ある聴衆の話。後編
弓先生に言われて来てみたはいいが、
本当に面白いものがあるのだろうか。
弓先生とは、この学校に通う1人の生徒を愛弟子に持つ、ピアニストだ。
昔は日本で活動していたのだが、その愛弟子が大学進学するのを機にドイツに活動拠点を移してしまった。
日本にいた時は、うちの事務所に所属するアーティストのボイトレを少しやってもらったり、スタジオミュージシャンみたいな形でレコーディングに参加してもらったり、うちの会社としては本当に頼りにさせてもらった。
その弓先生が、面白い子が2人出るから是非見てみて。
とチケットを一枚渡してくれたのだ。
弊社としては、その提案に一も二もなく飛びついた。
なぜなら、弓先生の言う「面白い子」が、面白くなかった試しは一度もないからだ。
ある「面白い子」は、今や世界的テノール歌手になったし、またある「面白い子」は世界的に技術力を評価されているギターリストになった。
他にも国内最高峰レベルの子をぼろぼろ紹介してくれていることから、先生のいう面白い子は本当に面白い。
2人いるうちの1人はおそらく先生の愛弟子だろう。
柳井さんと言ったかな。
もうすでに目をつけてる事務所やレコード会社もあるというのは業界の裏側の話だ。
弓先生が後ろ盾となっていることから、各社が牽制しあっている。
もう1人の面白い子はおそらく、トリ前の名前がわからない子。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
演奏が終わった。
彼の演奏は凄まじいものだった。
あれほどに感情が豊かで、聴くものを異世界に連れて行く演奏は聞いたことがない。
彼のピアノは聴くピアノではなく、観るピアノだ。
テクニック的にも申し分ない。
そして、彼の後に演奏した、柳井さん。
弓先生の愛弟子だが、彼女の演奏も凄まじいものがあった。
彼が会場を温め、温めすぎて熱狂の渦に巻き込み、鬼のように高くしたハードルを、彼女は超えていった。
彼女の鬼気迫る演奏と気迫は誰にでも真似できるものではない。
この演奏を聴いてしまった我々はもう今後生半可なアーティストの音楽では満足できないだろう。
会場を出ると早速弓先生に連絡する。
国際電話なので電話代は目が飛び出るほど高いが必要経費だ。
「弓先生、とんでもない子見つけて来ましたね。」
「でしょう。音源もあの子に言ってあるから2人分手に入るわよ。」
「ぜひ、お二人の演奏の音源いただけないでしょうか。」
「もちろん。彼の才能を眠らせておくのは損失だもの。」
「弓先生、でもね、多分彼女の演奏も、先生聴いたらびっくりしますよ。」
「そんなことわかってるわよ。
誰が教えたと思ってるの?」
「そうでしたね、愚問でした。」
「私は遠くにいたからよくわかんないけど、今日の演奏があの演奏会だけのもので終わるはずがないと思うの。」
「…でしょうね。きっと彼の努力と才能を世間が放っておかないでしょう。」
「持つものを守ってあげるのもまた持つものの役割だとは思わないかしら?」
「もちろんそうだと思います。弊社はすぐに動くつもりです。」
「お願いね。彼が望んだ時には手を差し伸べてあげてくださるかしら。」
「かしこまりました。お教えくださってありがとうございます。」
「はい、それじゃ。」
「失礼いたします。」
弓先生がいう持つものというのは、先生が若い頃苦労を強いられたというのも多分にあるはずだ。
先生は若くして、日本人初という快挙をいくつも打ち立てた。
ピアノの国際コンクールの最優秀賞は軒並み総ナメにしたし、それらの快挙を記念して先生が16歳で発売した16曲からなるピアノアルバムは、「全世界で最も売れたクラシックアルバムランキング」のトップ10に入る。
クラシックは売れないといわれる日本で、オリコンチャート一位を獲得したこともある。
しかし、天才ともてはやされることによる、周囲のやっかみや音楽業界の構造、マスコミによる私生活の暴露など、様々な障壁が先生の行手を阻んだ。
まだ幼かった先生は社会から孤立し、精神を病みかけたこともあった。
精神的に疲弊してしまった先生は休養期間として日本での活動を休止し、18歳で単身渡米。
アメリカの有名な音楽大学を卒業して、商業音楽と音楽教育を学んだ。
様々な武器を身につけて、アメリカの音楽業界でも存在感を発揮したところで、日本に帰国。
その頃に出会ったのが柳井さんだ。
最先端の音楽理論と音楽教育を柳井さんに叩き込み、影に日向に支え続けた。
おそらく柳井さんは自分がそれほどの存在であるということに気づいてはいないし、先生もそれを明かしていない。
何かの存在がきっかけで爆発するとは常々先生が言っていたが、おそらく彼の存在が起爆剤になったのだろう。
今日の演奏は弓天音の後継者と呼ぶにふさわしい演奏だった。
しかし彼の才能はそれに劣らない。
むしろ、弓天音流の教育を受けていない分、弓天音を超える可能性すらある。
日本の音楽界は今日変わった。
「もしもし、私です。えぇ。
先ほど弓先生にご紹介いただいた方の演奏を聴いて来ました。
私としては早急に動く必要があるかと。
はい。
もしお話しする機会がいただけましたら私も同席いたしますので。
はい。では、よろしくお願いいたします。」
先生は私の初恋の人だ。
当時はただのクラスメイトだった先生のために、事務所を興し、たった1人の社員がマネージャーで社長だった、私の小さな音楽事務所も、今や日本最大の芸能事務所となった。
先生と二人三脚で音楽業界を駆け抜けて、いろんな壁にぶち当たり、泣かされたこともあった。
先生を守りきれず、自分の無力さに心を折られたことは数えきれない。
それでもなんとかここまでやってこれたのは、ひとえに先生のおかげだ。
愛する嫁のためだ、一肌脱ごうか。




