帝者、禁忌を越える
帝王エルスの奇行、天に伸びた、そして天から伸びた柱に続き、光の中から突然現れた大精霊メリル。
数々の事態に、絶叫する者あり歓声をあげる者ありと、どれだけ時が流れようとも人々の騒ぐ声は絶えなかった。
「ーーあの、この手は……?」
既に魔力は消え、ただ頭に置かれているだけになっている手を、メリルは不思議そうに触っている。
「メリル、俺のこと、覚えているか?」
彼女の質問には答えずに、俺はひとつ質問を返す。
ディルガノスとしての俺以外、何も覚えていない。そう返ってくるのは目に見えていた。
それでも、確認するように訊いてみる。
「キミのことはよく覚えてるよ、ディルガノス」
五千年前と、いや、五千五百年前と同じ、優しい顔と声が俺の名を呼んだ。
「…………やはりーー」
暖かいはずの手のひらが、少し冷たく感じる。いつ見ても綺麗な瞳にすら、どこか寂しさを感じた。
「ーー覚えていないか」
「…………?」
もしかしたら、なんて思う方がおかしいのかもしれない。
どの道もとに戻るのだと理解しているのだが、未だにそう思ってしまう自分がいた。
「ぼくからも質問していい?」
「ああ、なんだ?」
弟子であったディルとしてではなく、帝王ディルガノスとして、俺は返事をする。
すると、至極真っ当な質問がメリルの口から放たれた。
「なんで、キミがここにいるの?」
俺は黙ったまま、その手に魔力を込め始めた。
今度はメリルに流し込むのではなく、魔法を発動させるために。
「……少し、目をつぶっていろ」
師匠と弟子の感動の再会、のはずなのに、俺たちの間には記憶の壁が、大きな障壁が聳え立っている。
それを壊すべく、俺は最大限に魔力を込めていった。
「お前の質問に答えてやる」
メリルが目を閉じたことを確認し、俺は魔法を発動させた。
身体を包むように開かれた魔法陣。その数五つ。
いくつもの層が重なり、色鮮やかに輝いている。
やがて魔法陣の広がりは増し、メリルの姿は再び光の向こう側へと消えてしまった。
「ーー超解析ーー」
詠唱により、第一紋の魔法陣がクルクルと回転を始める。
解析の青い光が彼女の深層まで、記憶から何から全てをデータとして集めていった。
「ーー検査ーー」
第二紋が回りだし、メリルの身体を隈なく調べていった。脈は正常か、怪我はないか、身体機能に異常はないか。
「ーー複写ーー」
第三紋が動き出すと、一度読み取った記憶のみを完全に写しとる。写しとった記憶は魔法陣に保存され、書き換え可能な状態に変えていった。
「ーー共鳴ーー」
第四紋に魔力が込められて、頭に乗せられた手から、俺の記憶が魔法陣に読み取られていく。
メリルの深層に閉じ込められていた記憶と、俺の記憶の共通する部分とが重なり、新たな記憶を形作っていった。
「ーーこれで、最後だ!」
重ね掛けられた魔法陣の輝きが大きく辺りを照らし、その神々しさに周囲のざわつきが少しだけ収まっていく。側で見ていたニャルルも、メリルが現れてからずっと跪いたままだ。
騒々しくうるさい街の中央に生まれた、たった一瞬の静けさを肌身に感じ、俺は最後の魔法を唱える。
「ーーーーっ!?」
口を開き、詠唱を始めようとした瞬間だった。
ーーーーズドドドドドドオオォォォォ!!!!
