第百三十九話 畑で
『壁の向こうへ』
私は教会の外壁をすり抜け、そのまま中の部屋に入って行く。
すると、酒瓶を持った教主がこちらに気づいたようだ。
「な、なんだお前?」
「どっから入ってきた!?」
驚く二人は、慌てたように立ち上がる。
私は教主の男を睨みつけた。
「今の話、すべて聞かせて頂きました。
市民を騙して集めたお金を、好き勝手に使って遊んでいるそうですね」
こちらの追及に、男の一人が舌打ちをする。
「ちっ、ガキが盗み聞きしやがって。それで、言いふらしてやるってか?」
「いえ、その程度では済みません。
あなた方にはこれまでのお布施を全て返却して、教団も解散してもらいます」
私が毅然と手を広げて見せると、二人は突然笑い出した。
「くっくっく。金なんてほとんど使っちまったよ。
嬢ちゃん、随分正義感が強いみてえだが。一人でこんな所に入って来ちゃ危険だぜ。おいガスト」
「おうよ。へへへ、随分可愛い娘じゃねえか。二度と口外できねえように、可愛がってやるぜ」
ニヤニヤと嫌らしい顔つきで、にじりよる男たち。
どうやら、物理的に私の口を塞ぐつもりらしい。
だが、相手が悪かった。
「停止」
手をかざして唱えると、二人の動きがビシリと止まった。
「なっ……、う、動けねえ!」
「ど、どうなってやがる……。体がっ……。ま、まさかお前……」
教主が私の顔を見つめ、眼を震わせる。
「ようやく気付きましたか」
私はそう言って、彼らの前でヘアバンドを外す。
すると、長い髪が桃色に変わっていく。
「なっ……、り、リナ・マルデリタ……」
「本物かよ……」
顔を青ざめさせる二人に、私は淡々と宣言する。
「私を利用して人を騙す行為は、さすがに看過できません。
とりあえず、今回分のお布施は回収させて頂きます。
あと、私を使った宗教活動をしないように国連にも頼んでおきますね」
「こ、国連……」
その単語に、二人は疲れたように膝をついていた。
さすがに、そこまでの組織を敵に回すとは思っていなかったのだろう。
彼らは抵抗もせず、今日のお布施を渡してくれた。
さて、これを警察に持ち込めばマルデリタ教は終わりだけど。
最後に、この町でやっておきたい事がある。
私はまた教会を出て、畑の道を南へと向かった。
桃色の髪は目立つので、後ろでまとめて帽子を被っておいた。
しばらく進むと、ぽつりと建った農家が見えてくる。
その家の傍に、一人座り込む少女の姿があった。
私は小麦畑を見つめる彼女に近づき、声をかけてみた。
「きみ、さっき教会にいた子だよね。どうしたの?」
すると、彼女は目線も上げず呟くように言った。
「おふせした事、みんなに話したの。そしたらお父さんが、『リナなんて来るわけない』って。
『大事なお金をドブに捨てるような事をするな』って、怒られちゃった」
「……」
どうやら、怪しい教団について行った事を叱られたらしい。
「やっぱり、リナは来ないのかな……」
悲しげな少女の頬は健康な色を失い、やせ細っていた。
「そうだね。あの人達にお金を払っても、きっと何も起きないよ」
「そっか……」
私が言った現実的な言葉に、彼女は落ち込むように顔を落とす。
「でもね。お金なんて払わなくても、君が困ってるのを見たら、ちゃんとリナは助けてくれるよ」
「ほんと?」
顔を上げて目を真ん丸にする少女に、私は大きく頷いて見せる。
「うん。見ててね」
小麦畑に向き直り、精神を集中させる。
『飛べ』
呪文の声と共に、私の体はフワリと空へ浮き上がる。
「う、うわっ! お姉ちゃんが……!」
少女は立ち上がり、口をあんぐりと開けてこちらを見上げている。
さて、願いはちゃんと叶えてあげないとね。
