アメリカ4日目5日目。
「うーーーーーん、、、、」
大きく伸びをすると、全身の骨が軋み、身体中のあちこちからバキバキという音がする。
時計を見てみると朝の6時。
あんまり寝てないなと思ったが日付を見て驚いた。
アメリカ生活の4日目は丸一日寝過ごしたのだ。
「どうりで全身の関節が軋むわけだわ…。」
ゲストルームのクローゼットに備え付けのヨガマットを引っ張り出し、ストレッチを始める。
これは毎日の習慣のようなもので、これをしないと頭が覚めてこない。
下半身のモモのあたりをほぐすところから初めて
全身を余すとこなくほぐしていく。
いつもより入念に、1時間ほどかけて全身の筋肉を緩める。
そこから軽めの筋トレをして、全身くまなく汗をかくまでで、ワンセットだ。
最近、モーニングルーティンというものが流行っているらしいから紹介してみた。
汗をかくと、そのまま備え付けのシャワールームに入り汗を流す。
お風呂とは別にシャワールームがあるなんて、豪華なお家だこと。
汗を流した後は、ピアノを弾く。
荷物から一応持ってきていたウォーミングアップ用楽譜を持ち、部屋を出て、最初にすれ違ったお手伝いさんに今空いてる練習室の場所を聞く。
するとどうやらまだ鍵が閉まっている部屋を開けてくれるとのこと。
いくつ練習室あるんだよ…。
お手伝いさんに案内してもらったピアノ室で、いつも通りの練習を始める。
30分ほど弾いて、指がだんだんと温まったところで、ショパンエチュードに切り替える。
12の練習曲作品10と呼ばれる小曲集なのだが、私はこれが好きでいつも最初に弾く。
この中の10-4や黒鍵などなどはライブや演奏会でも弾くことが多い。
今日の調子を確かめるためにゆっくりと、ゆっくりと弾く。
一音一音の響きを丁寧に確かめるのだ。
ピアノがなんと言っているのか、部屋がなんと言っているのか、それを聴こうとする。
それを1時間ほど続けると、お手伝いさんが朝ごはんの時間ですよーと部屋に訪ねてきてくれた。
防音扉をがちゃっと開けて入ってきてくれた時には音の奔流で驚いていた。
朝ごはんなので、ピアノを拭いて、楽譜をケースにしまったところで、この部屋は滞在中好きに使っていいとのことなので、荷物は全て置きっ放しにさせてもらう。
食卓に向かうと、大きな窓からは綺麗で手入れのよく行き届いた英国風の庭が見えた。
太陽の光を一身に吸収しようとする植物が愛らしい。
「おはよう、藤原くん。」
「吉弘くん、おはよう。」
「おはようございます。」
みんなはもうちゃんとお出かけの準備も整って、すぐにでも外に行ける格好で食卓についていた。
トレーニングウェア姿の自分が恥ずかしいが、なぜかみんなうっとりとした目で私の体を眺める。
実季先輩は私の腹筋の辺りを見つめ、先生は首筋から上腕二頭筋辺りを眺める。
お手伝いさんや秘書さんもみんなそれぞれ違うところを見ている。
共通しているのは誰1人として私の顔を見て挨拶をしないというところだ。
筋肉に挨拶してんのか?
そこから朝食会が始まる。
どうやら昨日はみんな一日中寝ていたようで朝食も昼食も夕食も部屋で食べたらしい。
呑気に一日中寝てたのは私だけのようだ。
「今日は何かしたいことあるかしら。」
「私お買い物ー。」
「私は、今日じゃなくてもいいので、どこかの日程でジュリアードに行ってみたいですね!」
「あら。そうなの?」
「はい、私はジュリアードに留学を考えてますし…。」
「あら、それは知らなかったわ、来年?
