族で、領主一族の彼女とは身分的にも釣り合わない。
リシュリアは彼の趣向に気づいていた。
何度もここに足を運び、気持ち悪い目でリシュリアのことを見つめていた。
彼が来たときはリシュリアは部屋に籠り、ドアに鍵をかけて絶対に部屋から出ないようにした。
リシュリアが彼を嫌っていることを父は知っているはずなのに、それなのにこの縁談を推し進めるということは、何か弱みでも握られたのだろうか。
父が清廉潔白な人間でないことを、リシュリアはよく知っている。
それからひと月ほどが過ぎた。
前回の人生では、この辺りで兄のレイヴァルトが出生に纏わる醜聞に巻き込まれて廃嫡となり、リシュリアに次期領主の座が巡ってきた。
そして縁談は破談になったはずなのに・・。
リシュリアの存在意義を奪ってきた兄がいなくなった日、彼女は悲しい顔を取り繕うのに必死だった。内心では喜び勇んで、外に駆け出していきたくて仕方がなかったというのに。
しかし今世では兄、レイヴァルトに関する醜聞は聞こえてもこない。
歴史が変わっている。
背筋がぞっとした。
前回の通りに進んでいない。レイヴァルトがいなくならなければ、彼女は一生、この家の影でしかないのだ。一体何が起こったというのか。
邪魔なレイヴァルトを前回通り排除しなければ、彼女の人生は父親に振り回されて、好きでもない男に嫁がされ、つまらない人生を送らなければいけなくなる。
歯を食いしばる。拳を握り過ぎて血が滲んできた。
窓枠を叩きつける雨が、ますます激しくなってきていた。
エターリアの首都郊外にあるロンド亭は、リシュリアが前世何度も足を運んだ場所である。
店に入り人目につかない端の席に腰を下ろす。
年齢よりも上に見られるリシュリアは、少し大人っぽい装いをすれば誰も子供だとは思わなかった。
ここには通称クロと呼ばれる、闇の魔導師達への依頼を取り次ぐための連絡係がいる。
前世、彼女は何度も彼らと交流を持ち、お互いに利用しあってもいた。今世ではこんなにも早く客として利用する事になるとは思ってもいなかったが。
「ブラッディー・ヘルをお願い」
店員に合言葉を伝える。了承ならば赤い実の入ったカクテルと鍵が置かれる筈だ。
「随分若いが、支払いは大丈夫かい?」
「ええ、こう見えてお金持ちなの」
首元の宝石の付いたネックレスを見せる。母の形見の品で数万リブルはする高級品だ。
「求められるのはそれだけじゃないかもしれないぜ。特に若い女はな」
「男を喜ばせる手管なら知ってるわよ」
言いながらペロリと下唇を舐めた。前世では何度も利用した手である。店員は納得したのかリシュリアに鍵を差し出す。
「二階の奥だ」
「ありがとう」とお礼を伝えて金貨を一枚置いた。カクテル一杯には多すぎる額だが、今後も利用することを考えると妥当な価格だ。
階段を上がると、あちこちの部屋から女の矯正が聞こえてきた。表には宿の看板が出ていたが、実際には連れ込み宿か娼館と化しているらしい。媚薬効果のあるマナの葉が焚かれていて香りが廊下まで漂っていた。
二階の奥にたどり着く。
鍵を持つ、手が震えていた。
自分にもこんな一面があったのかと、リシュリアは驚いた。
まだ未成熟な体に精神が引きずられるのかもしれない。
決して弱みを見せてはならない。
己の人生がかかっているのだ。失敗は許されない。
心を落ち着かせるために、一息ついた。
感情を押し殺し、平静さを取り戻す。
扉を開けると仮面をつけた男が立っていた。
「君が依頼者?随分若いな」
男は笑いながらリシュリアの顎に手をかけて、クィと上向かせた。
「ねんねちゃんはとっくにおねむの時間だぞ。おいたしてないで、おウチに帰りなさい」
わざとらしく子供言葉を使い、茶化してくる。リシュリアは馬鹿にされて腹が立った。
「そういうわけにはいかないのよ」
彼女が睨みつけると、男はリシュリアの頬をそのままスルリと撫でて、部屋の奥へ来るように促した。長椅子に二人で並んで腰をおろす。
「まずは依頼内容でしょ」
「ああ、でも時間はたっぷりとあるから、君の表情を曇らせている原因について、お兄さんがじっくりと聞いてあげようじゃないか」
仮面越しに彼の青い瞳がニヤリと笑った。
「俺の名前はヴェスパー、君の名は?こんな場所に何をしにきたのかな、貴族のお嬢さん」
「・・リア・・名前はリアよ。殺して欲しい男がいるの」
「殺人依頼は高くつくぜ」
そう言ってヴェスパーは面白そうにくっと笑った。