アーバンサンクチュアリ
ドアマンの彼に誘われて、私はアマンのスパに来ている。
アマンはスパに非常に力を入れていて、ニューヨークでは3フロアにまたがって展開されている。
本来であればホテルの宿泊利用者しか使用できないはずだが、なぜか利用させてくれた。
もしかして駐車場契約とかしてくれてるのかな。
多分ジェシカのおかげだ。
昔はただのおてんばだと思ってたけど、なんか印象が違って肩透かしを食らった気分だ。
無茶振りは相変わらずだけど。
9階から11階がまるまるフィットネスとなっており、まさにアーバンサンクチュアリだ。
シャワーで軽く汗を流して、スタッフさんに促されるまま施術を受ける。
マッサージをしてくれた時、体があまりにガチガチに凝り固まっていたため、施術師さんが驚いていた。
「聞いてもいいのかわからないですけど何をされている方なんですか?」
「ピアニストをしています。ちょうど今佳境なので昨日も寝てなくて…。」
と答えたところから記憶がない。
あまりに気持ちが良すぎて熟睡してしまった。
施術が終わったところで優しく起こされた。
どうやら3時間ほど寝ていたらしい。
肩も腰も首も頭も全部スッキリしている。
今ならまた何日間でも引き篭もれそうだ。
やらないけどね。
そのあとはプールとフィットネスで軽く汗を流したかったが、今の体調的によろしくなさそうなので家に帰ることにした。
アマンニューヨークの入居するクラウンビルを出たところでドアマンが車を用意して待っていてくれた。
「おかえり。」
「ただいま。すごくスッキリしたよ、ありがとう。」
「どういたしまして。またいつでも来ていいからね。
君の親友がスパは利用できるようにしておいてくれてるよ。」
なんということだ。ジェシカありがとう。
私は心の中で大感謝した。
「いいんですか?」
「もちろん。ヒロもジェシカもアマンの大事なお客様の1人だから。」
「ありがとうございます。」
後からジェシカにもお礼を言った。
ジェシカに聞いてみたら、ジェシカの駐車場が一台余っていたので融通してくれたらしい。
スパの利用枠も、ジェシカが使わないので余っていた枠を使えるようにしてくれただけよとのこと。
肝心のジェシカはスパもジムも、ハリウッドスターやトップモデルが足繁く通う、もっとすごいところに行っているらしい。
怖くて詳しい話は聞けなかった。
スッキリした心と頭と体で車を転がして家まで帰る。
1日か、2日ほど開けただけだが随分と久しぶりに家に帰ってきたような気がする。
「ただいま〜」
と言っても誰も返してくれないのが少し寂しい。
家に着いたのはもう夜だ。
我が家というテリトリーに安心したのか、疲労感が一気に襲ってくる。
リビングのソファに鞄を置き、歩いて2階のランドリールームに向かう。
洗面台で顔を確認するとやはりスパのおかげか肌艶が良いが、疲れている様子は隠せない。
サプリメントで軽く栄養を補給して、洗濯物を洗濯機に突っ込んで、軽くシャワーを浴びた。
私は寝る前にシャワーを浴びないと寝られないタチだ。
なんか気持ち悪く感じてしまう。
「洗濯物は明日でいいか…。」
髪を乾かした後、私はベッドに倒れ込み、そのまま意識を手放した。
おやすみなさい…。
「朝だ。」
ぱちっと目が覚めた。
昨日の疲労感が嘘のように消えている。
若いって素晴らしい。
昨日は深く眠った気がする。
スッキリとした目覚めを感じた。
全ての行動を開始する前に体を眠りから起こすストレッチを行う。
この時に、もし体の不調があれば、いつも敏感に感じ取れる。
「うん、快調。」
昨日のマッサージのおかげだろうか。
最近常に感じていた腰の重さや首の痛みが嘘のように消えている。
これまでマッサージやリフレクソロジーといったものにはとんと縁がなく、唯一あるのは卒業の時に先輩と行った島くらいだろうか。
これからは体を労るというものも大事かもしれない。
これまで無茶をしすぎてきたという自覚はある。
しかし、そのリスクを取らなければ世界のトップピアニストと並ぶことができないのもまた事実。
世の中そううまくはいかないね。
ストレッチが済み、ランドリールームに向かい洗濯機のスイッチを入れる。
昨日の服やタオルを洗わなければ。
洗濯が終わるまで大体1時間弱。
ちょっと走ってこよう。
いつものコースを走ると往復で90分くらいかかるので、家の近所を適当にランニングする。
ランニングシューズはNIKEのインヴィンシブル3。
ランニングシューズのこだわりは特にないので、とにかく走りやすかったものを買った。
ランニングウエアもユニクロだ。
とにかく気兼ねせずにガンガン使えて、丈夫なもの。
破れてもショックが大きくないものを選んでいる。
「へぇ、ここ美味しそう。」
走りながら街の風景を記憶する。
近所の店もあまり多くは開拓できていないので、頭の中の今度行くお店リストにどんどん追加していく。
Apple Watchはランニングやジムでの運動ととにかく相性が良い。
心拍数も測れるし、消費カロリーも計算してくれる。
体力維持や健康維持のためにも買って良かったと思える一つだ。
時間を見るともう40分ほど経っていた。
走行距離はま8キロほど。
平坦な道なので、いつものコースを走るくらいの気持ちで走ったが結構進んだ。
ここからは少しペースを下げて、クールダウンも兼ねて進路を家に向ける。
おそらく20分弱で家に着くはずだ。
「よし、到着。」
家の門を潜ったところで時計のタイマーを切る。
20分かかると思っていたが15分弱くらいで到着した。
庭を歩いて、クールダウンする。
今日はなかなか強度の高い運動をしたためか、気持ちがいい。
芝生に寝っ転がるとなお気持ち良い。
空が高く、吸い込まれそうだ。
どくどくと音を立てる心臓と、全身を駆け回る血液の音に耳を澄ませているとだんだんと落ち着いてきた。
「よし、洗濯物干そう。」
寝転がったことで、体についた芝生を払いながら立ち上がり家の中に入る。
作り置きのBCAAドリンクを冷蔵庫から取り出し、それを飲みながらランドリールームに入ったところで、
どうせならトレーニングウエアも洗いたかったなと思ったので、その場で服を脱ぎ、お風呂場で軽く手洗いをして、一緒に干した。
我が家には浴室乾燥機もあるが、小さな干し場兼ベランダもある。
狭いところ愛好家の私としては、このこじんまりとしたベランダが結構好きだ。
今日は天気も良いので、外干しをする。
今の今まで着ていた服も全て洗濯したのでそのまま風呂場に直行し、湯船にしっかりと浸かることにした。
足がしっかりと伸ばせる湯船はやはり最高で、体の芯から癒される。
ゆくゆくはこのお風呂場をさらに改装して、スーパー銭湯とかであるような寝湯をつけたいと思っているが、みんなから反対されそうなので計画のまま終わりそうだ。
そんなどうでもいいことを考えながら、体を洗い頭を洗い、お風呂から上がる。
「よし、今日もしっかり練習しなきゃね。」
練習に向けた気合いを入れ直し、バスローブ姿のままで、あらかじめ買ってきておいたターキーのハムと、これまた買ってきておいたパンに挟んだサンドイッチを作り、朝食の時間とする。
ターキーのハムって美味しいよね。