第百四十一話 フェル暇
ニューヨーク国連本部。
妖精の少女は、とても退屈していた。
「オッサンたち、話ながい……」
相棒のマルデア人は、地球の大人たちに囲まれて気難しい話をしている。
開発がどうの、運用がどうの……。フェルには「わけわからん」な話ばかりだった。
「リナ、ニホンいかないの?」
「今日はちょっと長くなるから、大人しくしてて」
袖を引っ張って催促しても、桃色髪の少女は面倒そうにあしらうのみ。
「ぐぬう……」
自由を好むフェルクルには、耐え難い事だった。
「こくれん、きらい!」
ゲームがある場所が好きで、難しい話をする場所は嫌い。
非常に単純な話であった。
彼女は羽を広げ、こっそりと会議室を出た。
すると、ドアの外にいた護衛の男が振り返る。
「おや、フェル様。どうなされたのですか? 料理をご所望なら、すぐお持ちしますが」
「ちょっち、遊んでくる!」
食いしん坊な妖精も、今は食べる気分ではないようだ。
彼女はブンブンと手を振って、空いた窓から外へ飛び出していく。
「フェル様!? ちょ、ちょっとまずいぞこれは」
慌てて無線機を取り出す護衛を後目に、妖精は青空へと舞い上がる。
「おお、でっけえ四角がいっぱい……」
ニューヨークは世界有数の都市であり、ビル街の眺めは正に壮観だ。
だが、妖精はやはり自然の多い場所を好む。
彼女は風に乗り、緑の見える西へと向かった。
------ニューヨーク郊外の少年。
放課後。
僕はいつものように、学校近くにあるトイ・ショップにいた。
「うわあ、凄い……」
今日は新商品の入荷があり、僕は新しいフィギュアに目を奪われていた。
大人気のヒーロー、リナ・マルデリタだ。
店内には、色んなコミックのヒーローたちが並ぶ。
でも僕は今、彼女に夢中だった。
一見普通の愛らしい少女にも見える彼女は、今やこの星で最高のスターだ。
「リアルヒーロー・リナのグッズは大人気だからね。
初回入荷分はもう一個しか残ってないよ」
店長が商品を説明しながら、僕に決断を迫る。
値段は少し高いけど、フィギュアの出来は良い。
流れる桃色の髪、シンプルな魔術印の入ったワンピース。
華奢できめ細やかな肌。
本物の彼女が忠実に再現されており、付属の妖精も可愛い。
この町一番のファンを自称する僕に、選択肢はなかった。
「おじさん。これ下さい」
「はいよ。四十ドルだ」
なけなしの十ドル札を四枚差し出すと、おじさんはニヤリと笑みを浮かべる。
「坊主、アルゼンチンの動画はもう見たかい?」
「もちろんです。彼女はまた地球に大きな歴史の一歩を刻みました」
店長も、熱心に彼女の情報を追いかけているらしい。
まあ、珍しくもない話だ。
レジを済ませた後も、おじさんは話を続けた。
「今朝は仕事でニューヨーク市内にいたから、リナが国連のビルに入る所を見ようと思ったんだがな。
大勢の護衛車に囲まれて、姿も見えやしなかったよ」
「そうですか……」
おじさんはやれやれと肩をすくめていた。
どうやら、リナを遠目に見る事すら簡単ではないらしい。
リナは、ちゃんと実在するヒーローだ。
毎月のように国連本部に来るから、今はそう遠くない場所にいる。
でも、やっぱり彼女は遠い世界の存在だ。
僕とは違う所に生きている。
だから、こうしてグッズを買って応援するくらいしか出来る事はない。
リナのキャラクター商品の利益は、その一部が地球環境改善のために使われる。
これは、彼女自身が契約の際に望んだ条件らしい。
商品のパッケージには、『リナと一緒に地球を救おう!』と書かれていた。
彼女はちゃんと、この星のためになる事を提言してくれる。
だから、リナのグッズを買う事にはちゃんと意味があるのだ。
僕が参加するネットの『ヒーロー・ファン・コミュニティ』でも、彼女の話題で持ち切りだ。
アルゼンチンの話題は、昨日散々バッツマン・マニアの青年と語り合った。
