帝者、重ねる
チロチロと音を鳴らす噴水の石段に腰をかけて、ポツポツと灯りのついている住宅街を眺める。左手をギルドが明るく照らし、右手を深夜の闇が包んでいた。
境目に位置する住宅街は、まさにこの都市の光と闇の混じり合った場所であった。
ふと隣を見ると、半月を見上げ、暖かな光が映り込むセルの瞳と、解かれた髪の毛が静かな風に揺られる姿に、俺は目を奪われていた。
「ーー綺麗……だな」
つい、口から言葉が漏れ出る。
「ーーええ、綺麗ね」
月を見つめて、セルも言った。
やはり俺は酒に酔っているのか。
この光景を、いつかも見たことがある気がする。
じっと彼女を眺めていると、視線に気づいたのか、セルはこちらを見て笑った。
「こんな人が帝王の一角を倒しちゃうなんて、想像もしなかったなぁ」
足をバタバタさせて、どこか嬉しそうだった。
「ねえ、次は誰にするの?」
「……さあな」
その質問には答えられない。どこに行くか、誰を倒すかなんて、俺には分からない。今は、少なくとも五千年前よりは平和な時代だ。
身のまわりをやっと過ごしやすく出来たのだから、もう当分の間はのんびりとしたい。
「でも、アタシに聞きに来たのは他でもない帝王たちの話しでしょ?」
「それは違いない」
「ほら、やっぱり誰か倒すんじゃない」
俺にそのつもりはない。ただ帝王の事は把握しておきたいだけなのである。
だが、彼女は気にせずに続けた。
「東は深緑、西は煌黄、そして北は炎赤。それぞれ能力に基づいて色がついてる」
「まあ予想通りだな」
「深緑の帝王は温厚なんだけど……なんだか読めない人でね。君も聞いてると思うけど、大精霊祭に来るの」
唇に人差し指を当てながら、彼女は言った。
どうも深緑の帝王は女性らしいのだが、その実力は帝王の中でも二番だとか。
「黄煌の帝王は年寄りでね、裏の渾名は頑固ジジイ。なんでも剣術が得意でね、金髪と雷剣の速さを合わせて黄煌の帝王なんだー」
「黄煌の帝王か……」
剣術が得意となると、エルフか龍人族だろうか。頑固なジジイと言う限りだと龍人っぽいが。
いつか手合わせをしてみたいものだ。
「それで最後! 炎赤の帝王だね」
「……ついにきたか」
半月を見上げるセルと相反して、俺は欠けた月を睨んでいた。大精霊メリルを殺した張本人、炎赤の帝王。
はたしてどんな奴なのか……。
「大精霊様を殺した人であって、この世で一番強い人。人と魔族のハーフらしいんだけど……ギルドの方でも情報は少ないかな」
「そうか……」
あまり情報は得られない……か。だが、半人半魔と分かっただけでも上出来だ。
「もう一つね、炎赤の帝国には気をつけた方がいい。噂にすぎないんだけど、おそらく幻術使いがいるから」
「幻術使い? なかなか珍しい名だな」
「国に立ち入ったら最後、帰ってこないっていう噂が後を絶たないんだよね。きっと幻術の類だわ」
相変わらず足をブラブラさせているセル。俺は夜風に揺れる彼女の髪の毛を見つめながら話に聞き入っていた。
彼女を見ていると、やはり何かが頭に浮かんでくる。
いつかもこうして誰かの髪の揺れるのを見続けていたような気がするのだ。
暖かい日差しの中で、柔らかな膝枕で、優しい瞳を見つめ見つめられていた。
いつかの自分のはずなのに、思い出すことは出来なかった。
「なあ、なぜ俺に親切にするんだ?」
「うーん、どうだろうね? ほんの気まぐれ……かな?」
月を見上げたまま、彼女は笑っていた。
するとその時、ギルドのドアがギシギシとなる音がして、次第にテンポのチグハグな足音が聞こえてきた。
「おーいおい、マスターの嬢ちゃん。俺たちとは話してくれねぇのに、その坊主とは話すのかいな?」
酒瓶片手におぼつかない足取りでこちらへ近づいてくるモヒカンの男。種族は人間だった。
男は俺の前まで来ると、ジロジロと見定めるように言った。
