引っ越しました。
我が家の荷物が業者によって続々と運び出されていく。
とはいえ、そんなに多くの荷物があるわけではないのだけれども。
そして、そんなに遠くに引っ越すわけでもないのだけれども。
引っ越すにあたって、引越し先を内見させてもらった。
それはそれはもう、さすが日本を代表する若手プロゴルファーが、引退後に住もうと思ってお買い上げしていたマンションだ。
二軒しかない最上階のうちの一軒。
もう所有権はなおちゃんに移っているので、今後はなおちゃんに家賃をお支払いしていくという流れだ。
「こちらが防音ルームです。」
家自体が防音はちゃんとされているのだが、その中にもちゃんとした防音ルームがあるので完全防音となっている。
防音ルームは広く、ちょっとしたサロンコンサートなら開けそうなレベルだ。
お風呂もキッチンも、リビングも寝室も広くて快適!
ここに1人で住むなんて寂しくて涙が出そう!
そして、さすがお金持ちマンションと言うだけあり、家具など大きな荷物専用の搬入用エレベーターも完備しているため、グランドピアノも搬入可能だ。
流石にフルコンサートサイズになると難しいけれども。
「私の家なんだから汚さないでよね!」
「わかったわかった。」
「あとちょこちょこ帰ってくるからよろしく。」
「ちゃんと綺麗にしとくよ。」
なおちゃんは今年からメジャーに挑戦する。
それに従って、もともと住んでた家は解約。
車も全て売却。
すべてとはいえ、私の車と両親の車、計3台は残してくれている。
そして自分自身は活動の拠点をアメリカに移し、家もそちらに借りるそうだ。
ちなみにメジャーの結果如何では、最上階のもう一部屋も買って両親を連れてきたいとも言っていた。
なので部屋自体はざっくり4LDKだが、実質2LDK+防音ルームとなっている。
防音ルームを除く一番広い洋間がなおちゃんのお部屋だ。
「なおちゃん、本当にありがとう。」
「別にいいわよ。ハウスキーパーがいて助かるくらいにしか思ってないし。」
「それでも、ありがとう。」
「うん。」
「あとさ、まだ両親にも友達にも言ってないんだけどさ。」
「うん。」
「私ピアニストになる。」
「ふぅん。
ちょっと飯行こう。」
「えっ、なんで。」
「あんたねぇ、大事な話するときは飯食いながらって相場は決まってんのよ。」
「えぇ…。」
そのまま、夜ご飯と言うことで、近くの個室の寿司屋に行った。
「で?ピアニストになるって?」
「うん。ピアニスト。」
「私みたいな仕事の人が言える話じゃないけどさ、それって食っていけるもんなの?」
「無理だろうね。」
「どうすんの?」
「30手前くらいまで大学生やる。」
「あんた…。」
「いや、前々から考えてたんだけど、今のとこ卒業したら海外の音楽系の大学に入り直すか、大学院に入るっていうことね。」
「あー、そういう。」
「そんで、向こうで音楽ビジネスとか音楽教育とか、まだよくわかんないけど、そういう系の知識と経験を積んで、日本に帰ってきてもいろんな仕事ができるようにしようかなって。」
「それにしたって先立つものが必要でしょうよ。」
「たぶん、だけど、たぶんなんとかなる。」
「どうやって。」
「今動画共有サイトで動画投稿してるんだけど、その収益が大変なことになってるっぽい。」
「まさか…。
あんたまさかこの人…!?」
なおちゃんはスマホの画面を見せてきた。
その画面にはまさしく自分がバーでピアノを弾いてる姿がある。
オーナーが気を遣ってくれて、ちゃんと顔は見えないようにしてくれている。
「あぁー、これこれ。
ピアノ弾いてるのバイト先だよ、これ。」
「あんた、これ実際どれくらい儲かってるのよ…。」
あんまり人には言わないでねと言ってなおちゃんに耳打ちする。
「……うん…うん、あぁ…っ!!!!!
あんた…!!!
