チケット捌く日。
コンサートは非常に満足のいくものとなるだろう予感はしている。
あれからの、笹塚の態度は良くなったし、
練習もまじめにこなしてくれているし、驕ったところが私の前ではなくなった。
後輩みたいな態度を取られるのは全く変わらないんだけど、笹塚も人に合わせると言うことを覚えたようで、演奏中もこちらを向くようになった。
まぁアイコンタクトもなしに演奏するヴァイオリニストがおかしいのであって、それを完璧に包んで開花させていた実季先輩がとんでもなくすごいのだ。
私はただ単にそれを力技で屈服させたにすぎない。
だから今でも時々笹塚が怯える。
いい薬になってくれたのならいいのだが、萎縮させるのも良くはない。
そこで、私は、下げて下げて上げると言う方法をとってみた。
できてないところを2つ伝えると、いいところを一つ教えてあげるのだ。
するとどうだ、依存されているような状態になった。
解せぬ。
基本的に、学部が違うことから、笹塚とは接点がないのがせめてもの救いか。
時々こっちまでくるけど。
笹塚のクオリティと、私のクオリティ、そして2人の連携も、なんとか人様に見せられるレベルまで持ってきたので、せっかくなので友人もコンサートに招待してあげよう。
「おい、幸祐里。」
「なんだ、吉弘。」
2人でいるときは、幸祐里の口調は本当に崩れている。ファンが聞いたら悲しむぞ。
「ほれ、チケットだ。来るか?」
「行く。」
食い気味で返事をされた、少し怖かったぞ、幸祐里。
日程を言う前に来るとは、お前もなかなかの私のファンだな。
「なんの曲やんの?」
「チャールダーシュ。」
「おー、聞いたことある。
で?例のヴァイオリニスト先輩のお守り?」
「そうそう。とりあえず人様に聴かせられるレベルまではなんとか持ってきたから、ご招待差しあげようかなと。」
「ありがとうございます!!!!
転売して食費にしたいと思います!!!」
「俺のチケット転売したらお前マジで一生呼ばないからな。」
そもそも転売したところで売れるのか…?
「う、うそですやん、先輩〜。
わてがそんなことするわけあらしまへんて〜。」
エセ関西弁キャラやめろ、腹立つ。
「しっかり聴いといてくれよ?俺の演奏。」
壁を突き破る勢いで壁ドンを喰らわし、顎をクイッと持ち上げて囁く。
「うん…きく…。」
幸祐里の目がとろけ切って、虚空を見つめている。
幸祐里はこういうネタにも、渾身の力でしっかり乗ってくれるのがいいところだよな。
感心感心。
「じゃ!そういうことで!」
「ふ、ふぁい…。」
腰砕けになっている幸祐里を放置して次にチケットを配る人を探しに行く。
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余談だが、藤原は放課後のピアニストと呼ばれる影でジゴロピアニストとも呼ばれている。
それも、この手法が原因だ。
本人にはなんの悪意もないのだが、自然と相手が欲している態度をとってしまう。
イタリア人よろしく、息を吐くように女性を口説くと言われることもあるが本人にその自覚はない。
強引に接して欲しい女性には強引に振る舞うし、紳士的な態度を好む女性にはそう振る舞う。
それが故に、藤原を慕う女性は数多いのだが、本人は全く気付いていなかった。
罪作りな男である。
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没後に出版された伝記、「藤原吉弘 放課後のピアニスト」より抜粋。
「あ!ひなちゃん!」
「っ!!!!!
吉弘くんか…。
びっくりさせないでよ…。」
そんなに大きな声で呼びかけたつもりはないのになぁ。
「ごめんごめん、探してたんだよひなちゃん。」
「え?私を?」
「うん、ひなちゃんを探してたの。」
「そ、そう。私を。」
「うん、私が出るコンサートに是非とも来て欲しくて。」
「コンサート?」
「うん、音研の先輩と一曲やるから、来てくれたら嬉しいなって。」
「その先輩って、例の、最近よくこっち来てた笹塚さん?」
「あぁ、そうそう。
もう有名になっちゃってた?」
それもこれも笹塚がワンコのようにくっついて回るからだ。
猫顔なのにワンコとはこれいかに。
「まぁ、笹塚さん自体がなかなか有名な人だからね。」
「なるほど…。」
「で、その先輩と一曲やるんだ?」
「そうそう。曲目はチャールダーシュ。」
「おぉー!
じゃあせっかくご招待いただいたから、都合つけて駆けつけるね!」
「もちろん!
お待ちしております!」
ひなちゃんも幸祐里も来てくれるとは、より一層気合が入るというものである。
「はーい!
じゃまたね!」
そのあと、いつも通り練習に向かうのだが、
何時もを遥かに超えるしごきを受けた笹塚は練習が終わる頃には涙目だった。
今日は、ゴルフの日なので練習を終えるとバイトに向かう。
最近は新規受講生をお断りしている。
というのも、ピアノの方がどんどん忙しくなってきたので何かを削る必要が出てきたのだ。
今年度中は続けるつもりではあるが、来年度の契約は更新しないつもりだ。
ちなみに、そのことはもう叔父さんに伝えてある。
叔父さんは、それにあたって追い出しコンペなるものを開催すると息巻いていた。
もともとはゴルフバーだったが、最近はレッスンスクールとしての側面が強くなっていたこのバイト先にも通うのはあと4ヶ月くらいかと思うと、少し寂しさを感じる。
生徒さんにも順次そのことは伝えていっている。
いつも通り打刻して、生徒さんを待つ。
今日教える生徒さんは月一コースの人なので、もうあと4回ほどしか会わないことになってしまう。
なんと切り出そうかと思っていると生徒さんが来た。
「こんにちはー、今日よろしくお願いしまーす。」
「こんにちは!今日ちょっとお伝えしておかないといけないことがあるんですけど、実は私が今年度いっぱいでここを辞めることになりまして。」
「ええ!そうなんですか!
寂しくなりますね…。」
「そう言っていただけると嬉しいんですけどねぇ…。
私まだ学生なので、本業の方が忙しくなりまして…。」
「えっ!まだ学生さんだったんですか!
すごい落ち着いていらっしゃるからもう本業で講師されてるのかと…。」
「遠回しに老け顔って言ってます?
まぁいいですけど。」
「そんなそんな!
全くそんなことないです!」
「ありがとうございます。
なので、お伝えしておこうと思いまして。」
「あぁ、そうなんですねぇ。
お世話になりました。」
「まぁまだもう少しありますけどね!
残り期間よろしくお願いします。」
「そうでした!
こちらこそお願いします。」
このあとめちゃくちゃゴルフした。




