19. わからなくなった
扉を閉め、リビングへ向かう。
ソファーでは朝比奈さんが気持ち良さそうに眠っている。
「朝比奈さん。私達も寝ますよ。ベッドに行きましょう」
「ん、んぅ……? もう寝ていまーす」
「少し前の私みたいなことを言わないでください。ここで寝ないで、ベッドに行きましょうって……ほら、シャツにシワも出来ちゃいますから」
「私はまだピッチピチだもん!」
「そういうことじゃありません。はい、肩を貸してあげるから立ってください」
「抱っこは?」
「そんな筋力はありません」
隙あらばキスしようとする朝比奈さんを制しつつ、どうにか私達の寝室まで運ぶ。
ただそれだけのことなのに、結構な体力を消費してしまった。
「服を脱いでください。洗濯しますから」
「梓ちゃんがぁ、脱がしてくれても……いいのよ?」
「イラッとするので、さっさと脱いでください」
「はぁい」
朝比奈さんは洋服だけではなく、下着までも脱ぎ捨てて裸になってしまった。
彼女も立花さんもそうだけど、人が目の前にいるのに、どちらも洋服を脱ぐことに迷いがない。……私が女だからって、躊躇しなさすぎだと思う。
「あーずーさーちゃんっ! 一緒に寝ましょう? ほら、一緒にぃ」
「いつも一緒に寝ているでしょう。すぐに戻ってきますから、先に横になって待っていてください」
「やだぁ! 一緒に寝るのぉ!」
「やだぁて……我慢してくださいよ」
「キスして!」
「なんで?」
おっと、素が出た。
「キスしてくれないとぉ、いつまでも抱きつくわよ!」
「うわぁ……ガチだ、この人……」
このまま無視すると、本当にいつまでも抱きついてきそうだ。
洗濯場まで引きずっていくのも面倒臭いし、往復することを考えると絶対に疲れる。
……かと言って押し問答を繰り返しても、やっぱり疲れるだけなので、ここは大人しくこちらが折れたほうが早いし楽だろうなぁ。
「わかりましたよ。……特別に、今日も頑張ったご褒美です」
唇を尖らせる朝比奈さんに応えて、私は唇を落とした。
柔らかい感触を味わうより早く、距離を取る。
「これで、満足ですか」
自分からするのって、思いの外恥ずかしい……。
眠る時と起床の時はいつも自然とキスしてくるから、私ももう慣れたものだと思っていたけれど、もうやらない。自分からは、絶対に。
「ほら、いい加減に大人しくしないと怒りますよ。ベッドで待っていてください」
「梓ちゃん! 大好きー!」
恥ずかしいことを口にしながら、朝比奈さんはベッドにダイブした。
もぞもぞと動いてすぐに静かになったことから、再び夢の中へと旅立ったようだ。
こっちが大変な思いをしていると言うのに、どこまでも気楽な人だと呆れつつ、私は二人分の洋服を持って風呂場に向かう。
いつもは家政婦さんが洗濯をしてくれるけれど、今回は立花さんもいるから、朝に洗濯したのでは間に合わない。
今のうちから洗濯機を回して乾燥機能も設定しておけば、立花さんがシャワーを浴びる時には洋服も乾いていると思う。シャツに皺が出来ちゃうのは仕方ないけれど、洗っていないものを続けて着るよりはいい。
「……ついでだから、私のも洗濯しちゃおうかな」
どうせなら一度にやったほうがいいかなと、自分も下着姿になる。
流石に下着まで脱ぐことはしなかった。二人で裸になって眠ると初日を思い出してしまい、変に気まずくなる。あっちは別に気にしてないだろうけど、私が気にする。
「そういえば、あの日から朝比奈さんは私に迫ってこないなぁ……」
キスはしょっちゅうしてくる。でも、それだけだ。
たま〜に、寝ている時にもぞもぞと怪しく手が動いて、私の体をペタペタと触ってくることはあるけれど、今は眠いからと手を叩けばすぐに大人しくなる。
多分、朝比奈さんは私から許しがなければ、ずっと我慢するつもりなんだと思う。
彼女は私のことを百万円で買ったのに、律儀なことだ。強引に迫られたら多少の抵抗はするだろうけれど、立場的に言えば、私は彼女に逆らえない。
でも、わかっている。
朝比奈さん本人が、それを良しとしない。あくまでも対等に、共に寄り添う恋人として、あの人は私を見ている。
だから、もやもやとした気持ちが積もる。
「いっそ、有無を言わさずに襲ってくれたら、私も──」
そこまで言って、ハッと我に返る。
私も──なんだろう? 私の意思に関係なく襲ってくれたら、我慢出来なくなって手を出してくれたら、私は朝比奈さんのことを、どう思うのかな。
こっちの気持ちも考えずに酷いと文句を言うだろう。
でも、拒絶はしない……と思う。
恥ずかしくて色々なことを言ってしまうかもしれないけれど、結局最後は彼女のことを受け入れるのではないか。
自分からは恥ずかしくて絶対に言えない。
朝比奈さんからじゃないと、彼女の気持ちに応えることは出来ない。
──自分の気持ちがわからない。
本当に面倒臭いのは他ならぬ自分自身だということを、私は自覚している。
「私、どうしたいのかな……」
ポツリと呟いた言葉は、洗濯機の音に掻き消された。




