帝者、剣を交える
黒いマスクに隠された刻印が艶めかしく、以前と同様に何を考えているのか想像もつかない表情で俺たちの顔をまじまじと見つめている。
赤と青の双眸にも捉えどころはなく、至近距離にして一切の隙は存在しなかった。その上、この場に走る緊張感が煽るように俺たちの心を蝕んでいく。
逃げることの出来ない状況を、ただ嘆くしかないのだ。
幾らかの時間が経ち、睨み合っていた俺とゲルダの視線が一瞬だけ途絶える。
その一瞬で、俺たち二人の姿はそこから消えた。
「ーーフハハハハ、よもや俺に着いてこようとはな!」
「貴方こそ、私に着いてくるなど烏滸がましいですよぉ?」
遅れて迫る風圧にやられる皆を見下ろす形で、俺とゲルダは空高く飛び上がっていた。
そして異空間から取り出した長剣を片手に、隙のない姿勢を保ち続けている。
互いに向かい合って貶しあい、相手の刹那の動きをその眼で捉える。
コツンッ、と瓦礫の一部が崩れる音が聞こえ、再び俺たちはそこから姿を消した。
「なんじゃ……なんなのじゃ、これは」
「くそッ、悔しいが我にも太刀打ち出来ぬぞ」
ガキンッ、ガキンッ、と剣と剣の交わる音が高らかに響き、姿こそ見せないものの、いくつもの衝撃波が空間を抉るように進んでいく。
ネスティアもフェルゼンも、目に見えない速度で繰り広げられる戦いを、ただ呆然と眺めているしかなかった。
メリルやエルスは余裕の表情で、ニャルルは衝撃波を避けるのが精一杯で戦いなど見てはいない。
「貴方は、どうやら少し変わったようですね」
剣を交えながら、ゲルダが言った。
「何がだっ!」
「それでも戦う気があるのですかねぇ?」
ガゴギンッと一際大きな音が響くと、俺たちの姿が空中に露わになった。
そして、クルクルと回って飛んでいく剣先が地面に落ち、グサッと地面に突き刺さる。
「今の貴方は本当の戦いを忘れているのではないですか?」
「フッ、笑わせるな。お前如きが相手になるとでも思ったか?」
ゲルダの剣は俺の首元に当てられ、俺の剣は刃が折れてただの棒とかしている。
それでも俺は表情一つ変えずに会話する。
「偽物の神に、俺が負けるはずがないだろう」
「いえ、貴方は負けますよ」
「自分で作った人形に、この俺がか?」
正解の存在しない会話に、少々ムキになってしまう。
どうしても負けられない戦いは、実剣を使った生身の勝負でも、どうでもいい言い争いでも同じだった。
我が師メリルを手にかけ、我が友フェルゼンを呪い、我が配下を支配した。
その事実が俺に齎す怒りの量は、それだけで世界に影響する程までに膨れ上がっているのだ。
「お前がどうしようとーー」
「ーーフィア・エルセイル」
「ーーっ!?」
俺の言葉を遮って奴の口から飛び出したのは、あろうことかフィアの本名だった。
知るはずもないフィアの事を、奴は知っている。そればかりではない。俺が他の世界から来たことですら、奴は知っていた。
俺が今まで流し続けた疑問たちが、今になって溢れかえるようにして現れる。
「なぜっーーなぜお前がフィアの事を知っている!!」
力のこもった言葉には凄まじい圧が乗り、俺の首元に当てられていた剣が粉々に砕け散る。
同時にパリンッと音が響き、周囲を囲んでいた翠の結界も光となって消えてしまった。
「答えろっ!! ゲルダッ!!」
グシャッと奴の首を鷲掴みにして、俺は大きく力をかけていく。
しかし、奴は苦しむ様子ひとつ見せずに、ただニタニタと不敵に笑っていた。
「あの少女が、そんなにも大事ですか?」
「うるさいっ! 質問に答えろ!!」
奴を掴んだ右の掌に沿うようにして、小さな魔法陣を構築する。
流石にこれには焦ったようで、瞬間移動で奴は俺の真後ろに避難した。