「リナはヒーローというよりも、優しき実業家と言うべきだろうね。
彼女自身は、災害と戦うようなスーパーパワーを持っているわけではない。
普段は経営者として働き、ゲームの利益を魔石に変えて人々を救っている。
つまり、やはり非常にリアルな存在なんだよ」
彼は得意げにそう語っていた。
確かに、リナの活躍はコミックのヒーローたちと比べても特殊だ。
彼女は毎週のように街に現れて人々の危機を救ったりはしない。
そのかわり、たまに魔石を使って大きな成果を見せてくれる。
国連と協力して事業のように地球改善を進める点も、やはり創作の中のヒーロー像とは全く違う。
でも、そんな彼女こそが本物のヒーローだ。
僕も大きくなったら、彼女のように会社を作って、利益を人々のために役立てたい。
そんなヒーローになら、きっと自分にだってなれる。
僕は買ったフィギュアを眺めながら、通りを西へ進んだ。
と、そこへ。
「よう、ケイルじゃん」
「お、何か持ってるぜこいつ」
声をかけてきたのは、学校の不良グループだ。
いかつい男女たちに囲まれた僕は、すぐに商品の箱を奪われてしまった。
「あ、これリナのやつじゃん」
「おいおい、女キャラの人形なんて買ってんのかよ」
彼らは、手にしたフィギュアを見下ろしてニヤニヤと笑う。
「か、返せよっ! 僕のだぞ!」
手を伸ばすと、アメフト部の男子が僕の胸をドンと押した。
「がっ……」
腕力で敵うはずもなく、僕は紙のように突き飛ばされてしまった。
地面に倒れた僕を見下ろし、男女が笑う。
「ケイルよお、女の子の人形に必死になるとかキモいぜ」
「きゃはは、ケイルってむっつりスケベだよねー」
同じ人間なのに、彼らはまるで悪魔のようだった。
「僕はリナをそんな目で見ちゃいない! 彼女は純粋なヒーローだ!」
腕を広げて叫ぶと、男子が僕の肩を足蹴にする。
「嘘つけよ、このむっつりスケベ」
「そうそう。どうせスカートの中とか見てんでしょ?」
「リナのために、俺らが預かっておいてやるぜ」
地面に尻餅をついた僕は、去って行くヤツらに何もできない。
ただ奪われていくリナを、呆然と見ているだけだった。
あの連中は、弱そうな生徒を見つけてはカツアゲして回ってる。
僕には、それを止める事もできない。
先生に告げ口したら、あとで袋叩きにされるからだ。
だから、怖くて何もできない。
そんな奴がヒーローになるなんて……、やっぱり無理なんだ。
僕はもう、辺りが真っ暗になった地べたにへたりこんでいた。
と、その時。
空から一筋の光が舞い降りてきた。
「あんた、何座っとるん?」
声をかけてきたのは、小さな小さな……。
「……、フェル?」
僕は、目を疑った。
ニューギニア島でリナと出会い、彼女の相棒となった妖精。
映像の中で何度も眺めた憧れの存在が、僕の目の前にいた。
「ほう。わちしの事、知っとる?」
首をかしげるアホっぽい感じは、フェルクルそのものだ。
「う、うん。誰だって知ってるよ」
「ふふん。フェル、有名人」
満足げに胸を張る妖精は、キラキラと輝きを放っている。
幻でも見ているんじゃないか。
そう思ったけど、やっぱり彼女は目の前にいる。
間違いなく本物だ。
いや、それこそおかしい。
「何で君がこんな所に? リ……、大使はどうしたんだい?」
「リナ、国連でハゲのオッサンとしょうもない話しとる。わちし、ヒマ」
不機嫌だと言わんばかりに頬を膨らませるフェル。
どうやら、リナは日程通り会議中らしい。
「しょ、しょうもなくはないよ。地球の未来を左右するような会議じゃないか……」
「知らん。それよりあんた、殴られた?」
フェルはそう言って、こちらの肘を見降ろす。
どうも彼女は、地球の未来より僕の怪我に興味があるらしい。
純真な瞳を前に誤魔化す事も出来ず、僕はさっきあった事を話してしまった。