プロローグその3 ~ミア十歳~十五歳~
――さらに三年が過ぎ。
十三歳となったミアは、いまでは中級の神聖魔法を扱えるようになっていた。
あれから三年が経ったいま、ミアは多くの別れを経験して大人になっている。
壮年の兵士グラムは戦場で死んでいた。
その死を優しい嘘で隠してくれた、あの無精髭を生やした兵士もまた戦場で死んでいた。
教会内の個室から兵舎内の病棟へと仕事の場を移したいま、誰かの死を目の当たりにすることも珍しくない。
見知った顔のものが死ぬ、なんてことはいまや日常茶飯事の出来事だ。
もはや物知らぬ無垢な少女のままでいられるはずがなく。
ミアは精神的に成熟することを、己を取り巻く環境によって強いられた。
また何人もの聖女候補たちの死を乗り越えてもきた。
神聖魔法における中級と上級のもっとも大きさな違い。
それはその発動までに要する時間であり、治癒の速さであり、無詠唱かつ高効果からなる上級の神聖魔法は戦場でこそ有効性を発揮する。
ゆえに上級の神聖魔法を覚えた聖女候補たちは、兵舎内の病棟から戦場へと仕事の場を移すのだ。
後方支援として隊列に加わり、傷ついた味方を片っ端から治癒していく。
そんな治癒行為を戦場で続けていれば、貴重な戦力としていくら堅固に守られていようと、ときにはその身に危険が及んでしまうこともある。
要するに、聖女候補の死もまたけっして珍しいものではないということだ。
人が慌ただしく行き交う兵舎内の病棟。
怪我を負った多くの兵士が床に乱雑に寝かされている中、その右腕の肘から下が欠けている一人の若い兵士がいる。
三人の衛生兵とともに、ミアは彼のそばに腰をおろしていた。
切断面は火魔法で焼かれているため流血こそとまっているが、感染症にかかる恐れを思えば放っておけるものではない。
「身体欠損の治癒は患者に大きな痛みをもたらします。いいですか、皆さん! 彼の体をしっかりと押さえていてください!」
「「「はい!」」」
「聖なる光よ、この者の傷を癒したまえ……!」
「がああぁぁっ!」
ミアの神聖魔法が若い兵士の右腕を包みこむ。
その肘から下が紛うことないもとの形へと徐々に復元されていくと、若い兵士は絶叫をあげ、三人の衛生兵に体を抑えられてなお激しくのた打ち回る。
一秒が長く感じられる中、ミアの額から頬を幾筋もの汗が伝い落ちていく。
やがて十五分が経過したころ、若い兵士の右腕はようやく元通りの形を取り戻した。
「治癒が完了しました。では次の方へ――」
「あ、ありが、とう、ござい、ます、聖女、様……」
「私は聖女ではありません。次の方を治癒します!」
「「「はい!」」」
息も絶え絶えに感謝を述べる若い兵士を、ミアは一蹴する。
自分はいまだ聖女候補に過ぎない身であり、なにより相手をしている暇がない。
先に戦線で大きな衝突があったため、傷ついた兵士たちが次々に運び込まれてくるのだから、まともに取り合っている時間はなかった。
若い兵士の隣のものへ、これまた乱雑に寝かされている兵士の治癒を始めていく。
ここは戦場だ。
本物の戦場に比べれば遥かに生温いものなのだろうが、ここもまた戦場だ。
息つく暇もなく、ミアは治癒に明け暮れた。
夜半、兵舎内の病棟の片隅にて。
戦線から帰還したリスティーゼと、ミアは並んで座っており、その背を壁に預けている。
「リスティーゼ様。お疲れでしたら無理にお時間をいただかなくとも……」
「大丈夫。私がミアちゃんに会いたかっただけだから」
「そ、そうですか。それはその、ありがとうございます……」
「照れてる照れてる。私の妹は本当に可愛いなぁ」
「い、妹だなんてっ! か、からかわないでくださいっ!」
束の間の休息だ。
すぐにまた傷ついた兵士たちの治癒に戻らなければならない。
血と汗の臭いがぐちゃぐちゃに混じりあう空間をよそに、ミアがリスティーゼに抱く憧れの気持ちに親愛の情が混じりあった。
あと少し、あとほんの少しだけ休んだら。
絶えず聞こえてくる苦しそうな呻き声を耳に、二人は無邪気にじゃれあった。
憧れはより強くなり、夢はより鮮明になった。
――さらにまた二年が過ぎ。
ミアは十五歳になり、上級の神聖魔法を完璧に扱えるようにまで成長していた。
