表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Anamnesis  作者: 虹星まいる
PR
1/2

双子

 白く、白く、果てのない世界で彼女は私に問いかける。

「ねえ、千尋(ちひろ)。クリスマスは何処へ遊びに行こうか」

 モカブラウンの長髪を揺らして、恋人の青葉(あおば)が穏やかに微笑む。私は考えていたデートスポットを彼女に告げた。要望を聞いた青葉は一層笑みを深めた。

「いいね。年甲斐もなく遊んじゃいますか!」

 ニパッと笑う青葉が愛しくて。彼女のことを抱きしめようとして────腕も足も動かせないことに気が付いた。


 ────ああ、またこの夢か。


 自身の陥った状況を理解した瞬間、私の心は急速に冷めていった。そして、次いで訪れるのは途方も無い虚無感だった。

 これは、彼女を喪った日の────最後の会話の再現だ。二年も経っているというのに、未だに悪夢として私を呪い、苦しめる。

「ふふっ、楽しみだなー、千尋とのデート」

 青葉は私に背を向けると、白に満たされたこの空間から出ていこうとする。

 待って、行かないで。お願いだから。

 私の声が届くはずもなく、彼女は私の夢から出ていこうとする。

 ダメだ。その扉を開けたら、貴女は────


 最後に、青葉がこちらを振り返る。

 彼女の表情は、もう霞んで見えなかった。


 ◆


 寝覚めは最悪だった。厚手の寝間着がベッタリと肌に張り付くほどの寝汗をかいていた。枕元の電波時計を見遣ると時刻は午前五時を示している。

「さむっ……」

 身体にまとわりついた汗が気化して私から体温を奪う。予定よりも早い目覚めであったが、二度寝をする気にもなれない。私はベッドから這い出て浴室へと向かった。

 熱いシャワーを頭から被りながら、先ほど見た夢に思いを馳せる。



 私にはかつて高羽(たかばね)青葉という恋人がいた。地毛の茶髪が特徴的な、明朗快活な女性。細かいことに拘らない性格でありながら、他人には気遣いのできる魅力的な人物。それが青葉という人間だった。

 彼女と私の出会いは幼稚園の頃にまで遡る。当時の私は青葉と、彼女の双子の妹である高羽(あかね)と共に過ごしていた。私が社交的な性格ということもあって、内向的な茜よりも外向的な青葉との交流が多かったと思う。私と青葉は小学校、中学校を共にし、高校生になるころには唯一無二の親友といっても差し支えないほどの関係になっていた。

 故に、青葉から告白を受けた時は驚いたものだ。「千尋を見ているとドキドキするから、責任取って私と付き合ってほしい」という我儘な愛の言葉を突然ささやかれたのだから。当時の私は面食らったものの「面白そうだから恋人にしてみるか」という安請け合いで青葉を恋人にしたのだった。

 そして、結果から言ってしまうと、私たちの関係はとても上手くいっていた。青葉は気立てがよく、なおかつ明るい性格であったため、私との間に全く不和が生じなかった。幼馴染であるが故にお互いのことを知り尽くしているし、時間と空間を共有してもストレスにならない。まさに、理想の恋人だった。

 高校を卒業した私は地元の大学へ進み、青葉は地元企業に就職した。お互いに自立できるようになったため、アパートを借りて同棲を始めた。口外することが憚られるほど甘く濃密な時間を過ごしていた私たちは間違いなく世界で一番の幸せ者だったし、これから先、ずっとこの幸福が続くものだと信じていた。


 ◆


 その日は寒雲が空を覆っていた。

 朝のニュース番組では『連日の雪による渋滞』という交通情報が流れている。ホットココアとフレンチトーストを食卓へ運んだ私は、肩口までスッポリと炬燵に埋まっている青葉へと問いかけた。

「もうじきクリスマスだけど、何か予定とかあるの?」

「無いよー。二十四日と二十五日は有給入れてるから遊び放題でーす」

「おおー、そっか」

 私は平静を装いながら、内心では歓喜していた。大学生の私は冬休みということもあってクリスマス前後は予定が空いているのだが、青葉はその限りではない。社会人になった彼女は仕事で忙しく、なかなか遊びに行く機会が無かったのだ。

