帝者、蝕まれる
再び薄暗い闇に閉ざされた密室の中。
スヤスヤと眠る明るい茶色の髪の赤子が、部屋の中央に浮いていた。
俺の瞳に流れるゲルダの記憶。奴と剣を交えながら、意識の半分をそれに集中させる。
「……しぶといな」
大きな剣撃がぶつかり合い、互いの力が拮抗する。
俺はひとつ呟くと、空を蹴って大きく後退した。
しかし、ゲルダは俺を追い詰めるように迫ってくる。
もの凄い速さで迫るゲルダの姿が、ほんの数メートル先で突然消えた。
「フフ、やはり貴方は面白い」
背後から聞こえる声にバッと振り向き剣を振り下ろす。
たしかに魔力を感じたのだが、そこにゲルダの姿は無かった。
「ーーっ!」
息が漏れ、頬から血が流れた。
肉眼で捉えられないゲルダが、何度も俺を斬りつける。
顔に腕に脚に、切り傷はどんどん増えていった。
自動制御が、勝手に傷を直していくも、傷の増える早さがそれを上回る。
「くそっ、いい加減頭にくるぞ!」
怒り混じりの声と共に、感じた魔力の方向に剣を振っていく。だがしかし、まだまだゲルダの動きの方が早かった。
ーーまさかここまで苦戦するとは……。
剣を振るうのをやめ、一度、精神を集中させた。
今の俺は慌てすぎている。精神的に受けたダメージと、ずっと流れているゲルダの記憶映像。この二つに蝕まれ、俺は限りなく集中力を欠いているのである。
ーーやはり、アレを使うしかないのか。
心の中でそう呟く。
目を閉じ、身体を斬りつける剣の軌道を頭に描いた。
じっと待っていると、ついにチャンスが訪れた。
「私と戦い、ここまで生き残るとは」
背後に感じる声と魔力。
慌てず、周囲の空間全てに意識を集中する。
「ーーそこかっ!!」
ガキンッと軽快な音が短く響いた。剣と剣が交わると、ようやく動きを止めたゲルダ。
すかさず次の攻撃を入れ、俺は畳み掛けるように剣を振るう。
攻めながら、だんだんと剣に魔力を送っていく。
「ーー連技の舞よーー」
剣身が鋭い輝きを放ち、次の瞬間、空間そのものに幾つもの亀裂が出来た。
「ーー長剣!!ーー」
何度か身体に斬撃を受けながら、ゲルダは上手く受け流していく。
俺と対等に、今に限っては対等以上の実力を見せるゲルダ。そして、俺とは対照的に、内から醸し出される余裕。
楽しさこそ感じないが、命を賭した戦いをしている気がした。
ゲルダが俺の剣を弾き、空を滑るように後退する。
「フム……なかなかやりますねぇ。ですがーー」
一瞬、ゲルダの剣の形が歪んだ。
「ーーまだまだ甘いですよぉ?」
ザンッ、と肉を貫く音が体内から聞こえる。気がついた時には、俺の腹に大穴が開いていた。
同時に聞こえるのは、小さな悲鳴だ。戦いに集中するあまり、視界にすら入らなかったエルスやネスティアたちの、甲高い悲鳴が耳に届いた。
「……なかなか痛いな」
「ほう?」
腹を摩り、たいした痛みもないのに、俺はそう口にした。
ゲルダはやはり俺の内を見抜くように、ニヤリと口角を上げた。
流れる事をやめない記憶映像には、昔のゲルダが詠唱をしている姿が映っている。
さして先程と変わりなく、さっきのように気にはならなかった。
二人向かい合い、数秒の沈黙が流れた。
俺の眼に映っているのは、ゲルダの持つ剣だ。直剣であったはずのそれが、剣身をぐにゃぐにゃと曲げている。
思いのままに形を変える剣。そんな所だろうか。
「影心剣ディターニル」
聞いたことのない名だな。
ま、こいつから出てくるものだ。不思議はない。
「この子は私の心を映す鏡のようなものでねぇ」
剣身をさすり、傷のある顔を剣になすりすける。刃が肌に当たっているにも関わらず、傷ひとつついていない。
さすがは影心剣の名を持つだけある、と言ったところか。
