帝者、手を伸ばす
ここから三章に突入です!!
思い出メインの章になっています。
ぜひお楽しみください^_^
限りなく金髪に近い茶髪ロングの少女は、俺の頬に手を当てる。俺も彼女の手に自らの手を覆い被せ、その温もりを感じていた。
ーーーーずっと、待ってるからね、ディル君ーー。
たった一言、彼女は告げる。だんだんと身体が離れ、俺の手から彼女が完全に離れた瞬間に、俺の目は開いた。
気がつくと、真っ白な天井に向かって手を伸ばしていた。高い天井にその手は届かない。いつもより遠く感じる。だが、それよりも遠く感じたのは、彼女の存在だった。
いつかの夢にも出てきた、「#/&#」という名の分からない少女。さっきまで側にいたのに、冷酷な時間のように薄れ消えていく顔。
伸ばした手の先にいた彼女は、天井なんかよりもずっと遠くに感じられた。
「……思い……出せない…………」
伸ばしていた腕で眼を覆う。頬にはもう、彼女の暖かい温もりは無かった。
代わりに感じたのは、冷たい水滴が伝っていく感覚。
俺は、ただ一人、泣いていた。
戻ったはずの記憶の中で、唯一思い出せない大切な思い出。それが大切であると、その人が大切であると心の底では感じているのに、何も思い出せない事が悲しかった。
決して広くはない部屋には沈黙が漂い、月明かりすらも入ってこなかった。
しばらくして、俺は服の袖で涙を拭いてベッドの上に座る。一人で寝るには大きすぎるベッドの上をするように動き、そのままゆっくりと立ち上がった。
「……牛乳……あったっけ……」
大した広さもないのに、大きなベッドと机が一つ。そして、部屋の隅には冷蔵庫がある。
俺は冷蔵庫の中に入っていた牛乳を取り出して、ガラスのコップを取って注いだ。
静かな部屋の中に、牛乳を注ぐ音が響く。
……あの日も……エイミーとレイミーに初めて会った日も、こんな感じだったな。
あの時も、変わった夢に早く目が覚め、悲しい気持ちを紛らわせようと牛乳を飲んでいた。
この部屋にテレビはないが、砂嵐の音が耳に聞こえる。
明かりもつけず暗い部屋の中で、ちびちびと牛乳は減っていった。
牛乳を飲むだけで何もせず時が流れていき、やがてコップの向こう側が歪んで見えてくる。
真っ白で模様のない壁が、ガラス越しに映っていた。
ーーん?
飲み干したコップを机に置いた時だった。
だれかの気配を感じたのだ。
こんな夜更けに誰が……と考えつつも、視線をそちらに向けて見れば、閉まっていたはずのドアがほんの少し開いていた。
その隙間に見えたのは、白くてサラサラのロングヘアと、曇りのない綺麗な瞳だった。エイミーだ。
「ーー入ってきても構わないぞ?」
いつもより、少し優しい口調で言う。
「……ばれてしまいましたか……」
少し笑いながらエイミーは部屋に入る。
「それで、こんな夜中に何かあったのか?」
「その……なんだか、マスターに呼ばれた気がしたのです」
エイミーは、少し不安そうな表情を浮かべて答えた。
呼んだつもりはないが、俺と同じように夢でも見たのだろうか。
「そうか。……変なこともあるものだな」
エイミーを俺の横の椅子に座らせ、俺も椅子に座るが、彼女には高すぎたようだ。足が地面からかなり浮いていた。
「マスター、その白い飲み物は何なのですか?」
エイミーはコップにほんの少し残った牛乳を指差して聞いた。
「気になるか?」
「はい。マスターが美味しいものを隠し持っているのは分かっているのです」
「はは、目ざといな、エイミーは」
軽く笑い、俺は席を立つと、牛乳ともう一つガラスのコップを持ってくる。
再び、静かな部屋の中に、牛乳の注がれる音が響いた。
「これは牛乳だ。多分この世界にも同じようなものはあるだろうが、こいつは俺が特に好きなやつだ。飲んでみるといい」
「では、いただきます」
エイミーは両手でコップを取り、口へと運ぶ。