 今日も会社へ出勤する青葉はモゾモゾと炬燵の中で身体を動かしている────部屋が寒いのは分かるが、せめて炬燵から出て着替えをしてほしい。「シャツ、シワになるよ」と注意するが、返ってきたのは「わかってるー」という気の抜けた声。案の定シワが付いてしまったシャツの上からセーターを被った青葉は着替えを終えてコタツムリを卒業した。

 ドレッサーで化粧をする彼女の背中を眺めながらココアを啜る。

「ねえ千尋、クリスマスは何処に遊びに行こうか?」

 クリスマスという単語に反応して、私はカレンダーに視線を遣った。今日の日付は師走の上旬。聖夜までは二十日ほどの時間がある。

 私は少しだけ贅沢を言ってみることにした。

「遊園地に行ってみたいな」

「東京にあるやつ?」

「千葉にあるやつ。なんだかんだ、高校の修学旅行で行ったきりだからさ。たまには羽目を外すのもいいかなって」

「うんうん、いいね。年甲斐もなく遊んじゃいますか!」

 軽く化粧を終えた青葉はこちらを振り返り、花が咲いたような眩しい笑みを浮かべた。そんな彼女が愛しくて────気が付くと、歩み寄ってその体躯を抱きしめていた。

「千尋?」

「青葉は可愛いなぁ、って思って」

「えへへ、照れますな~」

 おどけながら、青葉も私を抱きしめ返してきた。彼女の首筋に顔を擦り付けると、甘い花の香りが鼻腔を(くすぐ)る。部屋の空気が冷たいおかげで、愛する人の温もりを強く感じられた。

「ねえねえ、千尋」

「なあに?」

「千尋が嬉しそうにしてると、私まで嬉しくなっちゃう」

「……私、そんなに嬉しそうな顔してた?」

「ふふっ、鏡で見せてあげたいくらいにはね」

「…………ばか」

 幸せな時間は疾く過ぎ去っていくもので、青葉が家を出る時刻が差し迫っていた。私たちは抱擁を解き、軽い口付けを交わし、玄関へと向かう。車のキーを外套のポケットに突っ込んだ青葉は思い出したように微笑んだ。

「クリスマスまでもう少し。ふふっ、デート楽しみだなー」

 彼女はウキウキとした様子でブーツを履くと、玄関扉へと手をかけた。

「行ってくるね」

「行ってらっしゃい、青葉」

 パタンと扉が閉まると一気に静寂が訪れた。私も大学へ行く準備をしなければ、とリビングへと戻って朝食を再開した。



 時刻は二十時。家に青葉の姿はなかった。

「残業かな……」

 帰りが遅くなる場合は事前に連絡があるはずなのだが、メッセージアプリに反応は無かった。晩御飯はとうにできており、食卓には彼女の帰りを待つ私が一人。目の前でグツグツと煮立つ水炊き鍋をボーッと眺めていると、リビングに置いてある固定電話が音を響かせた。受話器を手に取って「高羽です」と名乗ると、電話口から女性の声が聞こえてきた。

『千尋ちゃん? 私、茜なんだけど────』

「茜? 久しぶり、どうしたの急に」

 通話相手は青葉の妹の茜であった。私と茜は連絡をとりあう仲ではないため、突然の電話に驚いてしまった。

 茜は一拍ほど間を置いて、確かめるような口調でその言葉を紡いだ。

『あのね、今から私が言うことを落ち着いて聞いてほしい……お姉ちゃんが事故に巻き込まれたの』

 事故。その言葉を聞いた瞬間、ぞわぞわとした不快感が私の胸中を埋めつくした。

「事故って……軽いヤツ、だよね?」

『…………とにかく、今から言う病院に来て欲しい。大丈夫、焦らなくていいよ。ゆっくり、ゆっくりね────』

 口調こそ柔らかいものの、茜の声は酷く強ばっていて、ともすれば自分に言い聞かせているようでもあった。



 タクシーで病院に向かう道中、吐きそうなほどの不安に押しつぶされる。茜は「事故に遭った」としか言っておらず、どの程度の怪我を負ったのかは話してくれなかった。いや、そもそも怪我なんかしていないのかもしれない。私が病院に着いたら、あっけらかんとした青葉が出迎えてくれるに違いない。そう考えることでしか、自分で自分を保てなかった。