それとも再来年?」
「そういえばお話ししたことなかったですね。
一応、私は音楽でご飯を食べていきたいと考えているので、2年か3年のうちには絶対1年間の留学を考えてます。
それでその後、私は音大出身ではないので、本格的に音楽の勉強を、音楽教育だったり商業音楽だったりですけど、するために海外の音大か院に入学したいと考えてます。」
「あら、じゃあ本当に私が歩いてきた道とあんまり変わらないわね。」
「えっ!そうなんですか?」
「そうよ、私はもともとこっちの音大出身だから顔は効くわよ。
いいわ、顔繋いであげる。」
顔が効くだろうことはこの家とあの仕事を見ればわかる。
「ありがとうございます!」
「それで、留学中とか院に行ってる間はこの家をお使いなさいな。
あとで鍵あげるわ。」
「えぇ!いいんですか!」
「一度も断らないものね。
そんなとこばかり実季ちゃんに似て。」
「私も吉弘くんも、しっかり先生の弟子に育ちました。」
「まぁ音楽家を目指すなら、この家ほど恵まれた環境もないでしょうし、私もこの家に住んでるのは年に数えるほども無いわ。
せっかくだから下宿しなさいな。」
「ありがとうございます!」
「お家賃もいらない代わりに私の代わりに仕事してもらうけど。」
「あの量を毎日はちょっと…。」
「そんなことしないわよ。
藤原くんの力でこなせそうな仕事割り振るからやっといてちょーだいってくらいよ。」
「わかりました、頑張ります!」
「じゃあ今日は後でジュリアードに行ってみましょうか。
その後お買い物という流れで。」
「「はい!」」
先生は秘書さんに後で行くのでアポを取っておいてということを言っていた。
朝食は伝統的なアメリカンブレックファストで、お抱えのシェフさんが作ってくれているらしい。
日本産の食品も数多く使われており、本気でほっぺた落ちるかと思った。
朝食を済ませると、部屋に戻ってトレーニングウェアから少しはおしゃれで上品に見える服に着替える。
髪も、ちゃんとして見える程度にセットすると、玄関に向かう。
「お待たせしました!」
「大丈夫よ、みんな今きたところだから。」
「あ、車来たわよ。」
車止めに現れたのは真っ黒のロールスロイス。
私が知っているロールスロイスの一番大きなモデルよりもドアが多く、そして長い。
近くで見ると本当にバスくらい大きい。
「……先生、ロールスロイスってこんな長かったですっけ?」
「あぁ、ロールスロイスに頼んで昔作ってもらったのよ。
移動用というよりは、車内で打ち合わせができるように、後部座席が一列増えてるわよ。」
「そんなことできるんですね…。」
「今はどうかわからないけどね!
私の時にはできたっていうだけよ。」
このとんでもなく長いロールスロイスに乗ってジュリアードに向かう。
ほぼ無音と言ってもいい車内環境で、実季先輩と先生は絶え間なくおしゃべりしている。
時々話を振られるので、ちゃんと聞いておかないといけないのが面倒だ。
車で30分くらいだろうか。
ハドソン川とセントラルパークにちょうど挟まれる形で建っている大学についた。
大学正門に、みたこともないほど大きなロールスロイスが横付けされる。
連絡は既に入っているのだろう。
詰所から警備員が飛び出してきて敬礼している。
ボブがドアを開けてくれて私が最初に出て、実季先輩、先生と続いて出てくる。
先生はとても雰囲気のあるエルメスのロングコートを着てトムフォードのサングラスをかけている。
すると大学の中から偉そうな人が息を切らしながら走って出てきて、一言。
「先生!」
「あら、お出迎えがないから私のこと忘れたと思っちゃったわ。」
「それは言いっこなしですよ〜。
こちらが例の?」
「そ。藤原くん、こちらが今のジュリアードの学長。元私の教え子。」
「えぇ!?
お世話になっております、弓の弟子をやらせていただいております、藤原です。」
「先生のお弟子さんということは、私にとって甥っ子みたいなものだ!
任せておいてくれ!」
「はい!よろしくお願いします!」
「調子のいいこと言っちゃって…。
実季ちゃんの紹介は大丈夫ね?覚えてるわね?」
「もちろん!ぜひ彼女にもきて欲しかったのですが、先生が手放してくださらないから。」
「人聞き悪いわよ、この子は私が育てるの。
ねー?」
「そうですね、先生。
私が先生から免許皆伝を受けたらそのときにはよろしくお願いしますね。」
「もちろん!任せてください!」
そこから、学長さんの先導で音楽院のなかを見学して歩く。
その時の説明で知ったのだが、ここは日本のように明確に学部と院で明確に別組織として分かれているのではなく、カリキュラムをそれぞれの分野でプログラム通りに履修することによって博士まで学位を取ることができるらしい。
中にはあまり耳馴染みのないアーティストディプロマなんていう学位もあった。
学生の数に比して、講師陣の数も多く、ほぼマンツーマンに近いような状況でレッスンを受けることができるというのも非常にメリットとして大きいと思う。
「今日彼女いるの?」
「もちろん。休みなんですけど、先生が来るよと伝えたら絶対行く!って言ってたので来てると思いますよ。」
「あら、悪いことしちゃったわね。」
そうしてその先生が言う彼女のオフィス?に行く。
「今から会う人はね、私が最初に受け持った弟子の1人。実季ちゃんと会うずっと前の話ね。まだ私が20代前半の頃かしら。」
先生は一体幾つなんだろう…。
想像もつかないけど、多分若い、はず。
多分私のお父さん世代くらい…?
