帝者、酒に酔う
鳥も木も空気も寝静まった深夜、眠る街の中央からは明かりが漏れていた。しんと静まり返っている街も、いつもここだけは起きている。
噴水のちょぼちょぼと音の鳴る中に、ワイワイと混ざる声。目の前には明かりの灯った大きな建物。
ケルンの家から抜け出して、俺はギルドの前に来ていた。
「ーーギブリス……」
ポツリと呟き、足を前に進めた。
木を粗く削って作られた茶色のドアがカラカラと揺れる。酔っ払った冒険者たちが千鳥足で歩いていった。
揺れるドアの持ち手に手をかけ、俺は賑わいの場に足を踏み入れた。
「いらっしゃーいっ!」
ピンクのうさ耳をつけた女の子が笑顔で言った。他にも、うさ耳のメイドや本物のウサギの獣人もいた。
木の丸テーブルがたくさん並べられ、そのほとんどが人で埋まっている。同じパーティーで集まっているのか、知らない人と飲んでいるのか、はたまた一人で飲んでいるのか、男女種族問わず、多くの者で賑わっていた。
その中でも誰も座っていない、カウンターの人席に腰を下ろすと、桜色の髪を結んだ少女が寄って来た。ポニーテールにしては高いような……。女子の髪型など、よく分からん。歳は俺と同じくらい。身長は少し低い。
カウンター越しに俺の前まで来ると、彼女は口を開いた。
「お客さん、ここは初めてだね?」
黒いエプロンらしきものを掛けてグラスを拭く彼女は、かなり仕草が板についていた。
「それにしても……君がね……」
天井の魔法照明にグラスをかざしながら、彼女は意味ありげに呟いた。
「俺が……なんだ?」
「君でしょう? リュウヤって」
そう言う彼女は俺の目を見てニコッと笑う。
俺は彼女が注いでくれた酒を口に含んで瞳を見返した。
「ーーギブリス」
「どうやら、アタシを知ってるようだねえ」
「ああ、まあな」
「……お? これはーー」
酒をグッと飲みほし、俺はアスガルに受け取ったカードをカウンターに滑らせた。
受け取ったギブリスは意外にもカードを見つめていた。
そして、ようやくを彼女は話しだす。
「君、あのバカ男に会ったんだ?」
「ああ」
「どう? 絡まれたでしょ?」
「ああ」
単調に同じ事だけ返して、空のグラスをギブリスに渡す。彼女は喋りながら酒を注いでいく。
……さっきから周りの視線が気になるが、俺が何かしたのだろうか?
ガタイのいい大男や、腰に剣を下げた男に女がチラチラと俺を見ている。決して好戦的ではなく、驚きの視線の方が多いことからして、やらかした訳ではなさそうだが……。
「あはは、そりゃ気になるよねー?」
視界の端で周囲を伺っていた事を見透かしていたのか、さっきと違う種類の酒を注いだグラスを渡して、顔をこちらへ寄せて言った。
「実はね、普段はお客さんと話しをほとんどしないんだー」
「ならなぜ……?」
「ーー君は、情報が目的なんでしょ?」
「……まあな。でなければこんな騒がしい場所に来はしない」
小声で答えると、彼女は定位置に戻った。ウサ耳の従業員が流しに持ってきたグラスを受け取って拭き始める。
黙々と作業をこなす彼女の綺麗な姿を酒の肴に、俺はグラスに口を付けた。
それを見て、彼女はクスッと笑う。
「ギブリス・セルフォード。セルフォードが名前」
「ギブリス・セルフォード」
俺は彼女の名を繰り返した。特に聞き覚えがある訳でもなく、見覚えがある訳でもない。ただ、繰り返した。
「セルって呼んで!」
低く結われた髪の毛をサラリと揺らして、彼女は笑う。棚にグラスをしまうと、ガラスが当たる甲高い音がした。
そのまま隣の棚から新しいグラスを一つ取り出して、それを俺の前に置くと、彼女は酒瓶を持ってカウンターからこちら側へまわった。
「お隣、失礼するよ」
クルクル回る定番の椅子は赤く、彼女は座って小さく足を組んだ。これが異常事態なのか、店内……ギルド内はかなり騒ついていた。