えぇっ!?!?!?」
「っていう感じ。」
「今それくらい稼いでるんなら、途中から落ち目になることを計算に入れたとしても、院まで行って帰ってくるくらいならなんとかなりそうね…。」
「でしょ?でもピアノ買わなきゃいけないからなぁ。」
「あんたピアノ持ってないの!?!?
そんだけ稼いでるんだからピアノくらい買いなさいよ!商売道具でしょ!?!?」
なおちゃんが驚くのも無理はない気がする。
なおちゃんでいうと、ゴルフセットを持ってないのに、ゴルフ場の貸しクラブで日本ツアーをバンバン優勝してるくらいの衝撃なのだから。
しかもその状態でメジャーに挑戦しようかなーなどと言っている人が目の前にいるのと似たような感覚なのかもしれない。
「いやさ、ピアノって高いじゃん。
まだお金は取っておきたいというか貯めておきたいというか。」
「あんたって昔から、ゲームとかで貴重なアイテム死ぬまで取っておくタイプだったよね。
クリアするためのアイテムなのにクリアしてからも使わないっていうか。」
なおちゃんはほんとによく覚えてる。
たしかにRPGとかシミュレーションゲームとかでも貴重なアイテムは全く使わずに死蔵していた。
「ピアノの1台くらい買ってあげるわよ。
いくらなのよ。」
さすがプロゴルファー。
懐が深い。
この一言を待ってました!!!!
「1200万」
ゴツっ!!!
「いてぇ!!!!」
「買えるわけないでしょバカ!」
「買うって言ったのどっちだよ。」
「まぁあたしだけど。
ていうかピアノってそんなするのね。
せいぜい100万200万の世界だと思ってたわ。」
「まぁそれくらいの値段でもあるのはあるけど、値段が安いってことはそういうことだよ。」
「まぁ天然素材で人の手で作ってっていうとそれくらいかかるか。」
「そういうこと。
数作れるものでもないしね。」
「まぁいいわ、頑張んなさい。」
「まだ父さん母さんには言わないでね、ちゃんと自分で言うから。」
「いいやしないわよ。
私もこっそりプロゴルファーになったし。」
「えっ、こっそり?」
「うん、友達の家行ってくるって言って勝手にプロテスト受けに行った。
受験料は父方母方両方の爺ちゃん婆ちゃんからせしめた。」
「えぇ…。」
「最終100万以上かかったけど、なんとか揃えて、協会に入会してちゃんとプロになったときに報告した。」
「よくバレなかったね。」
「たぶんバレてたよ。
バレてたけどなんも言わなかったの。」
「なんでバレてたってわかんの?」
「プロになって初優勝したときに、その賞金で爺ちゃん婆ちゃんにお金返そうと思って持って行ったら、もう貰ったからええって。」
「もらった?」
「うん、プロテストの二次くらいのときに持ってきたんだって。」
「逆に二次試験まで隠し通したんだ…。」
「まぁさ、わかっててもあたしらが自分で考えて行動する分には何にも言わない人らじゃん。
あの人たち。」
「うん。たしかにそうだね。」
「だからたぶんなんも言わないよ。
そのかわり、ちゃんと筋道立てて、海外の院も合格してから言わなきゃダメよ。外堀埋めてからじゃないと。」
「わかった。」
「お金に困ったら貸してあげるから。
飛行機取れなかったらなんとかしてあげるから。」
そうだった、なおちゃんのスポンサーには航空会社がついてるんだった。
「ありがとう。」
「いいのよ、ほら、食うわよ。」
「うん。」
家族に支えられてることを心から実感した。
血は水よりも濃い。
と、まぁこんなことがあって今引っ越ししているわけなのだ。
荷物を搬出搬入してもらっている間、暇なのでどこか行こうかと思ったのだけれど、こういうのって立ち会わなきゃいけないのね。
どこも行けないなら呼べばいいということで、暇な時間を生贄に5つ星モンスター実季先輩を召喚する。ターンエンド。
「何やってんの?」
「あ、実季先輩。」
「呼ばれてきてみりゃ何事。」
「いや、引っ越すことなになりまして。」
「あら。そうなの?
