帝者、何かを失う
時は刻々と経過し、既に太陽は沈んでいる。そこまで暗くはないものの、決して明るくはない。
ようやく消えた記憶映像の余韻と、どんよりした空気が、俺を落ち着かせる事はなかった。
「ーーディル様、遅くなりました」
エルスはゲルダから剣を抜くと、滑るようにこちらに来る。
隠絶剣シェルザスト。
デルスティアとは別の、もともとエルスが使っていた剣だ。柄の所々がエメラルドに輝いている。
彼女と目を合わせ、俺は少し顔をしかめた。
エルスは一度ゲルダに負けている。全力を出そうとも、実力差は歴然だ。
彼女の表情からも、多少の不安が受け取れた。
しかし何も口に出さずに、彼女の次の言葉を待った。
「隠絶剣の準備が整いました」
剣身にへばりついた血を落とすと、エルスは白銀に隠絶剣を掲げてみせた。
隠絶剣は、その名の通り魔力を隠す能力を持っているのだ。より多くの魔力を流し込めば、魔力を完全に隠す事が出来るのである。
隠絶剣の力が発動すれば、俺でさえ気を張らねば魔力を感じる事は出来ないし、それ故に、急襲されたら堪ったものではないだろう。
魔力操作で完全に負けている以上、デルスティアではなくシェルザストを選んだ彼女の判断は間違っていない。
だがしかし、隠絶剣の力だけで倒せるほど、ゲルダは弱くない事も事実だ。
色々な考えを巡らせていると、少しの間を開け、甲高い笑い声が聞こえた。
「ーーククク……」
エルスの背後に視線を向ければ、俯いたゲルダの姿が映る。腹に出来た大きな傷はすごい速さで治っている。
やはり、ゲルダにあの程度の攻撃が効くなんて事はなかったのだ。
ゲルダは鎌の形の影心剣をクルクルと回している。
「やってくれますねぇ…………。ですがーー」
再び、ピタリと構え直すと、刃先をエルスへ向けた。
エルスも態勢を整えると、互いに睨み合う。
二人の間には、一瞬の隙すらも感じられなかった。
ズドンッと大きな衝撃と共に、ゲルダの姿が消えた。
「ーー貴方では相手になりませんよ!!」
遅れて声が聞こえてくる。少し怒りが混じっているのか、妙に圧を感じた。
ゲルダが言いきった寸分後、二度目の衝撃が身体を襲った。
とても目では捉えられない速さだ。
鎌と剣が交わる音と、二人の声だけが虚空より響いた。
「ーー貴方は既に敗北している。勝てない事は分かっているはずですが……」
「……そう、私はあなたには勝てない」
ガキンッ、と大きな音を鳴らすと、二人の動きが止まる。鎌と剣の刃が押し合い、金属の鈍い音が続いた。
「ーーだけど……今は一人じゃない!!」
「「ーー黒滅砲!!」」
ど太く、どす黒い魔力の砲撃が二つ、ゲルダを中心に重なる。闇の魔力が渦を巻いて、漆黒の炎が空間を焼き尽くしていった。
声がした方を見ると、ネスティアとフェルゼンが手を掲げていた。
「妾たちもいるのじゃ!」
「あの時の礼をさせてもらうぞ、童!!」
地面を彩る魔法陣にも、隠絶剣の加護がかかっているのか、魔力が一切感じられない。
彼女たちは詠唱を続け、新たな魔法陣を次々と作っていく。
「その程度で終わらせると思うでないぞ!」
「我を相手にした事、後悔させてやる!!」
二人で手を繋ぎ、未だに暗黒に囚われているゲルダにもう片方ずつの手を向けた。
そのまま数発の砲撃が放たれると、さっきの砲撃に幾重にも重なっていく。
魔王の娘と魔狼の王の合わせ技だけあって、とてつもない威力だ。
しかし、砲撃が止むのを待たずして、またしても闇から甲高い声が聞こえてきた。
「ーーフフ、クハハ、いいですねぇ、仲間というのは」
闇の内から現れたゲルダ。その体には傷ひとつない。
