帝者、麺をすする
薄暗く狭い部屋の中には大きめのベッドと木の机が一つ、二つあった窓のカーテンは両方とも閉められている。そんな部屋の中には、この世界に来てから嗅ぐことのなかったとても美味しそうな濃い匂いが充満していた。
机の上におかれたカップには蓋がされ、横にはキッチンタイマーが刻々と時を数えていく。
やがてその表示がゼロになった時、ピピピッと高い電子音が鳴り、蓋は開けられ更なる濃い匂いが部屋を埋め尽くした。
「これだ……この匂い、これこそが至高の逸品! カップラーメンだ!!」
独り言……なんて言う事はあまりないのだが、ここまで久しぶりに感動すると言葉も漏れ出るというものだ。
割り箸を割り麺をほぐすと、勢いよく麺をすする。
ああ、これが日本のインスタントラーメン、カップラーメンだ。
味噌の濃厚な味わい、丁度いい麺の硬さ、インスタント感満載のさまざまな具。
どれをとっても最高と言わざるを得ない。
それに、なんといっても戦いの後の風呂とご飯は格別だ。
まだ薄暗い部屋で麺をすすっていると、その匂いにつられてか誰かが部屋のドアをノックする。
「わたしなのです」
「エイミーか。入っていいぞ」
ガチャリとドアが開けられると、寝ぼけたようなとろーんとした表情のエイミーが鼻をくんくんとしながら俺の方へ、いや、カップラーメンの方へ歩いていく。
まあ同じことなのだが、どうしてもそのように見えてしまう。
「この美味しい匂いはいったいなんなのでしょう?」
目はほぼ開いていない。のにもかかわらず、なぜか瞼の向こうの目がそれを確実に捉えている。
まったく、食い意地の張った奴だ。
まあ良い。数はあるからな。もう一つ作ってやるとしよう。
「これはインスタントラーメンという、異世界の食べ物だ。この俺が大絶賛する超至高の逸品だぞ」
言いながら指をパチンと鳴らすと、虚空より一つのカップラーメンが現れエイミーの前に置かれた。
「お前にも一つやろう。開けてみるといい」
「これを……わたしに……!!」
今度は目を大きく見開いて、目の前に置かれた超至高の逸品をまじまじと見つめ、その封を開けると中の麺が露わになる。
再び指を鳴らせば熱湯が注がれ、白い湯気をかき消すように蓋が閉じられる。
「そのまま三分間待つのだな。ただし、麺が伸びてしまえば、それほど不味いものはない」
「うぅ……三分間……」
我慢ができないというような表情でカップラーメンを凝視する姿が子供のように小さい身体に相まってとても可愛らしい。
と、そんな風に思っていたのだが、少しの間の後にエイミーは表情を戻し、寝ぼけ顔もやめて言った。
「ーーマスター、なぜにわたしたちに言わなかったのですか?」
「カップラーメンか? そうだな、この至高の逸品を独り占めしようと考えないわけでもなかったしな」
飄々とした態度で麺を啜りながら答える。
「分かっていながら誤魔化すのは辞めて下さい! わたしは全て知っているのです!!」
「ーー知っている、と言うと、もしや俺が醬油味のカップラーメンも持っているということか!?」
大袈裟に誤魔化してみるも、そこには無表情きわまりないエイミーの顔が映る。
まあ無理もないか。
「……冗談が過ぎたな」
ズズッと残りのスープを飲み干し空のカップを机に置くと、立ち上がり静かに窓を開ける。
この部屋は最上階に在りながらも大して豪華な造りはしていない。大きなベッドがあり、窓があり、机がある。白っぽい壁紙にシャンデリア、城にしては質素なまであるだろう。
吹き込む風は朝の暖かさを運び、部屋の中のこもった空気を新鮮なものに変えていった。
「ーー俺が一人で解決できる問題であれば、お前たちをわざわざ巻き込む必要はないだろう」
誰も傷つかない、それが一番の優先事項だ。もしも俺のせいで……なんて考えてしまう事すら恐ろしい。
しかし、そんな俺の気持ちにまったく沿わない言葉が彼女の口から放たれる。
