バイトの日
ピアノを独学で始めてから数ヶ月ほどたったある日。
「なぁ、吉弘。
放課後のピアニストって知ってる?」
私は外国語学部で授業を受けていると隣の席に座っていた友人から声をかけられた。
「え、なにそれ?
戦場のピアニストみたいなやつ?」
「誰が坂本や!
ちがうよ、総合人間のキャンパスの練習室で、夕方にピアノバリバリ弾いてる男がいるらしいのさ。」
この時に私はピンときた。
多分自分のことだとわかった。
「へぇー、そんな人がいるのねぇ。
上手いのかな?」
今思えば自分でも白々しい。
「上手いらしいよ。俺にはよくわからんけど。」
「まぁそうやなぁ。
でもモテるんだろうなぁ。」
「なんで?」
「だってピアノ弾ける男ってかっこいいじゃん!」
そんなわけないだろ。
彼女ができたことがないわけでもないが、
現に私はモテなかった。
「そうかな?
私は吹奏楽部だったから周り女ばっかりだったけどそうでもないよ?」
「そんなもんなんだね。」
「そうよ。」
この時はそれだけで終わったが、まさか外国語学部まで噂が回るとは思っていなかった。
その日の授業を受けた後、いつも通り練習室に向かった。
「いやー、まさか私がそんな噂になるとはなー。
まぁ、噂されてるってことは結構いろんな人に聞こえてるってことだから、聞かれても恥ずかしくないようにもっと練習しよう。」
その日の練習はいつもよりさらに身が入った。
この頃にはショパンやバッハといった有名どころの練習曲にもトライしていた。
流石に有名な作曲家なだけあって、練習曲と言えども何処かで聞いたことがあるような曲だったり、練習曲なのにめちゃくちゃ難しかったりして、練習も気分が乗ることが多かった。
この日はアルバイトが入っていたので早めに練習を切り上げた。
しかし、早めに練習を切り上げなくてはならないことはあらかじめわかっていたので、朝練を行なっていたから、自分としては満足するに足る量の練習をこなすことができた。
「よし、満足満足。」
手早く荷物をまとめて、叔父さんの経営するゴルフバーに向かう。
バーのある場所は銀座で、大学のキャンパスからだと4キロほどある。
自転車だと少し遠いような気もするが、自転車に乗るのが趣味なので全く気にならない。
ちなみに私はスコットというメーカーの中級者向けの自転車を愛用している。
軽量なのでアップダウンも気にせず楽々乗れて重宝している。
多分自転車熱が凄かった頃なら、平気で千葉や箱根、少し足を伸ばして名古屋くらいまで自転車で走っていたと思う。
20分くらいでバーに着き、高い自転車なので屋外ではなくバーの中に置かせてもらう。
「おはようございまーす。」
「あ、藤原さんおはようございます。
今日も3コマお願いしますね!」
綺麗なバースタッフのお姉さんに微笑まれて少しドキッとするが、顔には出さない。
「はい。お願いします。」
私は従業員スペースでゴルフウェアに着替えて、ストレッチで体をほぐしながら生徒さんを待つ。
様々なものにこだわりがある私だが、なぜかゴルフウェアにはこだわりがない。
派手で動きやすければなんの文句もない。
派手を好むのには理由がある。
ゴルフ場ではどこからゴルフボールが飛んでくるかわからないので、他のお客さんが間違って自分の方向に打ち込んでこないように、居場所を目立ちやすくすることを考えてのことだ。
そろそろ、新しいゴルフウェアでも買おうかなー
などと考えていると生徒さんがやってきた。
「こんばんは〜。
今日もよろしくお願いしまーす。」
最初にやってきたのは、近くのクラブでホステスをしている女性の方だ。
名をヒナさんという。
苗字は知らない。
「こちらこそよろしくお願いしますね!
最近ラウンド回られましたか?」
「ついこの間お客さんと回ってきましたよー
すっごい上手くなったなって言われましたぁー」
「それは良かったです!
教えがいがありますね!」
私はなんとなくこういう甘ったるい喋り方が苦手なので勤めて明るくハキハキと返事をする。
その際に笑顔を添えることも忘れない。
「じゃあ今日はさらにスコアをまとめるために、アイアンのアプローチを練習しましょう!」
「はぁーい」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
生徒さん三人で、3コマ6時間の労働を終え一息つく。
「なんかそろそろこのクラブも古くなってきたし買い替えようかな。」
それもそのはず、私のクラブは高校入学前に買ったもので、サイズ感も物足りなくなっていた。
最近はドライバーもどんどん大型化が進んでいる。
「まぁ、コンペでも呼ばれたら買い換えるか。」
「あ、ヨシ!