彼女の部屋に着いたのだろう、学長が防音扉のレバーを上げた瞬間、あの重たいドアが弾けるように開き、中から背の高い女性が飛び出してきた。
そして先生を思い切り抱きしめた。
周りの学生がざわついている。
鉄の女が…
とか
氷の…
とか、例の彼女とやらは、なかなかに怖い先生なのかもしれない。
しかし、今先生に飛びついている彼女はとってもチャーミングであどけない少女のようにも見える。
「マリア、久しぶり。」
「先生!先生だ!先生!!!先生がいる!!!!」
「マリア、久しぶり?」
「あっ、お久しぶりです先生!」
意識がトリップしていたのだろう、この世に戻ってきて会話ができるようになった。
「あなたは本当に変わらないわね、昔から。」
「私だって少しは大人になったわ!
こう見えても最年少でジュリアードの講師になったのよ?私が初めてあった時の先生の年齢はもう追い越しちゃったけど…。」
「それでもたいしたものよ!
自慢の教え子だわ!」
「ありがとう、先生。
それで今日はどうしてここにきたの?」
「私の今の弟子がジュリアードに留学したいんですって。
だからせっかくだし、紹介しておこうと思って。」
「先生の元でお世話になっております、藤原です。
よろしくお願いします。」
「よろしくね?
今日はちょっと弾いてく?」
「いいんですか!!」
「いいも何も、私はもう卒業しちゃったけど先生の弟子だったことに変わりはないわ。
と言うことはあなたは私にとって弟みたいなものよ!」
「ありがとうございます。」
「じゃあ私あれ聞きたいわ、黒鍵。」
先生からリクエストがあったので、それを弾く。
「では、黒鍵、弾かせていただきます。」
朝ちゃんとさらってきてよかった。
さらってたの聴いててくれたからリクエスト出してくれたのかな。
たまたま、防音扉を開いたまま弾いてたので、どんどんと人が集まって来る。
弾き終わる頃には黒山の人だかりで、拍手を頂けた。
「さすが先生がニューヨークまで連れて来るだけあるわ!
とっても最高よ!
ねぇ、先生!この子がジュリアードにきたら私が見たい!」
「もちろんそのつもりで連れて来たのよ?
よろしくね!」
とんとん拍子で先生が決まった。
これはなんとしてでも留学権を勝ち取らなくては…。
うちの大学は提携校でもなんでもないはずだから、まず単位が出るかどうか心配だけど、年明けたら交渉してみないとな…。
最悪一年休学してもフル単で3年間やり切れば卒業はいけるか…?
学外の試験も活用して単位拾って行こう…。
先生がよろしくねと言って、私のアメリカでの先生が決まった瞬間、人だかりが一斉に歓声を上げた。
よくわからないがお祝いというムードを察したらしい。
どこからともなく楽器隊が現れてファンファーレまで演奏が始まる始末。
そして、どこから聞きつけたのか、舞台芸術を学んでいる生徒たちが先生が来ていることを知り大挙して押し寄せて来てサインや握手を求められる先生。
てんやわんやとなりながらも、マリア先生の部屋に避難して、防音扉を閉める。
「すごい熱気ね、相変わらず…。」
「まぁそれは、ね?
いつも通りというか…。」
「先輩、うちの大学ってココと提携ないですよね。」
「ないわね、多分留学したら吉弘くんが最初だと思うわ。」
「単位大丈夫ですかね…?」
「ここまでネームがある大学なら嫌とは言えないでしょ、大学としても。
もし突っぱねられても一年の休学くらいだったら単位取り切れるから大丈夫よ。
就活しないんだし。」
とりあえず自分の考えている通りであったことにホッとする。
「それで、藤原くんはどうする?