「せいぜい足掻きなさい。いくらでも相手をして差し上げましょう」
服についた埃を払いながら、ゲルダは言った。相変わらずなめきっているのか、かなり隙が多い。
すかさずエルスは隠絶剣を振り、ゲルダを一方的に攻めていく。
空中にも展開された魔法陣から、度々魔法が放たれると、ゲルダはその度にエルスの剣撃をその身に食らっていた。
俺も自らの瞳に魔力を込め始める。
二人の戦いを全て眼に捉え、そして、脚で思い切り空を蹴り飛ばすと、三度目の衝撃が空気を震わせた。
「……ほう、貴方もまだ戦うのですか」
ガッ、と隠絶剣の剣筋がズレた。
「……うっ、あっ!」
今まで互角程度と思わせていたのだが、ゲルダは隠絶剣を軽く弾き、俺の背後からの攻撃をスレスレで止めた。
「再起不能かと思いましたが、なかなか強い精神をお持ちのようですねぇ」
「ーーふっ、お褒めに預かり光栄だっ!!」
力を込めて振られた剣は、幾度となくぶつかり合い、何者をも寄せ付けない波圧を放っている。
「お前は確かに強いな。俺が戦ってきた相手の中じゃ、お前が一番だ」
ゲルダよりも速く、強く剣を振り、どんどんゲルダを押し下がらせていく。
「戦略も、戦闘も、お前以上に凄いと思った奴はいない」
更に剣の速さを上げ、ゲルダが口を開ける余裕すらも与えない。
「ーーだがなーー、いやーー」
エルスたちは迫り来る衝撃波に耐えるように、いくつもの結界を張り巡らせていた。
俺はズンズンと前に進んでいく。怒りも悲しみも、全てが力に変わっていった。
そして、俺はずっと心に思っていた事を口にした。
「ーーだからこそーー」
身体から溢れる闇と光の力までもが、俺の剣に伝っていく。抑えきれない力が、ゲルダを、俺自身を飲み込んでいた。
「ーーこの世の明日に、お前と俺はいらないーー」
ガキンッと音がして、一際強い衝撃が結界を破壊した。
俺の渾身の一撃を、ゲルダは受け止めていたのだ。
そして次の瞬間、身体を締め付けるような波動が駆け巡った。
辺りを見れば、まるで時が止まったかのように、俺とゲルダ以外の全てが静止していた。
「ーー遊びは終わりですよ」
そう言うと、一瞬、ゲルダの左眼が鈍く光った。
何か、とても嫌なものを感じた。
だがしかし、何かとはなんなのか考え始めるよりも早く、ソレは俺の耳に届いた。
ーーガッ、ズズズ、ドドドドオオォォォォーー
見なくても分かる、膨大な魔力の波動。斬撃にもにたそれは、全てを蹴散らし、破壊して進んでいるのだ。
だが、俺の感情に大きな穴を開けたのは、その音じゃなかった。
倒壊音に混ざって聞こえた、ほんの小さな悲鳴との哀しい響音。
ーーザンッーー
思えば、今日は何度も聞いている。
昔から俺のすぐ横を駆けていた音なのだ。聞きなれるなんて次元の話じゃない。
それは、俺の生活の一部に組み込まれているとすら感じられる。
でも今日の、今この瞬間に聞こえた音は、俺の生活の一部じゃなかった。
なにせ、俺の感情に、心にまで届いたのだから。
俺はゆっくりと身体を動かした。
多少の震えもあった。もうゲルダなんて視界にすらいない。
何も考える事なく、俺はその哀しみに満ち満ちた音のした方に振り返った。
今日受けた衝撃の、どれよりも強い衝撃が俺の心を襲った。
そして、そこに映っていたものを、その光景の意味を理解して初めて、今まで俺を俺たらしめていた何かが消えた気がした。
またまた崩れたリュウヤの心。これで何度目なんでしょうか?
もう三章の終わりも近いです。
次回もお楽しみに!
・久しぶりの更新の後に悪いのですが、活動報告は暫く休みますm(_ _)m