はるか遠方、距離にして数百キロメートル先の空から、何かがこちらへ近づいている。
漆黒の龍虎の如く天頂を駆ける凄まじい魔力が、俺を目掛けて飛んでいた。
「ーーいや……違う……!」
ごくごく一瞬の間に軌道が変化したのを、俺は見逃さなかった。
狙いは俺、ではなく、大精霊メリルだ。
「……この魔力……」
目を閉じたままのメリルも、この異常事態に気づいたようだ。
だが、俺が大魔法を行使していること自体が、言ってしまえば異常なために、彼女はそれほど気にしてはいなかった。
「随分と遠くに感じるね」
遠く……たしかに遠くなのだが、その距離は猛スピードで近づいている。
これ程の威力の魔法に、遥か遠くから届く魔力……とそうでない力は、間違いなくアイツのものだ。
ここで魔法の行使を止めて、俺一人で万全の状態で迎え撃つか、メリルの記憶を戻してから、二人で連携して戦うか。
どちらにせよ、この場に集まっている有象無象の集団を護りきる自信がない。
「…………爆弾なんて比じゃないぞ……」
ぼそりと呟く。
多くの命の為には、安全策を取るほかなかった。
スッとメリルから手を離す。
魔法の行使は中断され、重なった五紋の魔法陣は粒となって消えていった。
「ーーどうしたの?」
理由が分からない訳ではないだろうに、メリルは少し笑いを含めて訊いてきた。
後ろで手を組み、前かがみになって下から俺の顔を覗き込む。
「漆黒の帝王ディルガノス。キミはそんなに弱気な人間だったかな?」
いたずらに笑って見せるメリルには、まるで未来が見えているようだ。
そんな彼女を前に、少しだけ表情が緩む。
「ーーそうだな、俺はディルガノスだ」
一歩下がり、後ろを振り返った。
有象無象の集団は、この異常事態にも気付かずに祭りを楽しんでいる。
遠くの空を見上げて目を凝らすと、大空に針で刺したような小さな点が見えた。
その様子を見て、俺の側にニャルルが寄って来る。
「……あの、リュウヤくん?」
状況は飲み込めていないものの、俺とメリルの行動と雰囲気の変化に違和感を感じたようだ。
「大精霊様も、どうなされたのですか?」
俺の時とは違う、畏まった口調にイラッとしたりしなかったり、だがしかし、そんな事を気にする暇は俺にはなかった。
どんどん近づく魔力の塊は、次第に針先からペン先のように、垂らした絵の具が滲んでいくように広がっていく。
「ニャルル、ここにいる魔導師全員で、大きな結界を張ってくれ」
「……えっ?」
「急げ! 早くしないと、皆死ぬぞ!!」
ニャルルに怒鳴りつけ、俺も持てる魔力の全てを解放する。
身体から溢れるは、漆黒の闇と白聖の光。互いに混じり合い、神々しくも禍々しく輝いている。
「ーーみんなっ! 都市に結界を張るんだ!! 早くっ!!」
俺の魔力の雄々しさに見惚れる多くの魔導師たちや、観客に紛れ込んでいる数々の冒険者たちに、ニャルルは何度も何度も叫んでいた。
あまりに突然の出来事について行けない魔導師たちに対して、自らが率先して結界を創り出すニャルル。ギルド長の肩書きは伊達ではなく、次々と魔導師たちが結界を張り出していった。
「…………なんとか持ち堪えてくれよ?」
多重に張られた結界は弱々しく、アレを抑えるには数も厚みも足りない。
そんな事は重々承知の上で、俺は転移魔法を唱える。
「キミなら、大丈夫だよ」
転移する瞬間、メリルの声が聞こえた。
俺なら大丈夫。そんな事は分かっている。
本当に心配なのは、ここにいる有象無象の集団と、かつてアイツに敗北しているメリルなのだ。
結界の外、ちょうど向かい来る魔力の塊に向かうように転移した俺は、身体から溢れる魔力を一点に集中させていった。
「ーー我に呼応すべし全ての魔力よーー」
向かい来る魔力の塊に向かい、俺は幾重にも魔法陣を重ねていく。
永き詠唱が示すは、対空に駆ける禁忌を越える禁忌。
「ーー我、帝王ディルガノスを根源としーー」
漆黒と白聖が生み出す魔法陣は、詠唱と共に空間に漂う魔力を吸い集めていった。
ここに居る全ての者の魔力を集めても尚届かないほどに高まった魔力の圧力が、大地を震撼させ、空間を歪め、人々の心を奮え上がらせる。
そして遂に、最後の一節が俺の口から放たれた。
「ーーこの世の理を穿て!! 聖者の魔響ーー」
魔力の渦に全てが消える。この世の終わり。
誰もがそう思った瞬間だった。
三十紋もの魔法陣の集まりから、昼間の太陽の光すらも呑み込む途轍もない白聖なる光が、漆黒なる闇を纏って放たれた。
辺り一帯が昼とも夜ともとれない、摩訶不思議な世界に変わる。
禁忌で創られた魔法と、禁忌を越える禁忌で創造された魔法。
二つの魔法が触れ合った刹那に、この世の時は止まった。
空気の流れも、人々の動きも、全てが止まって見える。
そして、一瞬が過ぎ、時の呪縛から解放されたその時、それは訪れた。
もはや音もなく何の力も感じさせない破壊のエネルギーそのものが、大都市を、俺たちを、この世ならざる消滅の世界へと誘うのだった。
戦い戦い戦い!!
やっぱり戦いですよね!
帝王の力、もっと発揮して欲しいです!
次回、更新日が二日ほど遅れます。すみません。
お楽しみに!!