こくこくと牛乳は減り、すぐにコップの中は空になってしまった。
「ほら、髭ができているぞ」
机の隅に置いてあったティッシュを取り、髭を作っているエイミーの口元を拭いてやる。まるで子守をしているようだが、これはこれで悪くない。可愛いは正義、とはよく言ったものだ。
「で、ご感想のほどは?」
「とても甘くて美味しいのです!」
「なら良かった」
にっこりと微笑むエイミーの顔を見て、少し安心する。
いつのまにか、心の中を埋め尽くしていた負の感情は、どこかへと消え去っていた。
さて、日が昇るまでの三時間半、何をしたものか。
ぼーっと肘をついて考えていると、エイミーが口を開けた。
「マスターは、これからどうするのですか?」
エイミーはコップに目をやったまま聞く。
「これから、か……」
いくつかの道はあるのだろうが、未だにはっきりとしていない。
貴族だなんだという問題は終わったようなものだし、自分に見える世界は十分に変わった。それに、今は見えない世界のことに首を突っ込む気にはなれない。
結局のところ、何も決まっていないのだ。
「エイミーは、どうしたい?」
「わたしはマスターについていくだけなのです。魔力もマスターに提供してもらい、この世界に存在を保てているのもマスターのお陰。わたしの全てはマスターに委ねます」
エイミーは、俺の瞳を見つめてそう言った。
忘れていたが、こいつは魔導書だ。魔導精霊だ。切っても切れる縁じゃない。
だがーー。
「やってみたい事の一つや二つ、お前にもあるだろう。どんな無茶でもいい。俺が叶えてやる。これならどうだ?」
俺にはする事もしたい事もない。一応学院に身を置きはするが、学生としてずっと過ごす訳でもなく、かと言って旅をしようという意思もない。
ならば、エイミーやレイミーのしたい事を俺もするのが、友である俺の役目ではないかと俺は思う。
エイミーは少しだけ考え、またコップに視線を落として話し始めた。
「なんでもいいのなら、一つだけ、夢があります」
言うと、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「なんだ? 言ってみろ」
「あの……その…………少し、恥ずか……しい……のです」
さらに頬を赤く染め、顔も真下を向く。
だが、エイミーは小さな声で言った。
「ーー普通の精霊……として……その……マスターの側にいたい……のです……」
「普通の精霊? お前は精霊だろう?」
「魔導書に、契約に縛られて側に居るのではなくて……えっと……その…………普通の女の子……として……マスターの側に居たい……のです……」
だんだん声が小さくなり、両手で顔を隠してしまうエイミーだったが、真っ赤に染まった耳までは、隠しきれていなかった。
普通の精霊……女の子として……これが何を示すのか分からないほど、俺は鈍感ではないつもりだ。
「要するに、魔導精霊を辞めたい。そう言う事だな?」
「……えっ……?」
俺の言葉に、エイミーの顔の赤らみが少し引いていく。
何か間違った事を言ったのだろうか? 魔導精霊という縛りから解放されたい、自由になりたいと、そう言う話しではなかったのか?
まあ何にせよ、俺に答えられることは一つだ。
「ーーちゃんと叶えてやるよ。それまで、少し待っていてくれ」
彼女の耳元で囁くと、また彼女の頬が赤くなる。
「……い、今は……それでいいってことに……してあげるのです」
エイミーは、今日一番の小さな声で答えると、少し顔をそらす。
まだまだ夜の闇は深く、窓を閉めている部屋の中には何の音も響かない。
エイミーが自分の部屋に戻ったあと、俺はただ一人、ずっと窓越しに見える新しい帝都の風景を眺めていた。
お読みくださいありがとうございます^_^
二章と同じく週一くらいのペースで更新していく予定です。
ぜひぜひお楽しみください!