聖女にもっとも近い聖女候補、そう称される域に到達した。
またミアより先輩であった聖女候補たちは、みなその姿を消してしまっている。
この生活に耐えきれず逃げ出した聖女候補がいた。
この生活に耐えられず自殺してしまった聖女候補がいた。
この生活に耐えようとしたものの、ともにした戦場で命を散らしてしまった聖女候補の姿を、ミアはその目に焼きつけてきた。
彼女たちの顔と名前をミアは忘れない。
忘れられるはずもない。
そして舞台は、もう何度目になるかわからない戦場へ。
青空の下、深い森の入り口に面した平原。
魔族と聖騎士団がぶつかりあう戦場では怒号が飛び交い、血の雨が飛び交っている。
「撤退だ! 総員撤退せよ!」
聖騎士団の副団長があらん限りの大声を張り上げた。
その脇には目を見開いて息絶えている騎士団長の姿がある。
数多の死に埋もれた騎士団長の死から遅きに徹してしまった指示を受け、聖騎士団は各々、遥か後方にあるガレンダ砦へと必死に撤退していく。
敵の拠点を制圧するべくした遠征は失敗に終わった。
思いがけない奇襲を受けて陥ってしまった劣勢。
聖騎士団は態勢を立て直すことができず、すでに陣形は完全に崩壊してしまっている。
敵と味方がぐちゃぐちゃ入り乱れる乱戦と化した戦場で、見知った誰かが次々に死んでいく。
「ちくしょう、よくもレオンを殺りやがったな! ぶち殺してやる!」
聖騎士団の歩兵が振るった剣が、豚顔をした醜悪なオークを切り伏せる。
しかしながらその歩兵は、人の体に羊頭をのせた化け物の鋭利な爪によって切り裂かれてしまった。
その死体を踏み台にして、また別の歩兵と羊頭の化け物が切り結ぶ。
「いくぞ! 味方の退路を切りひらくのだ!」
「「「おう!」」」
聖騎士団の騎兵たちが振るう槍が、毒々しい紫色をした獅子の首を次々に切り落としていく。
しかしながらその騎兵たちは、一つ目の巨人によって蹴り飛ばされ、馬ともども宙高く舞ってから地に叩きつけられた。
飛び散った臓物を踏みつけて前進する巨人を目掛け、聖騎士団の魔法兵たちが放った火球がいくつも飛んでいき着弾、連なった爆発音を鳴らす。
「はっはぁ! どうだ、殺してやったぞ! 見たか、このクソ魔族――」
聖騎士団の弓兵が射った矢が、竜の体に鶏の頭部をもつコカトリスを射落とす。
しかしながらその弓兵は、黒い衣をまとった骸骨のリッチが振るった大鎌によって、上下に真っ二つに分かたれてしまった。
その死体に狼の獣人たちが我先にと群がっていき、ぐちゃぐちゃと咀嚼音を立てる。
そんな地獄のような光景の中をミアは走っていた。
護衛である騎士たちに守られながら、こみ上げる吐き気を我慢して懸命に走る。
向かう先はリスティーゼのもとだ。
「リスティーゼ様!」
「ミア!」
混乱の最中、二人は合流する。
互いに親衛隊の騎士を数名ずつ引き連れているのみ。
また自分の足で駆けて撤退するよりほかに道はない。
騎乗して撤退しようにも、肝心の馬は目につくかぎり騎兵もろとも死に伏せている。
二人は味方とともにガレンダ砦に向かい、地にごろごろと転がっている死体をいくつも越えて死地をかけていく。
そのとき、後方に目をやった騎士の一人が叫んだ。
「リ、リスティーゼ様! こちらに竜騎士が向かってきています!」
ミアとリスティーゼが揃って、弾かれたように振り向いて見上げた先。
大きな飛竜に乗った一騎の竜騎士がいた。
それは天高くから滑り落ちるようにして地面すれすれに接近するや、地を這うようにしてこちらにもの凄い勢いで向かってくる。
その突進に巻き込まれ、何人もの味方が紙切れのごとく吹き飛ばされる。
ミアがリスティーゼの前に、彼女を庇うようにして立つ。
法杖を構え、正面を見据えた。
そして先にいるを竜騎士を目掛け神聖魔法を放とうとする。
だが――
「魔力がっ……!」
魔力がないために行使できない。
すでに魔力は尽きてしまっていた。
乱戦にあってミアも神聖魔法を乱発していたせいだ。
その身を激しく消耗していたため、本人も自身の魔力が尽きていることを把握できていなかった。
「私が迎え撃ちます!」
致命的な失敗をミアが嘆く間もなく。