「ーーん?」
ふと動きを見せた記憶映像に視線を移す。
ゲルダが黒髪の赤子のかごに近づき、その額に、どこからともなく取り出した杖で触れた。
部屋の中央床と上空に大きな魔法陣が二紋。刻まれた文字は、かつて一度だけ見たことがある。
ーー先住種族ーー
神か魔神か、大昔に世界を支配していた者共の使っていた上位魔法。それに使われた聖刻文字である。
直接触れられた触媒から、赤子の中に魔力が通っていく。赤子とゲルダ、二人はひとつの魔力の糸で繋がれ、ふたつに合わさった魔力と魔法陣が反応していた。
実際に魔力が感じ取れる訳ではないが、俺の眼には、それがクッキリ、ハッキリと見えた。
『フッ、フフフ、フハハハハ! やはり内部への干渉は可能のようですねぇ』
力が吸い取られる事もなく、ただ二人の繋がりが強くなっていく。
心配する程の事は、今は何も起こっていない。
ただ、ただひとつ気になるとすれば、部屋の中央に浮く、茶髪の赤子だけだ。
『ーーこれで貴方は力を失う』
たった今、俺の目の前にいるゲルダとなんら変わらない、とても嫌な笑い顔を、映像のゲルダは浮かべた。
視界の端で、影心剣がゆらりと動いた。どんどん形を変えていく。
俺はほとんど治った腹から手を離し、剣を強く握りしめた。
「どうです? 全てが貴方のせいだと、分かりましたか?」
鎌の形に落ち着いた影心剣を軽く振り、挑発的に言うゲルダ。
「……どうだろうな」
遠くを見つめて、もの悲しく言った。
知りたくない事実。だけど知らなければならない事実。
全てが掴めた訳じゃない。
でも、近づいて欲しくない過去に、だんだん近づいている気がした。
ただ、見たくもない世界を見ないでいる事を、俺の心は許さなかったのだ。
流れ続ける映像は、やはり無情に進んでいく。ゆっくりと、まるで俺が確実にそれを見られるように。いや、俺に全てを見せるように。
ゲルダとの戦いの中に、時々訪れる無言の間。
時の経過と共に、俺の心は蝕まれていった。
ゲルダが影心剣を低く構えた。
「そろそろ、ですかねぇ」
空気を蹴る音が鳴る。力強い衝撃波は地面まで届いていた。
俺も咄嗟に空を蹴り、剣を上段に構えて向かっていった。
しかし、その剣が影心剣を捉える事はなかった。
「『ーー神にも勝る力を持ち産まれたことを、後悔するといいーー』」
頭の中に直接響く声。瞳に流れる映像。
二人の赤子を繋ぐ、ゲルダの大魔法。
「『ーーディル・ミレナリア!!ーー』」
再び声が重なった時、俺の身体は、自然と動きを失っていた。
ゲルダと影心剣が、凄まじい勢いで迫ってくるのが見える。しかし、勢いがあるはずなのに、かなり遅く感じた。
その間にも、映像の音が流れ込む。
『フハハ、成功だ。成功したぞ!!』
『……成功、ですか……』
『ああ、成功ですよ! この子の魔力を、全て彼女に移せたのです。これでこの世界の崩壊は免れました』
灰色の鎌が目の前に迫ってくる。
あと少しで、俺の心臓を抉るのだろう。
『貴方には悪いですが、犠牲は付き物です。ですが、その功績は讃えましょう。今後は好きに生きなさい』
避けようとは、思えなかった。
何故ならば、次に来る言葉が、鮮明に浮かんでしまったから。
『ーーフィア・エルセイルーー』
ズザッと、肉を貫く音が聞こえた。
しかし、今度は俺の骨を伝ってきた音じゃなかった。
「ーーディル様!!」
呼びかけられて、ようやくハッと意識を戻す。
ゲルダの灰色の鎌は、俺の心臓寸前で止まっていた。
そして、代わりにゲルダの心臓が、エルスの隠絶剣によって貫かれていたのだった。
記憶映像に映った赤子二人と、ゲルダが発した二人の名前。
フィアとディルの関係も、だんだん分かってきたんじゃないでしょうか。




