帝者、本を読む
これでもかという程に並べられた本は手の届かない場所へも及び、高すぎる本棚が唯一の窓からの日差しを遮っていた。
薄暗い図書館に話し声は聞こえず、エリルも俺も黙々と本を読んでいた。
かれこれ二十分の沈黙が続いたのだがエリルが急に口を開いた。
「リュウヤさん、何の本を読んでるんですか?」
口元に手を当てて小声で言った。そのせいか顔が近く、自分でやっていて照れているようにも見えた。
「なんだか難しそうな本を読んでますね。えっと、魔導書……ですか?」
「ああ、そうだ。今度エイミーとレイミーを魔導書から切り離そうと思ってな」
「魔導書から切り離すって……また人並み外れたことを……」
本から目を離さずに答えると、エリルは驚きを通り越して呆れていた。
彼女は一秒程度の短い時間で捲られていくページじっと見つめる。
「読むの、早いですね……」
「そうか? 俺は普通だと思うが」
「それで本当に頭に入ってくるのか、少し疑問です」
高速で読み進められていく本に目が疲れたのか、目をこすりながらエリルは言った。
たしかに彼女の言うことはもっともだ。世の中にこの速度で本を読む者なんて数人いるかいないかだろう。いや、たぶんいない。
だが俺の場合は違うのだ。
我が最高の特性、情報と解析の魔法による視覚情報の直接保存によって全体を写真データとして保存して、後から魔力で高速解析をかけるという高度な技術でこの神業を可能としているのである。
それにしてもさっきからずっと気になっているのだが、文明急降下とはなんだ?
いつかも誰かが言っていたが、少なくとも俺が転生した後に起きていることらしい。その前後でかなり文明に変化があったようだが、この本には明記されていないし授業で聞いた覚えもない。
ペラペラとページをめくりながら考えていると、一緒に眺めていたエリルが口を開いた。
「魔導書って不思議ですよね。魂を持たない思念体だなんてとても想像できないのに、いつだって私たち魔導師の一番側にいるんですから」
そう言って、彼女は自分の魔導書を手に出して見せた。
双聖の魔導書と違い、簡素で落ち着いた模様の魔導書だ。エリルの魔力波長ともいい相性の、自然系統の魔力を感じる。
「そうだな。とても不思議だ。五千年前には魔導書なんてのはほとんど存在していなかった。それこそ今の名持ちの魔導書ぐらいだ。この長い時の中で何があったのか……俺には想像も出来ない」
相変わらず本から目を離さずに言った。
「リュウヤさんは、文明急降下って知ってますか?」
「ああ、ちょうどその事を考えていた」
魔導書を語るには必須の話しなのか、ここでも文明急降下という単語が出てくる。そして、エリルはそれが何なのか知っているようだ。
「どの本にも載っている割には詳細なことは書いていない。エリルはそれが何なのか知っているんだな?」
「はい、よく知ってます。家系が家系だけに、古文書なんかはたくさんありましたから」
俺は本を閉じるとエリルの方に目をやった。彼女の手のひらには、小さな精霊がパタパタと飛んでいる。きっと彼女の魔導精霊だろう。緑の服に透明な羽がとても美しい。
そんな精霊を指で撫でくりまわしながら、彼女は話しを始めた。
「そんなに難しくて長い話じゃないんです。ただ、とあるマスクの男の策略によって世界が大きく四つに分断されたっていうだけなんですよ」
とあるマスクの男……世界が四つに分断……どちらも俺に関わりがあるような話しだ。
「とにかく、当時かなりの力を有していた四人が互いに敵対するようになって、戦争を繰り返し繰り返し文明が衰退していったんです」
「それが文明急降下、と。なるほど。だれかのせいで世界が再び負の向きに進み始めたという訳か」
「ちょうどその頃までは、魔導書を使わずに魔法が使えていたらしいんですが……その多くの情報は限られた人物にしか伝わっていないようで、よく聞く言葉の割に詳しく知っている人は少ないんです」
言い終わった時には精霊は顕現の限界がきて消えてしまっていた。
「こんな風に精霊さんたちと一緒に居られるようになったのも、元を辿れば文明急降下のおかげなんですけどね」
少し笑ってみせるエリルだが、それが本当に良いことなのか疑問に思っているようにも見えた。
多くの犠牲によって得られる幸せを喜んでいいのか、優しい彼女らしい考えだ。
精霊は人々の思いや何らかの思念によって生まれる。当時の人々は生き残る為の強さを望み、それで魔導精霊ーー魔導書が極端に増えたと、きっとそういうことだろう。
「ありがとうな、エリル。おかげで色々繋がった。ただ一つ気になるとすれば、そのマスクの男だな」
先日の戦いの最中に現れたマスクの男。もし俺の予想が正しければ、あいつが一枚噛んでいるに違いない。
この話しはまだ誰にもしていないからな。ここらで話しておいた方が安全かもしれん。
俺は少し椅子を後ろに下げて、エリルの方に身体ごと向き直った。
「ほかの奴らには黙っていたんだが、実はこのあーー」
「やっと見つけたわ、リュウヤ!!」
俺の言葉を途中で止めさせたのは、赤毛の髪の少女だった。これから重要な話しをするところだったのだが、まあ良い。俺もこいつらには用があったからな。
「ここは図書館だ。あまり騒がない方がいいぞ、レミ」
「そ、それは悪かったわね。でも、あなたもあなたよ? あの日以来一度も姿を見せないんですもの」
語気がかなり荒い。レミは随分とご立腹のようだ。
「……あの……おひさしぶりです、リュウヤくん」
「ん? おう、久しぶりだな、ケルン」
荒々しいレミの後ろから出てきたのは、とても小柄な少女、ケルンだ。少し頬を赤らめていて、とても可愛いらしい。
そして、だれかと違ってとても落ち着いている。
「いまなにか失礼なこと考えなかったかしら?」
ふむ、感がいいな。その握り拳をどうしようというのかは分からないが、鋭い奴は嫌いじゃない。
「それで、俺に何か用があるんだろう? まあ俺も少しばかり用があったからな。ちょうど良かった」
「私たちに用? 何かしら?」
聞き返しながら、二人は俺たちと向かいの椅子に腰を掛ける。
「たいしたことではない。ただ、先日の礼を言っていなかったからな。お前たちのおかげでかなりすんなりと事が進んだ。ありがとう、助かった」
「あの、私からも、ありがとうございました」
俺に続けてエリルも感謝の言葉を述べる。実際こいつらが仲間を増やしていてくれたおかげで騒動を最小限にとどめることができたのだ。感謝すること極まりない。
「そのことなんだけど、私たちからも礼を言わせてもらうわ。悪玉が消えてとても過ごしやすくなったから。その、感謝するわ」
「ありがとうございます」
二人はそう言って頭を深々と下げる。互いに協力して得た結果なのだ。喜びを感じるのも良いことだが、こうやって感謝しあうのもまた大切なことだろう。
「そういえば、俺に何か用があるんじゃなかったか?」
顔を上げた二人に、ふと思い出したことを聞いてみる。
「そうだわ! あなたに話があって来たのよ!」
身体を前のめりにしてレミが言った。
「ねえリュウヤ、私たちと一緒に聖域都市フィルスレアに行きましょ!!」
「……!?」
彼女の言葉に、俺は何も言うことが出来なかった。
彼女が口にしたフィルスレアという都市。それはかつて俺が帝王ディルガノスとして治めていたあの都市の名前とまったく同じものだったのだ。
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次回もお楽しみに!!