彼女を押しのける形でリスティーゼが前に躍り出た。
すでに十数歩先まで竜騎士は迫っている。
馬の数倍はあろう飛竜の巨体が、ミアの視界をいっぱいに埋め尽くそうとしていた。
リスティーゼの構えた手から眩い光が放たれる。
前方に張られていく正四角形の障壁。
一枚、二枚、三枚、四枚、五枚。
透明な障壁が飛竜との間に衝立のごとく立ち並んだ。
次の瞬間。
衝突。
ガラスが割れるのに似た音が四回、立て続けに鳴った。
五回目はない。
「グガアアァァッ!」
飛竜の絶叫が戦場に響き渡る。
衝撃で砕かれた障壁は淡い粒子に変わり、動きのとまった飛竜の巨体に吸いつくようにまとわりついていた。
淡い粒子が瞬く間にその巨体を焼き尽くしていく。
「リスティーゼ様!」
ミアが叫ぶ。
煙立つ飛竜の脇を竜騎士が剣を手に駆けてきていた。
淡い粒子から逃れるべく後方に飛び退いていたのだ。
直後、ミアの眼前で両者が交錯する。
リスティーゼが振るった手刀が竜騎士の首をはね、竜騎士の振るった剣がリスティーゼの喉元を大きく切り裂いた。
間もなく、両者ともに崩れるようにして地に倒れ伏す。
「リ、リスティーゼ様……?」
呼びかけるも返事はない。
リスティーゼはうつ伏せに倒れており、その喉元から血をとめどなく溢れさせている。
流血は地に染みこみ、すぐに血溜まりの池をなしていく。
ミアはそのそばまでよろよろと歩み寄り、血溜まりに膝を着く。
震える手で抱き起こしたリスティーゼの体は徐々に冷たくなっていき、その顔面はすでに蒼白だった。
呼吸は弱々しく、その目はすでに虚ろだった。
「ミ……ア……?」
「だ、大丈夫です、リスティーゼ様! 私がいまお助けしますから!」
手遅れになる前に。
リスティーゼの頭を両膝のうえにのせ、大きく裂けた胸元に両手を添える。
だが神聖魔法を行使することは叶わない。
「なんでっ!? なんで神聖魔法が使えないの!? お願い、ねぇお願いだから――」
リスティーゼの手がミアの頬に添えられた。
その虚ろな目がぼんやりと見つめてくる。
「リスティーゼ様?」
「……ね」
「――えっ?」
「ご……めん……ね……」
最期に、リスティーゼは悲しそうに笑った。
その手がだらりと下げられ、血溜まりに落ちてぴちゃりと音を立てた。
その目が色を失い、彼女の死を如実に物語った。
「リスティーゼ様……? リスティーゼ様! 返事をしてください! ねぇリスティーゼ様! お願いですから!」
「ミア様! ここは危険です! 撤退しましょう!」
騎士の一人がミアに呼びかける。
「嫌っ! 嫌よ! だってリスティーゼ様が! リスティーゼ様を置いていくなんてできるわけないわ! それにリスティーゼ様はまだ死んで、なん、か……」
言いかけてミアは仰向けにふらりと倒れ、急に覚束なくなった頭で訴える。
リスティーゼはまだ生きている。
まだ死んでない。
死んでしまったはずがない。
意識が混濁していく中、その姿がぼやけて見える騎士たちに懸命に訴えた。
「ミア様をお連れしろ!」
「はっ!」
「行くぞ! 急ぎここから脱出する!」
物言えぬミアを騎士の一人が背負い、彼らは緩慢な歩みながら撤退を始める。
リスティーゼが亡きいま、いまやミアが聖女と言っても過言ではない。
すべては皇国の未来のため。
騎士たちは己が身の危険を顧みず、いまだ怒号と悲鳴が飛び交っている戦場を進んだ。
体が上下にふわふわと揺れる感覚。
ミアの脳裏に、リスティーゼとの思い出が浮かんでは消えていく。
『ミアちゃん、私はリスティーゼよ。よろしくね』
『私も、頑張り屋さんのミアちゃんのことが好きよ?』
『ごめんね、ミアちゃん。私が不甲斐ないせいで。本当にごめんね……!』
『照れてる照れてる。私の妹は本当に可愛いなぁ』
最後に――
『ご……めん……ね……』
暗転。
ミアはぷつりと気を失った。
この日、憧れは潰えた。
だが彼女に抱いた憧れはけっして変わることはない。
一方、夢は変わる。
憧れの死を機に、やがて使命へと変わりいく。
彼女のようになりたい、ではない。
彼女のようにならなければ、と。
かつて少女が抱いた夢はいま、果たすべき使命へと変わりいく。
夢は使命に変わり、そしてミアは恋をする。