お食事会
ハイウェイを駆け抜けて、コーネル大学を横目に、また川を渡り、マンハッタン57丁目のアマンニューヨークに到着する。
セントラルパークから程近く、眺めも立地も文句なしの一等地にあるアマンニューヨーク。
1階のドアマンに車の鍵を渡してホテルの中に入る。
予約の照会をしてもらうとちゃんと私の名前も伝わっていた。
どこからともなく現れたコンシェルジュサービスのお兄さんに案内され14階にあるイタリアンレストラン『Arva』に案内される。
時間にはまだ少し余裕があったためかジェシカはきていなかった。
5分か10分ほど待つと見違えるほど昼間とはまた違う印象のラフなジェシカが現れた。
どちらかと言うとこちらのジェシカの方が馴染みがある。
「ヒロがキメキメで来たらどうしようかと思ったけど、ラフな格好で来てくれてよかったわ。」
「私もジェシカがドレスできたらどうしようと思ってたよ。」
軽くハグをして奥の個室に案内される。
「で?どうなのよ、最近。」
相変わらず本題を急ぎたがるジェシカに苦笑する。
「せっかく久々に再開したんだからもっと時間を楽しもうよ。」
「あら、演奏会に招待もしてくれなかったのにそんなことを言うのかしら?」
これは耳が痛い。
「私も急遽言われた演奏会だったからね。
今度はちゃんとご招待させてもらうよ。」
「それは嬉しいわね。」
「その代わり絶対来いよ?
ハリウッド女優さん?」
「それはスケジュールの都合次第ね。」
「売れっ子だなぁ。」
「ハリウッドでは、俳優は使い捨てみたいなものよ。
私もそんなに長くいるつもりはないしね。」
「そうなのか。」
かつてのわがまま放題だった頃のジェシカはもういなかった。
そのことにホッとするとともに少し寂しさも感じる。
そのあとは美味しい料理を食べながらお互いの近況を話したりした。
聞けばジェシカはアマンに住んでいるらしい。
アマンニューヨークには約80部屋の客室と20戸の住宅がある。
そのうちの住宅の方に最近引っ越したのだとか。
「住みやすそうだな。」
「そうね、レジデンスに住む最大のメリットは家事をほとんどしなくていいことよ。
ルームサービスはあるし、ベッドメイキングも清掃もクリーニングも。ほんとに楽だわ。」
話は尽きない。
ご飯も食べ終わったところでジェシカからお誘いがあった。
「ここ、バーもあるんだけど行ってみない?」
「私車だけど。」
「もともとあなた飲まないじゃない。」
「たしかに。」
と言うことで同じフロア内にあるバーに入った。
カウンターに座るのかと思いきや、ジェシカはバーの黒服に、アイコンタクトをかわすとスタスタと奥の方に歩いて行き、ピアノの前の特等席に座った。
座席にはreservedの札が置いてあった。
そうか、ここはジャズバーか。
「はい、どうぞ。」
ジェシカが手のひらをむけているのはピアノの方。
「やっぱりか。」
嫌な予感はしてたんだよ。
「私あなたのピアノ聴かないと眠れないの。
ね?いいでしょ?」
おそらくこの地球上で、プライベートで私にピアノを弾けと言える人間はそう多くはない。
「しょうがないなぁ…。」
黒服の方をチラッと見ると頷いてどうぞ弾いてくれと言わんばかりに手をピアノの方に向ける。
「じゃ今日はおふざけとして、優しい目で見てね。」
「もちろん、本気でなんて無茶は言わないわ。」
わがままなジェシカは健在だった。
さてさて、せっかくこんな素敵な場所で、気合の入ったアンティークのスタインウェイを弾かせてもらえるのだから私の気分も乗るというもの。
私もジャズに自信がないわけではない。
サックスをやっていた頃にはジャズに傾倒した時もあったし、バーで演奏していた時もジャスをリクエストされることも少なくなかった。