 病院に着いて、案内された先には青葉の両親と茜、それから複数人の警察官が居た。

広末(ひろすえ)千尋さんですか」

 私の身元を確認した警察官は、青葉が巻き込まれたという事故について話し始めた。曰く、雪道を走行中、対向車線を走る車がスリップして青葉の車に目掛けて突っ込んできた。青葉はそれを避けるために急ハンドルを切り、建物に衝突した。

 それ以上の詳細を話していたような気がするが、私にとっては青葉が無事か、そうでないかが重要であって、事故の成り行きは(ほとん)ど頭に入っていなかった。

 警察の話が終わると、手術中の青葉を待つのみとなった。青葉の両親である小父(おじ)さんと小母(おば)さん、茜、そして私。皆、縋るように祈ることしかできない。

 ややして、静寂を破るように医師が現れた。



 その後の記憶は曖昧だ。

 医師の話を聞き、呆然とした。

 青葉のもとに連れていかれた。

 寝台に青葉が寝かされていた。


 青葉の表情は、とても穏やかだった。


 ◆


 あれから、二年が経過した。



 シャワーを終えて、朝食を取って、身支度を済ませた頃には午前七時を回っていた。意図せぬ早起きではあったものの、今日の行事に準備を間に合わせるのならばちょうど良い時間だったのかもしれない。

 家を出る前に身だしなみを確認する。礼服の上に黒のトレンチコートを纏い、ハンドバッグも真黒に揃えた。化粧はそこそこに施しているものの、鏡に映る私の顔は青白く生気が無い。こんな顔を青葉に見せるわけにはいかないと無理やり笑顔を作ってみるが、(かえ)って惨めになるだけであった。

 玄関の戸を開けると細雪(ささめゆき)が舞っていた。あの日も、こんな天気だったか。

「行ってきます」は言わない。だって、今から貴女に会いに行くのだから。



 高羽青葉の三回忌は粛々と(つつが)なく進行していた。お寺の受付で香典を渡し、遺族と儀礼的な挨拶を交わし、読経を聴き、焼香を行う。僧侶による法話と、施主である小父さんの話が終わったところで時刻は正午を過ぎたあたりだった。

 参列者は本堂から広間へと移動し、会食となる。用意された豪奢な弁当をチマチマと食べていると、私の横に影が落ちた。

「千尋ちゃん、久しぶり」

「茜…………」

 私の隣に腰を下ろしたのは高羽茜だった。

 その姿を見た瞬間、青葉かと見紛った。

 斜切りにされた前髪と通った鼻梁。薄い唇にはグロスが引かれている。記憶の中の青葉の姿と眼前の茜の姿が部分的に重なって、私の胸中は不穏にざわめいた。

「来てくれたんだ、今日」

「まあ…………恋人の法要だし」

「……千尋ちゃんは、まだお姉ちゃんのことを────」

 何かを言いかけた茜は陰のある笑みを浮かべて(かぶり)を振る。私が口を開く前に、茜は言葉を被せた。

「ねえ、二人で少しだけ抜け出さない? 折角だから、千尋ちゃんとゆっくり話がしたいな」

「茜の挨拶回りはいいの?」

「いいの。そういうお堅いことはお父さんとお母さんがやってくれるから」

 彼女につられて上座を見遣ると、小父さんと小母さんの周囲に人だかりができている。小父さんは既にお酒が回っているのか、顔が僅かに赤らんでいた。

 その様子を見届けた茜は私に向き直り、子首を傾げる。

「ね?」

 茜の言う通り少しくらいなら抜け出しても問題なさそうだ。積もる話もあるだろうし、二人きりになることには賛成だった。

 食べかけの弁当に蓋をして、私たちは広間を後にする。先導する茜に付いて行った先にあったのは青葉の遺影が飾られている本堂ではなく、景観の美しい中庭だった。縁側に腰かけた茜はポンポンと隣を叩く。そこに座れということらしい。

 こうして、私と茜は肩を並べることになった。季節は冬、吐く息は白く、ストッキングを纏った足先が冷たい。

「千尋ちゃんとは何時(いつ)ぶりになるんだっけ」

「青葉の葬儀で顔を合わせているから二年ぶりかな。顔を合わせたと言っても、あの時はお互いに酷い精神状態だったからまともに会話はできなかったけどね」

 茜は苦笑を浮かべる。私も笑みを返そうとして、失敗した。未だにあの時のショックをありありと思い出すことができて、心がキュッと痛むのだ。

「茜は、もう平気なの。青葉のこと」

「……私は大丈夫かな。時間の力って恐ろしいよ」

「……そっか」

 茜の言葉に他意はなく、青葉の死を乗り越えているらしい。妹である彼女は私よりも青葉と共に過ごした時間が長い筈なのに。私だけが過去に引きずられているようで、ますます気分が悪くなる。顔を持ち上げると、私の視界を曇天が埋め尽くした。彼女は元気にしているのだろうか。