中途半端な時期ね。解約金とかえぐそう。」
「まぁいろいろありましたもんで。」
「?ふぅん。」
「搬出と搬入中暇なんで呼びました。」
「あんた先輩をなんだと…!」
「まぁまぁ。」
「しかも搬入まで私拘束されるの!?」
先輩の歯軋りが聞こえてくる。
「新居、見たくないですか…?」
「……みたい。」
歯軋りの音がさらに強くなった。
「荷ほどき手伝ってくださいね。」
「貴様ァ…。」
「で、どこに引っ越すの?」
「六本木す。最寄は溜池山王。」
「近っ!!!そして高っ!!!」
「たしかに。」
「あんなとこはねぇ!学生が住んでいい街じゃないのよ!クソボンボンが!」
「先輩どこ住んでるんでしたっけ?」
「表参道ヒルズ。」
「クソボンボンが。」
先輩は卒業を控えているということもあり、実家から出てきて一人暮らしを始めた。
何年かやってみて飽きたら実家帰るらしい。
なお実家は田園調布でピアノは竪琴マークのグランドピアノな模様。
「まぁでも高いところ選んだわね。」
「まぁツテで。」
「ふぅん。」
先輩で暇つぶしがをしてたら搬出が終わったので、私たちは新居でトラックを待つことに。
「じゃ新居行きましょうか。」
「はーい。」
車に乗り込もうとすると、先輩がまたキレる。
「学生が乗っていい車じゃねえだろ。」
「いいんすよ、家の車です。」
「なんで、18のガキがベンツ乗ってんだよ…。」
「細かいことは言いっこなしですよ。あともう誕生日すぎたんで19です。」
「えっ!おめでとう!いつ?」
「先月?」
「最近じゃん!」
「そうでもないっしょ?」
「じゃあ今日は晩ご飯ご馳走してあげる!
この前の借りもあるし!」
「お!ほんとですか!
うれしいなぁ!
家の近くにいい寿司屋あるんですよ!」
「こいつ六本木だった…。」
「っと、はい着きました。」
「うーん、近い。ってここ赤坂じゃん!」
「あ、住所的には赤坂なんですね。」
「えっどこ行くの?」
「地下駐です。」
「ワー…
見て見て〜、ロールスロイス、フェラーリ、ランボルギーニ、あれはベントレーかなぁ〜」
「先輩のとこも似たようなもんでしょ。」
「いや、うちはほら……。
プロボックス(主な用途は商用バン)とか、ハイエース(主な用途は商用バン)とか、日野プロフィア(大型トラック)とか……。」
「それ下のテナントの車っすねぇ!!!!」
「バレたか。」
「先輩車好きなんすか?」
「ううん、特にそういうわけでもないけど、街ゆく車でかっこいい車見つけたとき、これなにー?ってお父さんに聞いたら大体答え返ってくるから覚えちゃった。」
「なるほど。」
なおちゃんから指定された、居住車用の駐車スペースに車を停め、またこちらも居住車用のエレベーターに乗る。
「何階?」
「41階す。」
「最上階……。
あれ、押せない。」
「あ、セキュリティあるんで、この鍵さしてまわしてください。」
そう言って鍵を差し出す。
「はやりのダブルオートロックってやつね…。」
先輩が鍵を回すと、自動で41階が点灯する。
「先輩のとこもそうじゃないです?」
「うちはカードかざすタイプ。」
「なるほど。」
エレベーターを降りると、少しのホールと廊下があって、玄関ドアがある。
「最上階二軒しかないのね。」
「ですね。」
ちゃんドアを開けたら鉢合わせしないように、ドアは反対側のドアから見えない位置にある。
そして、人がエレベーターホールにいると、廊下の電気が自動でつく。
お隣さんには本日入居の旨を伝えてあるので、時間を指定して優先的にエレベーターを使わせてもらっている。
しばらくすると業者さんから到着の連絡があったので、下まで迎えに行き、少しではあるが手伝い、搬入が完了した。
引っ越し代って近くなのに結構値段取られるのな。
「まぁー、なんと広いお家だこと!!!」
「えーと、500平米くらいですね。」
「広っ!!!!!」
「あと防音室有ります。」
「えっ!?!?見せて見せて!!」
「こちらです。」
「広っ!!!!!」
「50畳くらいですかねぇ。」
「羨ましい…。」
「なんか、前の持ち主さんがサロンコンサート開きたかったから作ったって聞いてます。」
「しかも防音なんでしょ?」
「もちろん。」
「この広さならグランド置けるね…。」
「そうなんですよ、グランド買おうと思って。」
「あらほんとに。」
「まぁ詳しい話は夜ご飯の時話しますから、さきに荷ほどきしましょう。」
「おっけー。」
食器やら割れ物やら細々したものの梱包を一つ一つ剥いてあるべきところに収納していく。
服は全部まとめてウォークインクローゼットにぶち込み、食器は作りつけの食器棚にぶち込み、あらかた終わったところで、先輩はテーブルを拭いたりしてくれていた。
「あ、先輩ありがとうございます。」
「はいよー。
そういえば吉弘くんの家ってテレビないんだね。」
「前の家にはあったんですけど、ほとんど見ることなかったんで売っちゃいました。
今はこれですね。」
徐に私はスマホでスイッチを入れる。
すると真っ白な壁一面に映像が投影される。
「えっ!プロジェクター!?
