閑話 本編には影響しません。
書いてみたはいいものの、なにがしたいのかよくわからなくなってしまったので、ボツにした話です。
本編には全く関係ありませんので飛ばしてもらっても構いません。
「ねぇ、サークル作ってみない?」
「なんでまたいきなり。」
そんな突拍子もないことを私にいうのは実季先輩だ。
「この前新歓コンサートやったじゃない?」
「うんやった。」
「その話が他大学まで広まってて、もうパンクしそうなのよ、音研が。」
「あらまぁ。」
「あらまぁ。じゃなくてさ。
だからなにかしらの受け皿を作りたいなって。」
「でも、他大学の生徒もサークルに入れるんですか?」
「うん、インカレサークルっていう形にしようかなと。」
「そういうのめんどくさくないですか?
お金の管理とか。人間関係とか。」
「まぁめんどくさいけどねぇ…。」
「まぁ、私がいるだけでいいっていうならやってあげてもいいですけど、私なんもしませんよ?
名義としているだけ。」
「わかった、それでいいかどうか聞いてみるね。」
「はーい。」
〜〜〜〜〜side 柳井実季
「これで言質はとれたからと。」
私は暗躍する。
まず私自身が所属する音研ピアノ部に話をもっていく。
「藤原くんが、OKを出しましたので、計画を進めます。」
「おぉ!
あの計画がついに!」
「彼がアメリカに行く前に形を作って動き出さないとね。元々の流れで進めて頂戴。」
「「「かしこまりました!」」」
ピアノ部の幹部たちが散っていく。
そして、数日後、我々は計画に則って、関東有力大学のピアノサークルに連絡し、その部長クラスを集めた。
「それでは、皆さんお揃いなので、本日提案します議題についてお話しさせていただきます。
我々はある一つのインカレサークルを結成しようと考えています。
それは関東学生ピアノ連合(仮称)です。
今日お集まりいただいたのは、その計画についでです。
それに際して、それぞれ大学のピアノサークルの部長さんだったりピアノ部の部長さんだったりと言った方々にお集まりいただきました。
お互いに面識のある方もいらっしゃるでしょう。
皆さんなら聞いたことがあるのでは?
藤原吉弘という名前を。」
会場がざわめく。
藤原吉弘という名前は既にここまで浸透していたのかと驚く反面、さもありなんと納得する自分もいる。
「たしかに、藤原吉弘という天才がいるという話は聞いたことがあります。
その計画と藤原さんになんの関係が?」
「我々は藤原吉弘という天才を、その関東学生ピアノ連合の旗頭にしようと考えています。」
「なに!?!?」
ざわめきはさらに広がる、
「本日お集まりいただいた皆々様には、その学生ピアノ連合に参加なさいませんか?というご案内です。」
「「「おぉ!!!!」」」
早い話、野球少年たちにイチローの野球チームに入りませんか?と聞いているようなものだ。
しかしそこに待ったをかける存在が。
「待ってほしい。
つまり、1人の天才に我々も従えとおっしゃるのですかな?」
そう声を上げたのは藝大ピアノ部。
関東一のテクニック集団であり、実質的な関東の旗手だ。
「おっしゃる通り。
今や藝大ピアノ部の栄光も過去のもの。
ここは1人の天才におすがりしてはいかがですか?」
「そんなこと断じて認めるわけにはいかない。」
「忘れたとは言わせませんよ?
先日のジュリアードオーディションでの一幕。」
「ぐっ……!」
先日の吉弘くんが受けたジュリアードのオーディションにおいて、藝大ピアノ部の生徒たちが他大学の生徒を排斥しようとしたのだ。
もちろんその他大学の生徒とは吉弘くん本人に他ならないのだが、犯人の余罪は多かった。
「ピアノを愛するものとして捨て置けませんね。
いまや藝大ピアノ部も、オーディションに受かるためにはそのようなことをするしかないみたいなので、ある種の救済と考えていただければ。」
藝大ピアノ部代表が悔しそうに歯噛みしている。
こうして議題は可決され、様々な問題をはらみつつ関東学生ピアノ連合はスタートした。
しかしその問題も私は全く気にしていなかった。
そんな問題は吉弘くんのピアノを生で聴けばすぐにどうでも良くなる。
そして、連合の結成式を兼ねてホールを借りてピアノを披露する場を設けた。
借りたホールはサントリーホール。
莫大な金がかかったが、関東中の数十にも及ぶサークルを吸収したピアノ連合にとってはものの数ではなかった。
各団体で1番の技巧を誇るものが次々とピアノを披露する。
そして中核主催団体のウチが大トリを務める。
ピアニストはもちろん吉弘くん。
曲目はラ・カンパネラ。
圧巻の完成度で、会場に居合わせた全ての生徒を熱狂させた。
そこには彼に対する疑問など一分でも挟みようがなかった。
このことが関東一円のピアノ部、ピアノサークルの吸収に拍車をかけ、既にインカレ化していた藤原吉弘ファンクラブも合流した学生団体となり、学生団体として関東最大の規模を誇るようになった。
そろそろ、吉弘くんに報告するか。
「吉弘くん、サークルの件うまくいったよ。」
ある日唐突に吉弘くんに伝える。
「えっ?あれ進んでたんです?」
「うん。この前サントリーホールで弾いてもらったのはサークルのやつだよ。」
「あ、そうなんですね。
どんな感じなんですか?いま。
すいません留学準備で全然タッチできなくて。」
「ううん、もともとそういう約束だから大丈夫。
いま一応関東最大の学生組織だよ。」
「はっ!?」
「関東はもう陥としたから、次は関西ね。」
「えっ、ちょっと待って。」
「また今度大阪にも呼ぶから来てね!」
「先輩!?」
その言葉を残して吉弘くんはアメリカへと旅立った。
帰ってきたときに驚かせてあげなくちゃ!
「我々は、予想した以上のスピードで関東を手中に納めました。
次は関西に進出します。」
私は事務局長となった連合の幹部会でそう告げた。
「関西進出を達成した暁には、連合を連盟と改め、日本中の大学からの加盟を募ります。」
幹部たちから感嘆の声が漏れる。
「我々は日本一の学生団体になります。」
その言葉を皮切りに、関西の有力ピアノサークルを次々と吸収した。
中には強硬なサークルもあったが、吉弘くんのピアノを生で聴かせると、戦意を喪失し、従順なシンパになった。
そうして、関東学生ピアノ連合は、全日本学生ピアノ連盟と名前を変え、名実ともに日本の学生ピアノ組織を牛耳るようになった。
各支部からの協賛金でピアノコンクールを開いたり、企業からの援助も受け、大学への進学の無利子、有利子、給付型奨学金も支給するようになった。
もはや学生団体とは呼べないレベルの規模になってきた。
そんな折、吉弘くんが一時帰国をしてきてくれたので、日本ツアーを開催する。
「北は札幌から、南は沖縄まで、2週間の全国ツアーを開催します。
忙しいと思うから曲目は考えておきました。
これが楽譜です。」
と帰国する少し前にアメリカまでDHLで小包を送っておいたのできっと大丈夫なはずだ。
この全国ツアーで、全日本ピアノ連盟は、結束をより強固なものとし、日本版フリーメイソンと呼ばれるようになり、政治的圧力団体の側面を持つようになる。
藤原吉弘、二十歳の冬。
奇しくも、ピアニストで史上最年少の首相が生まれるまであとちょうど15年。
20200528
最後の一行だけ少し変えました。