 しばらくの静寂の後に、私の口から訥々と言葉がこぼれた。

「私ね。まだ、青葉のことを受け入れられてないの。急にいなくなっちゃったからさ。心にポッカリ穴が空いたままなんだ」

 茜が小さく息を呑んだ。

「今日も、お坊さんがお経を読んでいる時に青葉の遺影を直視できなかった。だって、あんなの見せられたら、わたし……」

 視界が滲む。我慢しなきゃ────今日は青葉の命日だから。私が泣いてばかりでは青葉が報われないから。だから、今日は絶対に涙を見せないと決めていたのに。

 ひとたび堰を切って溢れ出した痛みは私の心をかき乱す。茜がいる手前、嗚咽を漏らすことしかできなかったが、恥も外聞も投げ捨てて大声を出して泣き叫びたかった。



「大丈夫?」

「うん……もう平気」

 しばらくして、私は落ち着きを取り戻すことができた。茜は私の背を撫で擦って、ハンカチまで差し出してくれた。こういう優しいところは青葉に似ているな、と変な感傷に浸りそうになる。

「今日は青葉を偲ぶ日なのに泣いちゃうなんて。情けないな、私」

「ううん、今日はお姉ちゃんを(いた)む日でもあるから。自分のために泣いてもらえて、これだけ慕われて、お姉ちゃんも嬉しいんじゃないかな」

 そういう考え方もあるのか。私は茜の言葉に、少しだけ救われたような気がした。

「千尋ちゃんは、まだお姉ちゃんのことを愛しているんだね」

「うん……愛しているって自信を持って言えるよ。でも────」

 この胸の内に宿る想いは恋愛感情のような華やかなものではない。亡き彼女を一方的に想うだけの、冷たくて重い思慕の情。

 私が黙り込んでいると、茜が小さく呟いた。

「……いいな」

「えっ?」

「ううん、なんでもない。そうだ、せっかくだから昔話でもしようよ。自分しか知らない、お姉ちゃんとのエピソード。胸の内にある思い出を話すだけでも、気が楽になるよ」

 それから私たちは気が済むまで青葉との思い出を語り合った。泣いて、笑って、驚いて……。

 胸の内に蟠っていた青葉との記憶を共有できたことで、私は幾分か前に進むことができた。


 ◆


 時は流れて二月。私と茜は連絡先を交換して、度々会うようになっていた。今日は茜が私の家に来ており、手付かずだった青葉の遺品整理を手伝ってもらうことになっている。

 私は二年の時を経て、ようやく青葉の死と向き合い始めていた。これは偏に、私の話を真摯に聞いて、受け止めてくれる茜の力によるものだ。青葉に関わる記憶を一つ一つ整理し、言の葉として紡ぎ、心象を発露することで、彼女との幸せな思い出が大切な宝物として私の心の奥底に根付いていったのだった。

 ロングコートを脱いだ茜はワインレッドのセーターを晒しながらポツリと呟く。

「いい部屋だね。千尋ちゃん、って感じがする」

「なにそれ。コート預かるよ」

「ありがとう」

 茜は部屋を見渡し、ある一点に目を止めた。彼女の視線の先にあったのは、青葉が愛用していたノートパソコンだった。

「これ、お姉ちゃんの?」

「うん。パスワードでロックがかけられてて開けられないんだけど、捨てるに捨てられなくて」

「……パスワード分かるかも。お姉ちゃん、学生の時から同じやつ使ってたし」

 茜はそっとパソコンの側面をなぞったが、彼女の指はそれだけに留まった。

「分かってても、開けない方がいいかな」

「……そうだね。青葉のプライバシーを侵害するのは、ね」

 私と茜は顔を見合わせて小さく笑みをこぼす。

 私は茜から預かったコートをかけるためにクローゼットを開ける。すると、中に仕舞われていた青葉の私服が散見された。今ではすっかり収納スペースの肥やしとなってしまっているそれらを取り出すと、後ろから声が掛かる。