「……心配なのです……。マスターは白闇様で、漆黒の帝王と呼ばれた人間の王で、魔王すらも下に見る最強の存在です。でも、それでも心配なものは心配なのです!」
「そこまで分かっていながら、何を心配するんだ?」
俺はエイミーの方を見ずに聞いた。
「またわたしの…………いえ、マスターが傷つく事が嫌なのです」
俺が傷つく……か。
そんな心配をされたのはいつぶりだろうか。
「わたしにとっては白闇様でも人の王でもありません。マスターはわたしのマスターなのです! 同じ道を、あなたの隣で歩きたいのです!!」
立ち上がると、エイミーはそう叫ぶように言う。
五千年もの時が経ち、地球でわずかばかりの時を過ごし、数えきれないほどの出会いの中でこんなに心打たれたのは、きっとあのとき以来……だな。
「……わかった。今度からは一言でも伝えるとしよう。だが、お前たちを危険な戦いに巻き込ませる事はしないからな」
これぐらいが妥協できる最大限だ。
かつての惨劇がまた目の前で起ころうものなら、俺はあいつに合わせる顔がない。
そうだ、あいつの…………ん? あいつ?
おかしいな。あいつが分からないなんて。
いつも俺の頭の中で微笑みかけてくれたはずなのに。
名前は…………顔は…………声は……瞳は…………ダメだ……全部、何一つ出てこない。
そこに存在する事は分かっているのに、何も思い出せない。
俺は……誰のために戦ってきたんだ? なんのためにエイミーたちを巻き込まないようにしたんだ?
俺が守れなかったもの……いったいなんなんだ……!!
「マスター? どうしたのですか?」
「……分からない……あいつが分からないんだ。いつもそこにいたはずなのに、あいつが、分からない」
頭を抱えて何か堪えたような表情を浮かべる俺に、エイミーが寄り添いその肩を支える。また部屋の空気が美味しい味噌の匂いに包まれ、三分が経過した事を知らせるも、俺は、エイミーも、それに構う余裕がなかった。
だがしかし、分からないと言われ続けるエイミーは何も出来ず、ただ困るだけだ。
俺だって分かっている。
こんなことを今悩んだところで、何も意味がないことぐらい。
一番落ち着かなければならない俺がこんなでは、周りの人が動けるはずがないのだ。
一度頭の中をリセットし軽く深呼吸をすると、俺は肩を支えるエイミーの手に自らの手を重ねて言った。
「すまない。もう大丈夫だ」
「なら、良かったのですが……無理はしないでください。わたしたちにとって、マスターはかけがえのない存在なのですから」
「優しいな、お前は」
そう言って頭をなでると、嬉しそうに彼女は微笑む。
この笑顔は俺が守らなきゃいけない。
いや、守る必要がなくなる世界を作らなきゃいけない。
「さあ、今日も忙しくなるぞ。とその前に、エイミー、悪かったな。伸びてしまった」
「伸びる? …………ああっ!!」
ハッとして机を見れば、汁を吸った麺がカップの中で溢れそうになっている。
それにつられてエイミーの目が泣きそうなぐらいにうるうるとし始め、俺を見つめた。
「麺が……カップラーメンが……」
これは俺のせい、だな。
「そうだな、俺ももう一つ食べたくなってきた。共に食べよう、エイミー」
「いいのですか?」
「もとより俺のせいだ。それに、この至高の逸品を最高の状態で食べてもらわねば意味がないからな」
指を鳴らせばカップラーメンが二つ机に現れ、もう一度鳴らせばお湯が注がれる。
窓から室内を照らす朝日の光は強く、新しい日の始まりを感じさせた。
俺たちは、ようやく出来上がったカップラーメンの麺をすすりながら、新たな帝国の城の最上階で人々の起床、世界の朝を待つのだった。
遅くなりましたね、すみません。
これぐらいのスパンになる事もあるかと思いますが、どうかよろしくお願いします。
次回もお楽しみに!




