6. とても面倒臭かった
マンションを出た時、タイミング良く真っ黒な車が目の前に停まった。
大統領が乗っていそうな、幅が広くて高そうな車だ。
もしかしたら、このマンションに国のお偉いさんが住んでいるのかも。東京で一番の高層マンションだと言っていたし、あり得ない話ではない。
通行の邪魔になるのは迷惑だし、道の端に寄ったほうがいいかな。
そう思っていたら、運転席からスーツ姿の女性が降りてきて、こちらに歩いてきた。
可愛いというよりはカッコいいと言ったほうが正しい。そんな女性だ。
「朝比奈様、お迎えにあがりました。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いいわ。私達も今来たところだから」
どうやら、運転手は朝比奈さんと知り合いらしい──って、朝比奈さんと知り合い?
「……朝比奈様。そちらのお嬢様は?」
女性の視線がこちらに向いて、思わずその視線から逃れようと朝比奈さんの影に隠れてしまった。
「紹介するわ。六条梓ちゃんよ。私の恋人」
「朝比奈さん!」
「六条……なるほど。ようやく朝比奈様にも春が訪れたのですね」
「ようやくは余計よ。でも、最高に可愛い恋人が出来て、私は幸せだわ」
本人の目の前でベタ褒めされて恥ずかしくなり、俯き、顔を両手で覆う。
世の中には『穴があれば入りたい』という言葉があるけれど、今の私に最も適している言葉は間違いなくそれだ。
「──梓様」
近くから声が聞こえた。
目を開いて前を向くと、運転手の顔が近くにあった。
「初めまして、私は朝倉紫乃と申します。朝比奈様の専属ボディーガードをしております。これから何度かお会いすることになるでしょう。よろしくお願いいたします」
「……よろしく、お願いします。えっと……六条梓です」
敬語なんて使われたことがないから、むず痒くて仕方ない。
しかも、近くから見ると本当に美人だ。真っ直ぐに見つめられると、なぜかこちらが恥ずかしくなる。
「梓様とお呼びしてもよろしいですか?」
「あの、『様』はいらないです。私は、ごく普通の庶民なので……」
「私は朝比奈様にお仕えしています。梓様はパートナーなのですから、呼び捨てするわけにはいきません」
そのようなことを言われても、今まで周囲の人間から名前すら呼んでもらったことがない私だ。急に『様』と呼ばれたら、むず痒くて仕方ない。
……これも朝比奈さんの恋人になる影響、なのかな。
「わかりました。まだ慣れることはないと思いますが、それでもいいのであれば……よろしくお願いします、朝倉さん」
「……ええ。それと、私のことは紫乃とお呼びください。今後は朝倉家の人間と会うことも多いでしょう。家名では他の者が混乱してしまいますからね」
「……はい。紫乃さん」
紫乃さんが右手を差し出す。
すぐに握手を求めているんだろうなと察して、私はそれを握った。
「…………むぅ……」
と、真横から不満気な声が聞こえてきた。
声の主はもちろん朝比奈さんで、子供のように頬を膨らませている。ちょっとだけ可愛いと思った私に対して、紫乃さんは面倒臭そうに顔を顰めた。
「私はまだ名前で呼んでもらったことがないのに……ずるいわ」
訂正。これは面倒臭い。
まさか嫉妬されるとは思っていなかった。
でも確かに、恋人同士なのに苗字で呼ぶのは変なのかも。
「あの、朝比奈さんも名前で呼んだほうがいいですか?」
「……別に今のままで構わないわ。人の呼び方は人それぞれだもの。強要するようなことではないけれど…………いつかは名前で呼んでほしいかしら」
つまり、名前で呼んでほしいとは思っていると。
「面倒臭い女になっていますよ、朝比奈様。束縛の強い女性は、恋人から距離を置かれやすいと聞いたことがあります」
「梓ちゃんの好きに呼んでくれて構わないわ!」
切り替わり早いなぁ……。
そんなに私に嫌われたくないんだ。
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