「それもお姉ちゃんの私物?」

「そうだよ。着てみる?」

「私が着るの?」

「これ、サイズが大きくてさ。私じゃ着こなせないんだよね」

 青葉は私よりも背が高く、サイズ感が異なるのだ。青葉同様の背丈をしている茜ならば、この服を着ても違和はないだろう。

 クローゼットから数着の服を取りだし、茜に手渡す。彼女は困ったような表情を浮かべていたが、仕方がないという風に小さく頷いた。

 親しき仲にも礼儀ありということで着替え中の茜に背を向ける。衣擦れの音が無くなると、彼女から「もういいよ」と声が掛かる。振り向いてその姿を視界に収めた私は「あ」と思わず声を漏らしていた。

 茜が纏っているのは白のブラウスとベージュのカーディガン、そしてデニム生地のタイトスカート。

「どうかな。似合ってる?」

 恥ずかしそうにくるっと回ってみせた茜は美しく、可憐だった。

「よく似合ってるよ。可愛い」

「本当? お世辞でも嬉しいかも」

 照れた表情を見せる茜は自身の纏う衣服を見下ろした。

「お姉ちゃん、こういう服を着ていたんだね」

 茜の言葉の端に僅かな寂寥が感じ取れた。きっと、この青葉は彼女の知らない青葉なのだろう。

「良ければ茜が貰ってあげてよ。その服」

「えっ……いいの?」

「ここで日の目を見ないよりかは茜に着てもらった方が嬉しいだろうから。服も、青葉も」

「……わかった。大事にするね」

 それから、青葉が遺していった服を分別した。茜が貰い受ける物、私が手元に残しておきたい物、そして、リサイクルに出す物と処分に回す物。衣服の仕分けは二時間ほどで終えたが、相当な心労がのしかかった。

 昼食休憩を挟んで作業は続く。青葉が使っていた筆記具や資格の本、小物等の雑貨は全て処分に回した。部屋から青葉の存在が消えていくごとに、私の中から「何か」が抜け落ちていくようだった。この「何か」が愛情なのか執着心なのか、それとも哀愁なのか、私には判断が付かなかった。それでも、私は手を止めない。青葉の私物をビニール袋に入れるたびに「ありがとう」と「さようなら」が交錯する。

 休憩を挟みながらの作業は日が没しても終わらなかった。押し入れの中だけを見ても、まだ半分ほど手付かずになっている。人一人の存在を整理するには多くの時間を要するらしい。それだけこの部屋に青葉の生きていた証が詰まっていたのだと考えると、じんわりと胸の内に広がるものがあった。

「茜、今日は泊まっていくんでしょ?」

「うん。作業が終われば日帰りだったんだけど、やっぱり一日じゃ終わらないよね」

「ごめん、本当に手付かずの状態だったから……」

「いいのいいの。整理を手伝うって言いだしたのは私の方だし」

 茜には頭が上がらない。せめてものもてなしをしようと、晩御飯は腕によりをかけて得意のハンバーグを作った。茜は目を丸くして「美味しい」と喜んでくれた。



 その後、順番にお風呂に入って時刻は二十一時。明日も作業があるとはいえ、就寝には少し早い時間だった。

「茜、お酒飲む?」

「うーん……缶チューハイくらいなら付き合うよ?」

 どうやら茜はアルコールに弱いらしい。そこは青葉と似ている。私は冷蔵庫から低アルコールの缶を一本取りだして、二つのグラスに分けて注いだ。

 食卓まで運んで、「乾杯」とグラスを合わせる。桃味の炭酸が喉を通り抜けた。

「こうして千尋ちゃんとお酒を飲める仲になるなんて、半年前は想像もできなかったな」

「そう?」

「ほら、私たちってお互いの連絡先も知らなかったでしょ?」

家電(いえでん)の番号は知ってたけど……まあ、でも、そうか。『茜ちゃん遊びませんか』って電話かけるのも可笑しな話だもんね」

「昔は平気だったのに。電話越しに『千尋ちゃんあーそぼ』って」

「私たちも大人になったのかな」

 クスクスと笑いが漏れる。私たちの関係はいつの間にか変わっていた──否、変わってしまったと表現する方が正しいか。

 あんなことがあったね、こんなこともあったよね、と思い出話に花を咲かせるうちに、話題は私たちの高校卒業後にまで移った。

「そういえば、茜が高校を出てからの話、一度も聞いたことないな。青葉も話してくれなかったし」

「聞きたい?」

「ぜひ」

「あはは……面白い話なんて全然ないけど──」

 高校卒業後、茜とは別の道をたどることになった。地元に残った私と青葉とは異なり、茜は東京の大学に進学していた。学生時代は休憩時間に自主学習や読書をするような子だった茜は、私や青葉と比べるまでもなく賢かった。私たちが放課後デートをする間も塾に通っていたというのだから、その努力が報われて本当に良かったと思う。