そこをすかさず新たな剣で狙い、今度は俺が奴の首元に剣を突きつける状態になった。
「さあ、答えろ、ゲルダッ!!」
「貴方が苦しむだけだと思いますが……」
ゲルダは両の手を上げて、長い瞬きをする。
「仕方がありませんねぇ」
そして再び目が開けられると、奴はゆったりとした口調で話し始めた。
「あの少女が生まれた時から、私は彼女の事を知っていました」
遠い過去を思い出すように虚空を見つめるゲルダの表情は、やはりいつもと変わらない。
「あの少女は死ぬ為に生まれて来たのですよ」
「……死ぬ為……だと?」
「ええ、そうです。それも貴方の所為で」
「どういう意味だ!!」
淡々と変わらぬ口調で話し続けるゲルダに対し、俺はどうしても感情を抑えられなかった。
フィアが死ぬ為に生まれてきた。
そんな言葉を信じたくないのに、なにか胸に刺さるものがあった。
「そうですね、貴方には知る術がありませんでしたから。仕方ない事ですよ。ですが、貴方と出会う前も後も、ずっと不治の病で床に伏していた。その偽りの事実だけは変わりません」
「……なにを……」
きっと、俺の所為だ、なんて一言がなければこんなに心が縛られる事はなかった。
俺が奴の言葉に信憑性を覚えたのは、心の中でフィアに対する負い目があるからなのかもしれない。
「これ以上は私の口から言っても意味がないでしょう。貴方が貴方自身の目で見てみるといい」
そう言って、ゲルダは首元に当たっている剣にその指を触れた。
その瞬間俺の中に魔力が流れ込み、何かの映像が流れ出し始めた。ちゃんと目の前のゲルダは見えているのに、映像もくっきりと見える。それは俺の心に投影された動画のように、何の違和感もなかった。
「ーーこれは……?」
数人の男女が二人の赤子を囲んでいる風景が、そこには映っていた。
『どうしますです? ほんとにやるですか?』
獣人の……いや、小人の少女が訊いた。
本当に目の前で起こっているかのように、声が心の中に直接響いてくる。
「どうやら成功したようですねぇ」
映像の声と重なるようにゲルダの暗く高い声が聞こえる。
重なっているのに、どちらも鮮明に聞こえた。
「記憶送信でしたか? これは使い勝手がいい魔法ですねぇ」
「……お前の記憶か」
俺の特性魔法、記憶送信は自分の記憶を相手に送る事ができる。
なぜこいつがそれを使えるのかは知らないが、こいつの記憶である事には間違いない。
俺の意思に構う事なく、映像は止まらずに流れ続けた。
『仕方がないのです。神に告げられた事なのですから』
神父のような格好の男が、真っ白な髭をわさわさと触りながら言った。
その視線の先には赤子が二人。
『うーん、この子がほんとに脅威となるです?』
片方の赤子の顔を覗き込んであやしながら、再び少女は訊いた。
『神が仰るのですから、信じるしかないのですよ』
あいているのかも分からないほど細い目を赤子に向けながら、表情ひとつ変えずに答える神父。
おそらく神のお告げとやらで、一人の赤子の命が絶たれようとしているのだろう。酷い話だが、古き時代にはよくあった事だ。
『しかしまぁ、こいつが世界を滅ぼすたぁすげぇお告げがきたもんだな』
背中に大剣を背負った大男が大きな指を赤子に近づけると、赤子は嬉しそうにその指を握った。
彼らに悪意がある訳じゃない。なんとなくそんな気がした。
俺は剣をゲルダに突きつけその身を見張ったまま、時が流れるのを忘れて心に流れる映像を無言で見続けていた。
ゲルダさんとの戦いは、早すぎて誰も見えてなさそうですね。
それにまたどこかへ飛んでしまいましたし……いったいどうなるやら……。
次回もお楽しみに!!