どこから!?」
「シーリングライトに一体型です。」
「はぁー、おっしゃれやなぁ。」
「そろそろご飯行きますか。」
「はい。」
向かうのは前なおちゃんと行った個室の寿司屋。
「で、なに?
ピアノ買いたいって?」
「まぁそれもなんですけど、先輩には話しとこうかなって。」
先輩はなにを話されるのかと身構えた。
そこでこの前なおちゃんに話した話とおんなじ話をする。
「あー、なるほどね。
それでピアノを買うと。」
「まぁそうですね。
どこか紹介してくれませんかね。」
「ちょっと心当たりあるから電話してみる。」
そう言って先輩は個室を出た。
〜〜〜〜〜〜side柳井実季
「もしもし、実季です。
弓先生、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど今お時間よろしいですか?」
「あら〜実季ちゃん!
いいわよ?どうしたの?」
「知り合いがピアノ買いたいって言うんですけど、一台都合つきません?」
「まぁないことはないけど、どんなのが欲しいのかによるわよ。」
「えーと、コンサートピアノです。
プロになるから買うって。」
「あらそう。なら何台か用意しとくから試奏しにいらっしゃい。」
「そんな簡単にいいんですか!?」
「いいわよ、今ピアノ売れないんだから、私もピアノ屋さんに紹介してあげたいし。日にち決まったら教えて頂戴。」
「わかりました、ありがとうございます!」
そう言って私は電話を切った。
「にしても吉弘くんがプロになるのかぁ。
男の子ってすぐかっこよくなっちゃうなぁ。
はぁ…ここのお寿司いくらなんだろう…。」
愛する教え子からの電話を切ると、笑みが溢れる。
「とうとう動き出すみたいね、彼が。
こうしちゃいられないわ、ピアノ屋さんに電話しなくちゃ。」
〜〜〜〜〜〜side 藤原吉弘
「おかえんなさい。どうでした?」
「私のピアノの先生が都合つけてあげるから試奏しにきなさいって。」
「えっそんな簡単に!?」
「みたいよ?」
「そうなのか…。」
グランドピアノのしかもコンサートピアノってそんな簡単に用意できるもんじゃないはずだけどなぁ…。
「いつにする?」
「じゃあ来週の13時で。」
「OK。」
あとは先輩が先生に連絡をつけて、予定が決定するのを待つのみだ。
「あ、返事きた。いいよーって。」
「じゃあお願いします!!」
「まかされた!!」
その後は先輩からこの前のライブの講評とかアドバイスとか、次やるんだったらこうしたほうがいいよとか聞いてたらお開きの時間になった。
先輩は終盤には結構酔っていたが、前ほどではなかったので、車でおうちまで送り届けておいた。
その際に、送られ狼が出てきそうになっていたのでそそくさと退散した。
あの時の先輩絶対酔ってなかったと思う。
ドア閉める前に舌打ち聞こえたし。