 さて、大学に進学した茜は私的な時間をアルバイトと勉強に充てていたという。勤勉な生徒として四年間努力したため、その就職先は私でも知っている優良企業だった。現在は県内の支社で研修中だという茜は既に業績を上げ始めているらしい。

「すごいね、茜……」

「ありがとう。千尋ちゃんに褒めてもらえると凄く嬉しいな」

 茜は人好きのする笑みを浮かべる。こういうところで謙遜せず、素直に賛辞を受け止めるところも彼女の魅力的な為人を引き立てている。

「茜に比べると、私の大学生活なんて酷いもんだよ。大学がある日は大学に行ったけど、それ以外の時間はずーっと青葉と一緒だったから。今思うと、青葉には悪い事しちゃったかな。一人の時間も欲しかっただろうし」

「…………」

 私が青葉との話を持ち出すと、茜の顔から「すっ」と表情が抜け落ちた。

「茜……どうしたの?」

「えっ、何が?」

「いや……」

 私が窺うように顔を覗き込むと、茜の目に光が戻る。何事もなかったかのように微笑む茜に薄ら寒さを覚えた。

「それで、他にはどんなことがあったの」

「えーとね────」

 しかし、茜の異変もすぐに気にならなくなる。微量のお酒で酔える私たちは昔話に花を咲かせて、青葉とのエピソードを語り尽くした。茜は私の惚気話を聞いている間、ずっと微笑を湛えていた。


 ◆


 作業二日目。茜のおかげもあってか、初日よりも楽な心持ちで遺品の整理に取り組むことができた。捨てる物、保管する物、茜が引き継ぐ物。一つ一つに感謝と離別の念を込めて仕分けていく。

 全体の八割ほどの作業が終了した頃、押入れを整理する私の前に一封の封筒が現れた。

(あれ……なんだっけ、これ)

 宛名に「高羽茜様」と書かれたそれは丁寧に封が施されていて、切手まで貼ってある。あとはポストに投函するだけの状態のものが、どうして押し入れの中にあるのか。

(私の字じゃない。青葉が書いた手紙……?)

 見た事あるような、ないような。何か引っかかりを覚えた私だったが、余りにもおぼろげな記憶故になかなか思い出せない。

「ねえ、千尋ちゃん。これって卒アル?」

 深慮に陥っていた私に声がかかる。私は思考を中断して茜を見遣った。収納棚を整理していた彼女が手にしていたのは高校の卒業アルバムだった。

「ん? あ、そんなところにあったんだ」

 いつだったか、私が実家から持ち込んだ物だ。作業の手を一旦止めて、茜の肩越しに覗き込む。

「見て、千尋ちゃんの写真」

「うわっ、マジで恥ずかしいんだけど……」

「ふふっ、こうして見ると千尋ちゃんは変わらないね」

「いやいや、変わったでしょ」

 私は当時流行していた前髪パッツンへアーで写っていた。自分で鏡を見ながら切ったため僅かに斜めに傾いていて、これを見るたびに顔が熱くなる。

「ちょっと貸して」

 私は照れ隠しに茜の手から卒業アルバムを奪う。ページを一つ捲ると、隣のクラスの生徒の顔がズラリと載っている。個人写真を撮った高校三年生の時、私は一組、青葉と茜は二組であった。苗字を同じくする彼女たち姉妹は出席番号順に隣同士で並んでいた。

「青葉と茜って、こうして並べてみるとあんまり似てないよね。髪型とか全然違うし」

「あぁ……この時はお姉ちゃんと一緒のルックスってことに抵抗があったから、髪型は敢えて差異がつくようにしてたの」

「そうだったの?」

 意外な告白に目を丸くする。茜は苦笑を浮かべた。

「この頃のお姉ちゃんってリーダーシップがあって、交友関係も広かったでしょ。だから憧れる人も多くて。でも、お姉ちゃんには既に千尋ちゃんという恋人がいたから…………代わりに、その劣情を私にぶつけようとしてくる人がそれなりにいたの。顔が似てるからって理由で、雑な告白をされたことが何回もあったよ」