「いいのか? セルはここのマスターだろう?」
「いいのよ、たまには。毎日毎日グラスを磨いて話しを聞いてるだけだし。話すのなんて、アスガルぐらいなものよ」
トクトクと酒がグラスに注がれていった。俺も二杯目を飲み干して、もう一杯注いでもらった。
「アスガルとセルはどういう関係なんだ?」
気になった事をそのまま聞いてみる。
「どうって言われてもね、正直困る。昔、彼に弟を助けてもらった事があってね、それ以来、あの人はここによく来て、よく話すようになったのよ」
「そうなのか……。てっきり恋人同士だと思っていたが、違うんだな」
「違うわよ!! …………あっ!」
ただでさえ注目されていると言うのに、大声出して立ち上がるもんだから更にいろんな奴に注目されてしまう。
「……違うわっ! アタシにはいつか白馬に乗った王子様が現れるんだから!」
「フハハッーー」
白馬の王子か……。かなりの情報通だと言われたからどんなと思っていたが、まさか純粋な乙女だったとはな。…………それにしても……白馬の王子…………か。
日本に居た頃には、そんな話しを聞いた覚えがあったが、それですら昔のことだ。小学校の高学年の時にクラスの女子がそんな話しをしていた。俺はほとんど女子とは関わっていなかったが、この類の話しが耳に入る事はよくあったからな。
ああ、懐かしい。居たっけな、唯一俺に関わった女子が。
美琴……今ごろ何してるだろうか?
俺にズイズイと近づいて話かけて来たのを今でもハッキリと覚えている。小学校から高校生まで、無口な俺に熱心について来たものだ。
セルの事を笑いながら、昔のことを思い出して酒を飲む。
「ーー俺にも懐かしい思い出の人はいるのだがな……」
「俺にもってなによ、俺にもって? は、でしょ?」
「まあそういう事にしてやる」
「なによ、それ!」
ツンケンしながら、彼女も酒を一気に飲み干すと、再びグラスいっぱいまで酒を注いだ。
「それで、その懐かしい人の話しは?」
「聞きたいのか?」
「恋バナはけっこう好きよ」
俺はあれで終わり、あれだけのつもりだったのだが、どうもセルは興味を持ったらしい。
だが……俺はその事を覚えてないんだよな。
「名前は分からないし、顔も思い出せない」
「それじゃあ何も分からないじゃない」
二人で目も合わさずに会話は続く。
「ああ、そうだな。俺には彼女が誰だか分からない。ただ……ただ懐かしい、それだけだ」
「とっても曖昧だわ」
「だが、そいつは暖かい奴だった。それだけは身体が覚えている」
右手を見つめれば、白い天井に伸ばしたあの手を思い出す。すぐそこにあるのに、どんなに伸ばしても届かないほどに遠い。いつでも傍に居てくれるのに、どうしてもそこに辿り着けない。
右手を強く握りしめる俺に、セルは言った。
「いつか……また出会えるわよ。きっと、ね」
何の根拠もない言葉と小さな微笑みが、俺の頬を緩ませた。
いかんな、酒が回ってきたのか。頬が赤くなるのを感じる。今まで一度も酒に酔った事はなかったのだが、これが酔うという事なんだろうか?
とても騒がしく、明るいギルドの端っこで、俺は自分のほっぺたに手を当てていた。
「少し、夜風にあたってくる」
「そう、ならアタシも行くわ」
「……?」
席を立つ俺に続いて席を立つセル。
「君が知りたい事、まだ何も教えてないわ」
「そうか……うむ、そうだな」
相変わらずワイワイと賑わうギルドの中央、様々な冒険者たちの視線を集めながら、俺とセルは外へと出ていった。月は半分欠け、暖かく優しい光が暗い街を包み込んでいた。
果たして、ほんとうに酔っているのでしょうか?
最強の男が泥酔するところ、少し見てみたいような気もします。
今回で長い連続投稿は終了です。
次回の更新はなるべく早い日にします。
お楽しみに!




