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リサイタル

学長室を辞したあと。


「知らなかったんだね。」


「うん、完全に私のミス。」


「まぁ連絡ブッチは良くないよねぇ。」


「そうだね…」


「何はともあれ、問題は解決したんだしいいじゃん、

プラスに考えていこ。」


「そうだね…」


マリアは私と話す時いつもニコニコしているが、他の学生の前だと必ずしもそういうわけではないようで。

今も周りからちらほらと、あの氷の女王が…といった声が聞こえる。


だが言いたい。

声を大にして言いたい。

マリーの本質は努力する人が好きなのだ。


努力するプロセスを評価している。

努力をしない人に対してはどうしても頑なになる部分が出てしまうだけなのだ。

ここ、ジュリアードは高等教育機関である。

来たくない人は来なくていいし、学びたい人は来ればいい。

学びたいのであれば自分から自発的な努力をすることが求められる。

教員も研究者であるため、生徒はあくまでも、その研究成果を最前線でおこぼれをいただくことができるというのが大前提なのだ。


たしかに、大学も商売だという側面はある。

それはあくまでも経営側の話なだけで我々生徒や研究者には関係のない話なのだ。

特に教員は一騎当千の、皆手に職をつけた職人である。

少なくとも私は『音楽家とは職人である』と思っている。

技術を身につけ、それを披露し、対価として金銭を得る。


その職人の技術を学びに来ているのに、努力もせず、与えられることが当たり前と思っている生徒を相手にしていては本気で学びにくる生徒に対して礼を失することになる。


私は留学期間てそのことについて深く感じるものがあった。



「よし、じゃあピアノ弾こう。」


「そうこなくっちゃ!

せっかくだからホール抑えちゃおう!」


「えぇ!?」


「あなたの曲を聴いてこの大学に入ってきた生徒もたくさんいるんだよ?

サービスしてあげなきゃ。」


突如始まったピアノ発表会。

そんなホールを抑えるなんて…と思ったが、できてしまった。

今日はホールの予定が空いていたこと、マリアが出世して少し偉くなったこと、私の知名度が学内において少しばかり高かったことが上手いこと絡まり合って確保できてしまったのだ。


「時間は今1時半だから16時から!

そんな長々やらなくていいから30分くらいのミニコンサートね。

ちゃんと練習してたかどうか見てあげなきゃ。」


「じゃあちょっと練習します…。

練習室借りれますか?」


「もちろん!

私の部屋のピアノ室使っていいよ〜!」


マリアは鍵を私に預けると、拡散してくるね!と言ってどこかへ消えていった。


「トホホ…」


それからの私はとりあえず指の体操から始め、凝り固まった指をほぐした。

最近まとまった時間を取れていなかったのでどうも指の動きが悪い。

毎日の日課であるハノンを欠かしたことはないものの、グランドピアノをしっかりと鳴らすことができていないのでやや不安が残る。


いつも発表会の前には、腕がもげるくらいハノンを弾きまくってた。

そうと決まれば、やることは一つだ。

圧倒的な集中力でもって、基礎練だけする。

曲練はしない。


アスリートとかだったらゾーンに入るというのだろうか。

私の場合はそのスイッチがハノンになっている。


最初は指を温めるようにゆっくりと一音一音、確かめるように。

次はリズムを変えて。

次は表情を変えて。

テンポを上げて。テンポを下げて。

ペダルを使って。


「ねぇ、ヒロ!」


「っは!、、!」

マリアに肩を叩かれて気がついた。

もう2時間以上経ってたらしい。


「さっきからずっと声かけてたよ?大丈夫?」


「大丈夫。久々に深く深く入り込んだみたい。

だいぶスッキリしたよ。」


「よかった。じゃそろそろホール行こっか。」


「わかった。」


アメリカの大学には大なり小なりホールが併設されている。

ジュリアードなんかはホールがないと話にならないので、幾つもホールを持っている。


「どこのホール抑えたの?」


「ポール。」


「ポール!?!?」


「と言いたいところだけど流石にね。

モースだよ」


「モースか…よかった…」

ホールをいくつも持つジュリアードだけど、ポールホールというリサイタルホールが一番大きい。

全学のコンサートなんかはこちらで行う。

入学式もやる。


対してモースホールは小さめ。

キャパもマックスで2〜300人くらいかな。

日本でいう多目的ホールをイメージしてもらえるとわかりやすい。


「そうもいってられないのよね。」


「どうして?」


「超満員すぎてさ…」


「なんでだよ…」


「あ、連絡きた。

やっぱりポールだって。

入らなさすぎて外に集まっちゃった。」


「なんでだよ…。」


歩いて移動してるので、そこまで大した違いはないのだが気は重い。


ポールホールの楽屋口から中に入り、控え室に通される。


「ヒロすごいよ。ポールが満席だって。

入学式の時でさえ満席にならないのに。」


「ニューヨーカーはお祭り好きだから。」


「私も拡散した甲斐があったわ。」


「ちなみになんて拡散したの?」


「ジュリアードの歴史に名を残す天才、凱旋公演が急遽決定。

最優秀賞生徒賞を受賞し、制作楽曲は買取となったものの突如姿を消した謎大き天才がジュリアードに再び咲き誇る。

本日16時からミニコンサート開催します。


って。」


「ハードル上げすぎでしょ。」


「プレッシャーかけすぎ?」


「いや?」


「あれ?」


「正直プレッシャーとかは感じないんだよね。

みんなは私の音楽が好きかどうか。

私は自分に恥じない音楽ができるかどうか。

そこにプレッシャーはないよ。」


「かっっこいい…」


とは大見栄をきったものの、多少は緊張する。


時刻は15時55分

16時開演なので私はすでに袖に待機している。

客席をちらっと覗いてみると超満員だ。

立ち見までいる。


「ひえ〜ギチギチだ。」


多少ビビリはしたものの、今日今からやる曲のことを考えてたらすぐにその不安は消えていった。


袖のタイムキーパーさんに合図をされて舞台に出ていく。

客席の方を向いて、ピアノの前に立つ。

ホリゾントライトが眩しい。

逆光でお客さんの顔なんて見えない。


お辞儀をしてピアノ椅子に座る。


今日の一曲目はショパンのエチュード『Op.25-11木枯らし』


この曲を弾くにおいて、最も重要なのが脱力である。

主に右手。

音階的に下がってくる6連符の形、分散和音的に上下する音型の形。

という楽譜的な難しさもさることながら、それを完璧な脱力で持ってこなす必要がある。


粒をはっきりとさせる必要があるため、どうしても強靭なタッチでもって挑みがちだがそれでは弾けない。

とにかく柔らかく、無駄な力を省きつつも、芯を持って。

手首や腕がぐにゃぐにゃする波打つような弾き方はよろしくない。



軽く息を整えて手を鍵盤に乗せる。

まるでシルクの布が鍵盤に被さったように。


そして、柔らかくも悲しい音色で主題を奏でる。


私のショパンを聴け。










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