「なにそれ……酷い」

「酷いよね。だから、お姉ちゃんと同一視されるのが嫌でバッサリ髪を切り落としたり、あえて不愛想に振る舞ってみたり」

 改めてアルバムを見ると、笑顔でセミロングヘアの青葉の隣に、無表情でショートボブの茜が写っている。彼女の抱える葛藤など、露ほども知らなかった。

 私はアルバムに写る茜と今の茜を見比べて、ふと思ったことを口にする。

「そう考えると……茜は変わったね。髪も伸びたし、雰囲気も明るくなった」

 ────まるで、青葉みたいだ。

 私の記憶が確かならば、茜は二年前の時点でショートカットのままだったような気がする。青葉の死が彼女の心境を変えたのか、それとも他の要因があるのか。少なくとも私には、茜が青葉のことを意識しているように見えた。

「髪、頑張って伸ばしたからね」

 私の視線を受けた茜は栗色の髪を耳にかける。その仕草が余りにも艶っぽくて、私は一瞬、()けてしまった。

 茜は私の手からアルバムを回収すると、パタンと閉じて収納棚へと片付ける。「もうこの話はオシマイ」と茜が言うので、私は自分の持ち場に戻って作業を再開した。



 夜を迎えて、ようやく整理は終わりを迎えた。「廃品回収」や「処分」の札を貼られた段ボールとゴミ袋が玄関先に集められている。部屋の内装に大きな変化は無かったが、物が少なくなったことで侘しさが出てしまっていることも確かだった。

 私は労いの意味を込めて茜を外食に誘った。明日は祝日であり、互いに仕事はない。少しばかり贅沢してもいいだろうということで、居酒屋の個室で乾杯した。

 料理よりも先に届けられたカルーア・ミルクを喉に通すと、ほの甘い香りが鼻腔を抜けていく。

「二日間お疲れ様でした。そして、手伝ってくれてありがとうございました」

「いえいえ。それで、本当にご馳走になっていいの?」

「当然。これくらいのお礼はさせてよ。好きなだけ頼んじゃって」

「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」

 レモンサワーをちびちびと口に含む茜がペコリと頭を下げた。

 青葉の持ち物を整理するにあたって、茜には大変お世話になっている。手伝い自体は彼女から申し出たことであるが、礼を尽くさないわけにはいかない。そういうわけで、今日の晩餐は私の奢りである。

 会話を織り交ぜつつ飲食と注文を繰り返すこと一時間。お酒の力を借りることで、私は本心を曝け出していた。

「私ね、本当は遺品整理が怖かったの。青葉のことを忘れたくない一心で鬱々と引きずってたから。そんな状態であの人の私物を手元から離すなんて、考えられなかった」

 茜は私の語りをトロンとした目で聞いている。彼女はお酒に強い方ではないため、既に酔いが回っているようだ。

「茜が手伝ってくれるっていうから勇気を出して挑戦してみたわけだけど、案ずるよりも生むが易しって感じで、意外と平静を保って作業できた。茜のおかげだよ」

「私のおかげ?」

「うん。茜が私の話を真剣に聞いて、青葉との思い出を共有してくれたから。忘れまい、忘れまいと自分の中に閉じ込めるようにして記憶に固執していたんだけど、それは間違ってた」

 青葉が亡くなってから二年。私がすべきことは青葉との思い出に縋りつくことではなかった。一つ一つのエピソードと感情を整理して、誰かと共有する────たったそれだけで「青葉は確かに生きていた」ということを証明できた。気づくのに時間はかかったが、私はようやく彼女への依存心を解放できるようになったのだ。

