31. 理解ができなかった
目を覚ますと、そこは見慣れた天井だった。
もう二度を戻ることはないと思っていたはずの、私の居場所だった部屋。
「…………梓、ちゃん……」
そして、もう二度と聞くことはないと思っていたはずの声。
首だけを動かして声のした方向を向けば、今にも泣き出しそうな顔をした朝比奈さんがいた。
「……酷い顔ですね」
「っ、ごめんなさっ、ごめんね。……ごめん、私のせいで……ごめんね」
瞬間、涙腺が崩壊したように、朝比奈さんの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
何度拭ってもそれは止まらなくて、裾で乱暴に拭いたせいで化粧が崩れてしまい、もっと酷い顔になっていた。
「……ははっ、無様ですね」
それは朝比奈さんにも私にも向けた言葉だ。
──私は、二回も裏切られたんだ。
朝比奈さんの本当の恋人を知って絶望してすぐ、奈々さんに手を差し伸べられただけで簡単に相手を信じて。
私って、本当に馬鹿だなぁ……。
謝るくらいなら、笑ってくれ。
「みんなに騙されながら手のひらで踊るその姿は滑稽だった」と、笑ってみてよ。
そんな私の荒んだ心に反して、朝比奈さんはずっと泣きながら謝り続けている。私が悪いみたいな気持ちになってくるほどに、何度も。何度も。
いい加減、何か言ってほしい。
ずっと泣かれているだけじゃ、わからないから。
「その謝罪は、何ですか?」
「……っ、ぜんぶ、よ……。梓ちゃんをっ、こんな目に合わせたことに、勘違いで悲しませたこと、に……私の勇気が足りなくて、苦しませちゃったことにも」
「勘違い? 勇気? 何を言っているのですか?」
私は、本当は愛されていなかったと知って、この家から出た。
朝比奈さん本人が電話で『早苗を愛している』と言ったから。
ああ、本当に愛する人は別に居たんだなと、悲しくなったから。
そしたら同情だけで住ませてもらっていることが苦痛になって、今すぐにこの場から逃げ出したくなって、つい感情に任せて色々なことを言ってしまった。
でも、それが勘違い?
朝比奈さんは『勇気が足りなかった』と言ったけれど、何が違うの?
「ああ、わかりました。私は、愛人候補だったのですね」
強く睨みつける。
「新しい人、本当に愛する人を迎え入れる口実を切り出せずにいたら、私が聞いてしまったと。それで私が追い出されると勘違いしたのを否定しようとした」
──ハッ、舐められたものだ。
「それで私が許すとでも? 私だけを愛すると言ったあの言葉が嘘だったこと。謝った態度で全部許せるとでも?」
「違うっ!」
朝比奈さんには珍しい大きな声だったから、驚いた私は口を止めた。
「私の話を聞いて、お願い……」
左手を握る朝比奈さんの両手は、小さく震えていた。
ぎゅっと強く握られて、少し痛い。
「私は、早苗を愛している。……愛していたわ。心から」
その言葉を聞いて、ああやっぱりなと息を吐き出した。
あの時、電話で言っていた言葉は嘘でも勘違いでもなかった。
せめて、それが私の『勘違い』であったなら、どれだけ嬉しかったことか。
「でも、もう彼女はいない。12年前、あの人は二度と戻って来なくなったから。交通事故でね。呆気なく私を置いて逝ってしまった」
交通事故と聞いて、他人事とは思えなくなった。
私の両親もそれで死んだ。朝比奈さんの愛していた人と同じく12年前、交通事故で私を置いて……12年前に、交通事故で?
「私の愛した人は早苗。旧姓は倉橋。今は──六条早苗」
「………………え……?」
頭に雷が落ちたような衝撃だった。
どうして、今まで忘れていたんだろう。
早苗は、私のお母さんの名前だ。
12年ぶりに聞いた、お母さんの名前だったんだ。
「それ、って……」
「私はずっと、あの人に片想いをしていた。私達が出会ってからずっと、この想いを打ち明けられずに、あの人は本当に愛する人と結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築いて……死んでしまった」
朝比奈さんは当時のことを思い出すように、遠くを見つめていた。
「その時、私は海外にいたわ。早苗が死んだと聞いてすぐに駆け付けたけれど、すでにあの人達は埋葬されて、何もかもが終わった状態だった」
私は混乱していた。朝比奈さんはお母さんを愛していて、でも死んじゃったからその想いは叶わないままで、今は私が朝比奈さんの恋人?
……はっ、何それ。意味わからない。
「梓ちゃんだけでも引き取ろうと考えたけれど、その時はまだ……貴女の全てを見守るほどの覚悟がなかった。私は海外を飛び回っていたし、まだ幼い子供に必要な愛情を注ぐことは出来ない。だったら他の家に引き取られたほうが幸せだって、自分に言い訳をして……梓ちゃんをこんなにも、苦しませてしまった」
いいところですが、長くなってしまうので今回はここまで。また次回をお楽しみに……。