しばらくこっちにいるなら弾きに来るかい?」
「もし許されるならお願いしたいですけど、基本的には先生のお家に住んでいるので先生に見ていただこうかと。
もし先生の都合が付かない日があれば連絡しますので、お願いしてもよろしいですか?」
「よし、じゃあそうしよう!
連絡先を教えておくね!」
マリア先生は元気いっぱいでとってもチャーミングな先生だった。
好きになれそうな先生でよかった。
「じゃ、忙しいと思うけどマリアよろしくね。」
「先生の弟子の面倒見られるなんて、そんな面白いことないよ!
私の方こそ頼ってくれてありがとう、先生!」
マリア先生の部屋を出る時、もう一度ガッチリとハグをして我々は部屋を出る。
「よし、じゃあお買い物行きましょう!」
「「やったぁ!!!」」
この後、先生の付き添いでニューヨークの高級店を軒並み回って、大散財した。
主に先生が。
いや、我々の買い物で先生が大散財してくれたわけではなく、なんでも気に入ったものがありすぎたらしく、我々が引くほどお金を使い倒していたので、なんの気兼ねもなくこっそりと会計に紛れ込ませることができた。
私は先生から、60時間徹夜の労いの意味とこれからの未来を祝して、ずっと使える一生モノと言われる部類のショパールのローズゴールドの腕時計を贈ってもらった。
200万円を超える代物で、大変恐縮してお断りしようと思ったのだが、私のピアノバーでの時給的に、60時間完徹で残業代込み年末年始手当込みで換算するとちょうど少し足りないくらいで、なんとなく複雑な気持ちだった。
実季先輩は先生と一緒になってエルメスやらボッテガやら気に入ったものはなんでも買いまくっていた。私の仕事としてあるのは、買ったものを私が一旦引き受けて、ボブに引き渡して、どんどん車に積んでいくという大変重要な作業だ。
何故か頭にはずっと天国と地獄が流れていた。
「そういえば、吉弘くんバッグボロボロじゃなかったっけ?」
「あぁ、高一の時から使ってるんで結構くたびれてますね。」
いつか買い換えよう、いつか買い換えようと思ったまま、数ヶ月が過ぎたままだ。
「それも買わなきゃね!先生!」
「あんた早く言いなさいよ、いくわよ!」
何故か先生も変なテンションになっている。
ブランドは先生がイイ男になるならここが一番!というので、先生の勧めに従ってお店に入る。
中でもあーでもない、こーでもないという、先生と実季先輩のアドバイスを聞きつつ、最終的に一つのバッグにした。
男はシンプルなのが一番派の先輩と、シンプル路線でありつつも少しの派手さが色気を生む派の先生が激しくぶつかりあったが、最終的に深い青色で英語がたくさん書いてある上品なレザーバッグに決定した。
しっかりとしたつくりで、楽譜を何冊入れようとへこたれなさそうだ。
4000ドルとか言われたが、怖すぎる…。
時計もあるし日本に入国の時の税金どうなるんだ…。
まぁタダでニューヨークに行けたのだから、その分と思えば高くはないけど…。
周りに金持ちが多すぎで自分の金銭感覚がバグる…。
ほんとは今住んでるマンションも自分には身分不相応だと思うし、車も大学生のくせにベンツなんて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
便利だから使うけど。
でも、初めて車で大学に行った時、意識してみると大学構内に外車がたくさん停まっていることに気づいた。
やっぱり私立大学は金持ちが多い。
そのあとも先輩と先生の買い物にたくさん付き合わされて、家に帰った。
その晩。
「いやぁ、あれくらいで済んでよかったわよ…。」
「ほんとですね…。」
「ほんとならもっとエグいもの要求されるかと思った。」
バカなフリして、1億くらいの車とか。
バカなフリして、この近所の城みたいな家とか。
「本当に欲がないですよね、皆さん。」
「まぁハリウッド系のギャラって初めてもらった時私もゼロの数3つくらい間違えてませんか?って聞いたし。」
「あ、それ私も覚えてます。
そしたら先方が、すいませんこれが限度ですって、先生のギャラの小切手にゼロ一つ増やしたんですよね。」
「そうそう、そっちかよ。って思ったわ。
やっぱりアメリカでのショービズでは動く金額の桁が日本とはいくつも違うってこと思い知ったものね。」
という話がされたとかされてないとか。
2020年 5/6
感想欄にて読者様にご指摘頂きましたように、
財布は23話にて買ったばっかりでしたのでバッグに改変いたしました。
ご指摘ありがとうございました。