「だから、茜には凄く感謝してる。やっと私も前に進めるようになったんだなって」

「……よかった。千尋ちゃんの力になれて、本当に良かった」

 茜は熱い息を吐いて、安堵したように胸を撫で下ろした。それだけ私のことを案じてくれていたのだと思うと、胸の内から込み上げてくるものがある。

 私は溢れそうになる涙を拭って、手元のお酒を呷った。




 良いことの後に悪いことがあるというのは定説で、私もその浮き沈みの波に呑み込まれてしまっていた。

「千尋ちゃんの匂いだ~」

「茜、酔いすぎだって。ほら、しゃんとして」

 時刻は零時を回ったところ。タクシーを使ってどうにか帰宅した私は、もたれかかってくる茜を支えて寝室へ通す。

「茜と飲みに行くのは控えよう……」

 ふにゃふにゃになった茜をベッドへ横たえる。アルコールには弱いがお酒は好きらしく、茜は最終的に十杯近くのカクテルを飲み干していた。酔いが回ると自制できなくなるタイプらしい。普段の飲み会でこんな隙をみせているのだとしたらマズいのではないか……と考えたが、以前「外では飲まないようにしてるんだよね」と言っていたことを思い出した。今日は私が付き合わせたこともあって、無理をしていたのかもしれない。

 彼女は既に夢うつつなのか、蕩けたような目で私のことを見上げてきた。

「あ、ちひろちゃんだ、久しぶり~」

「この二日間ずっと一緒にいたんですけど……」

 今しがた私の存在を認識したらしい茜はペタペタと私の身体に触れてくる。

「元気あるならメイク落とした方が良いよ。動ける?」

「むり。ねむーい」

「はいよ。それじゃあ、私はシャワー浴びてくるからこの手を離してね」

 私の腕を握る茜の手を引き剥がしてシャワーを浴びに行く。髪を乾かして、歯を磨いて、パジャマに着替えて寝室を覗くと、茜は寝息を立てていた。

「寝顔はそっくりなんだね」

 口元が僅かに緩んでいる茜の寝顔は、かつての青葉によく似ている。懐かしくて頭を撫でようとするが、その手は途中で止まっていた。

 ────彼女は茜であって、青葉ではない。

 そんな当たり前の事実に思い至って、私は身体から力を抜く。ふわあ、とあくびをすると、一気に眠気が襲ってきた。

 茜が眠るベッドはダブルサイズであるが、流石に同衾するわけにはいかない。私は来客用の布団をリビングに敷いてそこで眠ることにした。


 ◆


 それからというもの、私と茜は会う機会を増やしていった。月に一回から隔週。隔週から毎週。休日や平日を問わず、時間があれば食事に行ったり遊びに行ったりするような仲にまで進展していた。きっかけはやはり、私が青葉の死と向き合えたことだろう。人付き合いに時間を割く元気が無かった私に心の余裕ができたことの証左でもある。

 茜との連絡は専らメッセージアプリで行われた。お互いに会社勤めの身であるため、なかなか電話はかけづらい。そして、これがまたじれったい。

「あら広末さん。ケータイなんかジッと眺めちゃってどうしたの?」

「ああ、友達にメッセージを送ったんですけど、早く返ってこないかなって」

「友達? 彼氏さんとやりとりしてるんじゃないの?」

「いいえ、そういうんじゃないです」

「怪しいわ~」

 職場での休憩中、茜とのタイムラインをボーっと眺めていると、ゴシップ好きの先輩社員に在らぬ疑いを掛けられる。面倒になった私は適当な言葉で誤魔化してその場を後にした。

 場所を変えて再びスマホに目を向けると、茜からのメッセージが入っていた。

『ちひ:今日は定時退社?』

『茜:何事も無ければ定時で上がれるかな』

 おおっ、と声が漏れそうになるのを我慢して、私は素早くメッセージを入力していく。

『ちひ:美味しそうなイタリアンレストラン見つけたからさ、晩御飯そこに食べに行かない?』

『茜:いいね。行こうか笑』

『ちひ:やった! それじゃあ、仕事終わったら連絡して』

『茜:了解。お仕事がんばろうね!』

 お仕事がんばろうね、か。茜らしい、前向きで優しい言葉に思わずにやけてしまう。

 人間、目標があれば頑張れるもので、いつもより早めに仕事を終えることができた。退社してすぐにスマホを開く。

『茜:ごめん、仕事任されちゃって今日は無理かも』

『茜:週末に埋め合わせはするから泣』

 私は内容を確認して項垂れた。ガックリするくらいには茜との時間を楽しみにしている自分がいた。

「……いや、待てよ」

 これは却ってラッキーかもしれない。茜の週末のスケジュールを予約したも同然なのだから。

『ちひ:土曜日は朝から付き合ってもらうからね!』

 メッセージを残してスマホを閉じる。今週の楽しみがまた一つ増えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