帝者、居眠りをする
砂利を踏む音は雨音にかき消され、もともと小さなエリルの声など、耳を澄まさないと聞こえない。今日は雨だ。
そんな中、レンガ造りの建物の間を俺とエリルは歩いていた。
「三日ぐらいしか経っていないはずなのに、なんだかとても久しぶりに感じますね、リュウヤさん!」
黄色のレインコートを着てくるりんと回って見せるエリルは、いつもより笑顔が多い。
「そうだな。最近はいろいろ詰め込みすぎた。こうやって登校するのも、いい息抜きになる」
昨日……ではなく、さっきのエイミーとの話から、俺は魔導書を知るために学院へ行くことにしたのだ。
今日から再び授業が始まる。クラスも一変し、一般平民も加わりまさに心機一転と言った感じである。
「そう言えば、この学院には同士の集まりのようなものがあったな」
「あはは、そう言えばありましたね。私も忘れてました」
雨に濡れる前髪を払い、エリルは笑う。
「お前の言っていた読み物の会だったか。俺もそれに入る事にしたぞ。と言っても個人的に本を漁るだけだがな」
「ほんとうですか!? それは嬉しいです!」
今度は一気に近づいてくる。
だが……ちょっと近すぎないか? と思っているのは俺だけのようで、エリルは嬉しそうに俺の手を取って両手で包み込む。濡れた手に温もりを感じる。
「でも、リュウヤさんの思ってる通り、名ばかりの集まりなんですけどね。入って意味があるのかどうか……。そもそも自動加入みたいなものですし」
「たしかに、本を読むだけならそうなるか」
「あ、でも、嬉しいのは本当ですよ?」
俺の心情を考えてか、彼女は付け加えた。
そうやって話しているうちに、学院の側まで来てしまった。レンガの建物の向こうに、大きな教室棟が見える。赤っぽい家が多いのに対して教室棟は灰色に近いため、市街地ではかなり目立っていた。
俺たちは学院の門をくぐり、エルフや天族、人間に魔族、様々な種族が共に歩く道を進んだ。
教室の扉を開けると、いつもは白服が多かったのだが、今日は一人も見当たらなかった。ネスティアのような例外もいるが、貴族の象徴の白服は撤廃されたか。
そう言えばエリルの服も黒に変わっている。……こんなに近くにいて気づかないとは、情けないものだ。
自分の席に座り、笑顔の多い教室を眺めると、平和を感じる。
「これが、そなたの見たかった世界なのじゃな」
声の方を向くと、隣の席にはネスティアが座っていた。
今までのメンバーに平民が加わるだけで、俺たちの席順自体はに変化はない。
左右にエリルとネスティアのいる風景だけはいつもどおりだ。
「この国は、俺の見えている世界は少なくとも平和になった」
「あとは、残りの貴族たちがどうでるか、ですね」
反対側からエリルが言った。
「なるようになる。気にするな」
キンコンとチャイムが鳴り、生徒達は席につき始める。
教室のドアが開かれると、新し……くはない先生が教壇に立った。
「それじゃあー、新しいメンバーでー、授業を始めるよー」
相変わらずののんびりペースでミクリィが話し出す。
「……の前に、自己紹介をしまーす! 私はミクリィ! こう見えてもすっごく強いんだよ!」
人差し指をほっぺたにつけてニッコリ笑ってみせるミクリィ。
年は二十そこらか、ツインテールの髪とその姿にまだ可愛げを感じる。
「そういうことで、授業を始めまーす!」
ゆったりと授業が始まり、のんびりと何かの描かれる黒板を上から眺める。一時間目は歴史の授業だが、前回の続きではなかった。
腕を組んで机に突っ伏す。
段々畑のような机の並びは、日本ではあまり見ない光景だ。
ミクリィの授業は緩すぎて、ついうとうとしてしまう。
時間は流れ、だんだんと意識が遠のいていった。
『ーーまた寝てるの?』
暗闇から、誰かが呼びかける。
『ディルくん、いつもお寝坊さんなんだから』
頭の下には柔らかい感触。頭の上からは暖かく優しい声。
いっそいつまでもこうして寝ていたいぐらいだ。
『もう、起きる気ないんでしょ? ディルくんのことなら何でもわかっちゃうんだからね?』
尚も優しい声は俺に話しかける。
ただ、俺の眼は開かない。
この心地よい空間に、身体を預けていたかった。それだけだ。
俺は暗く何も見えない中で、ゆるりと流れる時間に幸せを感じていた。
だが、そんな幸せが長く続きはしない。
ついに開かれた眼の前には、何も存在しなかった。
「……誰なんだ…………お前は……いったい…………?」
何もいないけど、たしかにそこには誰かがいた。いや、いつも俺の近くにいる。近くにいながら、一番遠い。
何度もその姿を見ているはずなのに、思い出せない。
俺は……大切な何かを忘れている。
ふとした瞬間に、目が覚める。
キンコンとチャイムが鳴り終わるのが聞こえ、ようやく起立の号令がかかっていることに気づいた。
「やっと目を覚ましたのじゃ」
「お寝坊さんですね」
クスクスと笑う両横の二人。特にエリルの言葉にハッとする。
「つい、な」
そう言って前に向き直ると、礼をして授業が終わる。
学院の授業は特殊なもので、受ける授業と受けない授業がある。
それは学院側の行う試験によって決まるのだが、俺の場合は半数以上が免除のために、一日フルで授業なんてことはまずない。
ということで今から二時間の間、昼休みを含めると三時間もの間、俺は休み時間となったわけだ。
ちなみにエリルは俺と同じで、ネスティアは座学が苦手なようであと一時間は授業が続く。
「さて、それじゃあ図書館へ行くとしよう」
「へっ!?」
自然とエリルの手を取り教室を抜ける。
「あの…………リュウヤ……さん?」
「なんだ?」
「この手は……?」
俺も少し不思議だが、なぜか手を取りたくなってしまった。
きっとあの夢の少女とエリルを重ねてしまったのだろう。
ここで離すのが普通なのだろうが、エリルの反応を見ているのも楽しいものだ。
「……嫌か?」
「そ、そそそんなことは……ない……ですよ?」
「なぜ疑問形……?」
慌てふためく様子もまた、女の子だ。とても可愛らしい。
『マスター、何をしているんですか!』
エイミーだ。念話で俺に話しかけてくる。
あの二人は家に置いて、魔導書だけ持ってきたはずだが……魔導精霊とはそう言うものか。
とりあえず今は無視しておこう。こう言う時のための魔力遮断だ。
魔力を切るとエイミーの声が止まる。
「さ、行くぞ」
手を繋いだまま、俺はエリルを引いていく。
コンクリートか何かの灰色の床が、雨水で湿っていた。だが、窓の外にはお天道様が顔を出していた。
図書館はいくつかある棟のうち、最も端っこの棟にある。
俺は建物の中でも一番高い図書館のある棟を目指して、真っ赤なエリルの手を引いて歩く。
教室棟を出ると、こっちの世界の空にも虹が輝いていた。
第三章二話ですね。
この章でもなるべく無双してこうと思ってます^_^