というのは多少建前で、一つやってみたい事があった。
妖精たちからもらった粉は、生命を豊かにする力がある。
フェルクルが田畑に住み着くと、痩せた土壌が回復し、作物の実りが良くなるとも言われている。
目の前に広がる畑は、その効果を試すのにちょうどいい広さだ。
「やっぱり、大地に元気がない」
フェルが下を眺めながら呟く。
不作の原因は明白のようだ。
私は輸送機から妖精の粉を取り出し、空から畑に撒いて回った。
すると、地上に見える土と小麦がキラキラと輝き始める。
「な、なんだっ、畑が光り出したぞ!」
「何があったの?」
農家の人たちも、異変に気付いたらしい。
次々に家から飛び出し、その様子を眺めていた。
「お父さん、リナだよ! リナが来てくれたの!」
「何?」
「ほら、空を見て!」
少女がこちらを指さすと、大人たちが私を見上げる。
「おおっ、桃色の髪が!」
「本物なの……?」
どうやら、みんなに気づかれたみたいだ。
私は構わず、畑の端まで粉を落としていく。
すると、しおれていた小麦がリンと立ち、豊かな色を手に入れていく。
その輝きはどんどん広がり、畑全体が色鮮やかに染まっていく。
「おお、畑が実っていく!」
「奇跡だわっ!」
「リナ・マルデリタの魔法だ!」
大人たちは畑に飛び込み、手を取り合って喜んでいた。
ちゃんと効果があったみたいだね。
土地そのものの栄養分も回復したはずだから、これで不作は解消されるはずだ。
作業を終えて、私は地上へと降りていく。
すると、農民たちがまた騒ぎ出す。
「大使が降臨されるぞ!」
「おお、神よ……」
なんかひざまづいて祈っている人もいる。
ちょっと大げさだけど、ここは気にしないでおこう。
地面に足をつけると、少女が飛び上がって抱き着いて来た。
「リナお姉ちゃん、ありがとう! 来てくれたんだ!」
「うん、まあ、たまたまだけどね」
苦笑いする私の周囲に、農家の人々が集まって来る。
「痩せこけていた畑が、まるで元気を取り戻したようだ」
「マルデアの女神に感謝を……」
彼らはうやうやしく頭を下げ、祈るように手を合わせていた。
こういう事をすると、やっぱり神っぽく扱われてしまうよね……。
「これで土が栄養いっぱいになったと思うので、しばらくは豊作になると思います」
周囲に説明すると、彼らは驚いて顔を上げる。
「そ、それは凄い」
「何とありがたい事だ……」
と、後ろから慌てて女性たちがやってくる。
「大したものではありませんが、これをお納めください」
どうやら、果物を差し出そうとしているようだ。
なんかここだけ縄文時代のお話みたいになってるね……。
「いいんです。それはみなさんが食べて下さい。
きみも、変な人にお金を渡さないようにね」
最後に、私は少女にコインを手渡す。
「……、これ、さっきおフセしたやつだ……」
彼女はコインをまじまじと見降ろし、嬉しそうに言った。
「うん。それは返してもらったから、ちゃんと必要な事に使ってね。
今度からは、変な人に騙されちゃダメだよ」
私は指を立て、優しくウインクして見せる。
すると、少女は涙目になって頷いた。
「うん、変なおじさんには気を付ける!」
彼女の純真な言葉は、何か妖精のツボに入ったのだろう。
胸ポケットからフェルが顔を出し、ケタケタと笑った。
「きゃははは、確かに、変なオッサンだった!」
すると、住民たちも一緒になって笑った。
「はっはっは! 違いない。怪しい教主様には気をつけろってな」
「ふふふ。そうね。うちの子にも注意しとかないと」
夕日が黄金色の麦畑を照らす中。
みんな笑顔で歌い出したり、踊ったり。
ラテンのノリで、明るく喜びを表現していた。