「こーんなひょろひょろな坊主の相手するより、俺と一杯付き合わねえか? ……………………あ?」
セルの肩を掴もうとする腕を、俺は握りしめて止める。
「アタシ、べつにあなたと飲む気はないから」
セルは髪の毛を一つに結んで、キッパリと断った。
「こいつもそう言ってる事だ。諦めるといい」
「……なんだテメェ? 俺様とやろうってのかぁ?」
男が酒瓶を思いっきり地面に投げつけると、透き通った緑のガラスが辺りに散らばる。
そして、そのまま俺を殴ろうとするものの、当たる前に止まってしまった。
勝手に絡んできて暴力とは……これだから酔っ払いは嫌いだ。
だが…………今日は俺も少し酔っているようだ。
「ーーケンカを売る相手だけは考えた方がいいと思うがな」
「ほざけ小僧。この俺様に歯向かってただで済むとは思うなよ?」
「ほう、ただで済まないとは、いったいどういう事だ? 許可しよう。言ってみろ」
挑発的な発言ばかりを繰り返す俺に、流石に頭にきたのか、男は大声で叫びながら左腕をもう一度振りかぶる。
「こうなるって言ってんだよっ!!」
バコンッと鈍い音が響くと、辺りに赤い血が舞った。それもたいした量じゃなく、暗闇に目立つものでもなかった。
ただ俺は、自らの拳を抑えてもがきまわる大男の姿に呆れていた。
「すまないな、セル。血がついてしまった」
「……え?」
俺は彼女の方へと向き直り、その頬に手を被せる。そのまま親指を肌に沿わせて、赤い血を拭き取った。
「……ありがとう」
視線を下に向けて口をもごつかせるセルの顔は、少し赤くなっていた。
……彼女も酔っているのか。
「ーーくそッ、テメェ、よくも、よくもやりやがったな!!」
そうこうするうちに、血が流れる左手を抑えながら男が立ち上がった。
俺はなぜか右手は離さずに首だけ動かして男の方を見る。
手首を骨折したか。だがまあ、気絶しなかっただけマシだ。……アスガルもそうだが、冒険者というのはやたらと頑丈だな。
男はキッと俺を睨んで叫ぶ。
「ーーテメェ、覚えとけっ!!」
弱者の決め台詞を吐いて、男は暗い夜道をフラフラと走っていくものの、何度も何度も転んでは立ち上がっていた。
「……なんだったの、今の?」
「俺に聞かれても困る」
うしろ姿を呆然と眺めて、俺たちは言った。
「…………この手は……?」
「ああ、すまない」
「ううん、いいの……」
右手は尚もセルの頬に重なり、離そうとするのを彼女は防ぐ。
これも……どこかで…………。
膝枕の上で、あいつの頬に手を伸ばした。顔を見上げて、風に揺れる髪の毛の匂いに心安らいだ。
もうここまで出かかっているのに、ここより先には行けなかった。
「…………アタシたち、恋人同士みたいよ?」
深く過去を探るうちに、じっとセルを見つめてしまっていたようだ。彼女は目を逸らしながら、顔を更に赤くしていた。
そして一度だけ俺の瞳を見ると、少し悲しげな表情で下を向く。
「…………でも、君の眼に私は映ってないのね……」
「…………」
何も言わず、俺は彼女の頬から手を離そうとする。彼女もそれに応じて手を離した。
「酔いがまわり過ぎたようだ」
「……ええ、そうね」
俺はゆっくりと立ち上がり、さっきよりも低い位置に移った半月に目を向けた。
セルも俺に続いて腰を上げる。
「今日はもう遅い。俺はそろそろ帰らねばならん」
「アタシも今日はもう寝ようかな」
俺は少しだけ前に進み、足を止めた。
「また、共に飲もう」
「うん、待ってる」
曲げた脚に思いっきり力を入れ、俺は一瞬にしてその場から消える。
半月に重なるように宙に舞い空から見下ろす街は、さっきと同じように、静かに眠っていた。
出会ってすぐに落としにかかる帝王。これが無意識だったら凄いですね!
自分とは真逆だ……なんて……。あれ、この場合の逆とは……?
そんな事より次回ですよね。
次回も三日前後で更新しまーす^_^
お楽しみに!!