「まずはスタンダードナンバーから。」
私が弾いたのはデュークエリントンのコットンテイル。
やはりこの会場はジャズ好きが多い。
2〜3小節のコード進行だけでおっ!と会場が沸く。
アドリブを混ぜつつ曲を進める。
一曲弾き終わる頃にはすっかり会場も暖まっていた。
次の曲は「バイオレットフォーユアファー」
作曲はマットデニス。
日本ではコートにすみれをと言う名前だが、なんと洒落た名前だろう。
もともとはピアノ弾き語りの曲だけど、私はサックスでも吹いたので両方の楽譜がわかる。
ところどころニュアンスでサックスのテイストを混ぜ、私なりのすみれを作る。
ゆったりとしたリズムがこのバーにふさわしい。
聴いていたのであろう本来のバンドが少しずつ混ざってくる。
これこれ。合奏の楽しさってこれなんだよ。
だんだんとみんなが入ってきて最後一個の大きな流れになる。
音楽って楽しい。
その後もジャズのスタンダードナンバーを中心に披露した。
そろそろ宴も酣というところで最後の曲にした。
「最後はこの曲でしょ。」
私が選んだのはチックコリアの『スペイン』
できる限りの技巧を詰め込み披露する。
バンドも熱くなっている。
日本でも有名なこの曲。
みんな知ってるが故に難しい。
しかし楽しい。
間違えてもいい。
みんながカバーするし、私もカバーする。
間違えたように見えてもそれがいい味だったりする。
名残惜しいが、終わりに向けて曲がクローズしていく。
気づけば私たちは最後の音を弾ききり、拍手に包まれていた。
途中から乗ってきてくれたバンドの人と握手をする。
「とても良かった。音楽の楽しさを再認識できたよ。」
「私もです。今度はサックスで飛び入りさせてください。」
「驚いた!サックスもやるのかい?」
「ちょっと待ってくれよ、俺が無職になっちまう。」
本来のサックス奏者が慌てた様子で冗談めかして言う?
「私はあなたがサックスに行ってくれた方が仕事できていいんですけどね?」
私がピアノを弾いてたせいで出番がなかったピアニストが冗談を言う。
席に戻るとジェシカはとても嬉しそうだった。
「やはりヒロはさすがね。」
「こんなの聞いてなかったんだけど。」
「だって演奏会行けなかったんだもの。」
「そうだけどさぁ。」
ジェシカと談笑していると先ほどの演奏を聴いていたお客さんがかわるがわる挨拶しにきた。
中には、よければデビューしないか?というお誘いもあったが丁重にお断りした。
「やはりさすがはヒロね。」
「だからもうそれはいいんだって。」
嬉しそうにワインを片手にジェシカが微笑んでいる。
微笑みのジェシカはそろそろ寝落ちする合図だ。
話をしていてもだんだんと口数が少なくなって船を漕ぎ始めている。
音楽の話をしているととうとう返事がなくなった。
どうやら寝てしまったようだ。
仕方ないので部屋まで連れて行こう。
黒服を呼んで会計をしようとすると既にいただいてるとのこと。
全くカッコつけなんだから。
「こんなサービスすることないんだからね。」
私はジェシカをお姫様抱っこして部屋まで連れていく。
部屋番号もわからないし、鍵も持ってないので、ベルサービスの人を呼んでもらって、部屋まで連れて行く。
マスターキーで鍵を開けてもらってベッドに彼女を横たえる。
多分聞こえてないが、おやすみと声をかけて部屋を出る。
部屋の外で待ってくれている、ベルサービスの人に少しばかりチップを渡して客室階を後にした。
ホテルが入っているクラウンビルを出たところでドアマンに車を出してもらう。
と思ったらすでに車が横付けされていた。
ベルの人が連絡してくれたんだろう。
ドアマンにもチップを渡して鍵を受け取り、車に乗って家に帰る。
今日はたくさん音楽したなぁ。