お疲れ様!」
おじさんは私のことをヨシと呼ぶ。
「あ、お疲れ様ですオーナー」
「今二人だけだからいいよ。
それとな、来月生徒さん集めてゴルフコンペするから。
もしクラブあってないなら買い替えとけよ。
領収書回してくれたらバイト代に上乗せして振り込んどくから。」
「え、いいの!?」
「うん、参加者すごいことになってるから、そのコンペの利益だけですごいことになる。
だからコンペのバイト代として道具くらいは出してあげるよ。
後、そのコンペ、うちの系列店も全部合同でやるから、ティーチングスタッフの順位も出すよ。
だから、本店のエース講師として絶対勝てよ?」
「いや系列店なら元ツアープロとかいるじゃん。
絶対負けるし。」
「そんなことは聞いてないんだよ。
絶対勝てよ?」
「……わかりました。」
「よろしい。道具はどんな高くなってもいいから。
道具を言い訳にするなよ?」
「しませんよそんな情けないこと。
買ってもらうからには勝ちますよ。
練習しますから。」
「それでこそ俺の甥だな。
じゃ、話それだけなんで。
オツカレサマ。」
「はーい、お疲れです。」
これは大変なことになった。
とりあえず近いうちにフィッティングしてクラブ探そ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
後日
「お、最強のアマチュアご来店。」
「うるさい!」
私は地元に帰り、小さい頃からお世話になってた馴染みのゴルフショップに来ていた。
本当ならピアノを練習したいところだが、仕事の延長ならば仕方がない。
ここの店長さんは、小さい頃からの私の癖を把握してくれており、私に馴染むクラブを一発で当ててくれる。
前もって連絡しておいたので、もうすでに何セットかは用意してくれているとのこと。
「とりあえず色々計測してみようか。」
しばらくぶりなので私も成長したのか衰えたのか気になってしょうがなかった。
計測している時、店長の口数はだんだん少なくなってきた。
「ヨシ。お前プロ行け。」
「また冗談。」
「いや、この計測結果はただ事じゃない。
下手な男子プロよりよっぽどうめえわ…。
まぁ計測器の結果だけどな…。」
「そんなになんですか?」
「まぁヘッドスピードと飛距離だけなら男子プロの中でもトップクラスだろうな。」
「いくつでした?」
「ヘッドスピードが52m/s、平均飛距離が300ヤードと少し。」
「あー、だいぶ数値上がってますねぇ。
でもうちにはもう最強の女子プロいますんで。」
「あー、なおちゃんな。」
藤原なお。
今をときめく女子プロゴルファーで、デビューした年に賞金女王になった。
そして、私の姉である。
今年はプロデビュー4年目で、開幕戦から絶好調のスタートを切り、シーズン中盤の今、賞金ランキングの一位を独走している。
またそのルックスからおじ様のアイドルとしても大人気で、なおが出る試合中継の視聴率は3%は違うらしい。
プロのゴルフの試合では優勝すると、副賞として高級外車がもらえることが多い。
なおもその例外ではなく、年に5台ほどベンツを持って帰ってくる。
藤原家ではすでに家族全員に行き渡っており、吉弘もベンツを持っているが実家に置いてある。
「あんなの見て育ったらプロなんかなれませんって。あんなストイックに1つのことを突き詰められませんよ…」
「確かになおちゃんは俺から見てもすごかった。
プロになるっていうのはそういうことなんだなって思い知らされたよ。」
「まぁお姉のことはいいですよ。
なんかオススメのクラブあります?」
「まぁアイアンはやっぱりこれだな。
ミズノのアスリートモデル。
ドライバーはブリジストンのアスリートモデル。」
「え、これ高くないですか?」
「藤原さんから連絡来てるから大丈夫。
会計は店の方に回しとくよ。」
「ラッキー!!!」
「時に吉弘くん。
そろそろキャディバッグもシューズもウエアも買い替えどきでないのかな?」
私はピンときた。
「そうですねぇ。
これを機に全部買い換えますか。
クラブのセッティングもいじっちゃいましょう。」
「そうこなくっちゃ。」
この後めちゃくちゃ買い物した。
注釈
ヘッドスピード
クラブを振るスピードのこと。
早い方が、球がよく飛ぶ。
日本のトッププロはそのスピードが50を超える。
アマチュアのよく飛ぶ人の平均は43〜44m/sくらい。
飛距離
男子のトッププロは300ヤード近く飛ぶ。
アマチュアの飛ばし屋と呼ばれる人の平均は、250ヤードくらい。
ちなみにゴルフはイギリス発祥のスポーツなので飛距離の単位はヤードで表す。
キャディバッグ
ゴルフクラブを入れるバッグ。
シューズ
ゴルフシューズには靴の裏にピンが付いており、芝生を傷つけずに、なおかつしっかりと踏ん張れるようになっている。
賞金女王
年間の獲得賞金がトップの選手に贈られる称号。
だいたい1億5000万くらい賞金だけで稼ぐとなれる。
海外のトッププロゴルファーなどは、生涯獲得賞金うん10億円なんていうのもザラにいる。
副賞でもらった車で車屋が開けるような選手はいくらでもいる。