普段のこと。
せっかくなので今日はスカイラインで通学した。
V6ツインターボが奏でるエグゾーストノートはショパンのピアノに勝るとも劣らない甘美な響きをもたらす。
まぁつまりなかなかに爆音ということが言いたいのだが。
そんな爆音で大学まで乗りつけたものだから何事かと寄ってくる生徒はいる。
やってきた生徒が見つけるのは、納車まで何年待たされるかわからない幻の名車、スカイラインGTR-36。
男の子なら沸かないわけがない。
ドアを開けて降りてきたのは私。
大学内の大問題児。
蜘蛛の子を散らすようにみんな逃げてったよ。
辛いね。
「あら、素敵な車。」
声の方に顔を向けるとそこにはジェシカ。
もう私にはジェシカしかいないのかもしれない。
「なんだ、ジェシカか。」
「なんだとはご挨拶ね。
私とのドライブのために買ってきてくれたの?」
「そんなわけないだろ。
自惚れるなよ?」
「くっ!!
金で動かない男がこんなにもめんどくさいとは!
だがそれがいい。」
最近ジェシカが日本の文化を学びたいと言ってきたので、花の慶次を渡しといた。
歴史も学べるしちょうどいいだろう。
車を近所の信用できる駐車場に止めると荷物を持ってレッスン室に。
最近は楽典など、基礎から音大生が学んできたであろう事項を学んでいる。
目標は1年間で音大生が学ぶ基礎を全て習得することだ。
きっと難しいことも多いだろうが、幸い私には心強い仲間がいる。
世界の第一線で活躍する先生もそうだし、その先生の下でめきめきと頭角を現し始めた先輩もそうだ。
アメリカに来てすでに数ヶ月がたったので、楽典など基礎的な教科書の中身は全て頭に叩き込んだ。
理論は正直どこまで行っても理論なので理屈がわかれば全てが理解できるようになっている。
それがわからないのは甘えだ。
感覚的なことがわからないのは仕方がない。
違う人間なのだから、違う感覚もあるだろう。
だが、理論は別だ。
理論は他の人がわかるように体系立てて考えられたものなのに、それが私にわからないはずがない。
まぁ、飛躍しすぎたものなど、理論ですらない理論も世の中には掃いて捨てるほどあるのだが。
午前中の座学を終えると次はマリアの下に。
マリアは去年の年末に顔を繋いでもらった先生の元教え子でジュリアード最年少教授。
どんな苛烈な指導がされるのかと思ったら、とても優しい指導だった。
「先生優しいですね」
とマリアに言うとすごく微妙な顔をしていた。
これまではほとんど独学のようにピアノを練習していたが、やっぱりプロの指導とはすごいなと感じる毎日だ。
私が1日かかってやっとできるようになることが、プロの指導を受けたら半日で終わる。
私も効率重視でやってきたはやってきたつもりだがやはりまだ甘いところがあったと考えざるを得ない。
先生やマリアにその感想を伝えると、それは異常と言われたのだが何が異常なのだろうか?
今日もしっかりとみっちりと指導を受けて車で帰る。
日本だったら帰りにカロリーモンスターみたいなラーメンを入れて帰るところだが今の家だとどんなに遅く帰っても何かしらご飯が用意されているのでそういうわけにもいかない。
スカイラインはエンジン音がうるさいので、家に帰るとすぐバレる。
門を抜け、ロータリーを通ったあたりで家に電気がつき、玄関前に横付けするとすぐにボブが出てくる。
「ヒロ!おかえり!」
「ボブ、ただいま。」
ボブに鍵を渡すと、ボブはそのまま車に乗って車庫に車を入れる。
そしてそこでメンテナンスと洗車をしてくれる。
毎朝ビカビカに光っているもの。
あまり洗車しすぎると車に良くないと聞くが、ボブにそのことを聞くと、したり顔で講釈を並べ始めた。
よくわからなかったけど、多分ボブに任せておけば大丈夫だと思う。
完全にスカイラインが好きだからやってくれてるんだろうな。
車をボブに預けて、私は食堂に向かう。
今日の晩ご飯はラザニアか。
弓先生の家のラザニアはすっごいおいしい。
このラザニア、実は先生がいつも手作りしてくれて常備菜にしてくれてる。
初めてラザニアを食べたのはここなのだが、その時あまりにおいしすぎて、大量に食べてしまった。
それを見て先生はいつも大量に作り置きしてくれてるんですよ。っていう話をお手伝いさんから聞いた。もう完全にお袋の味みたいになってる。
ありがとう、先生。
もしお袋の味はなんですか?と問われると実家の鳥の手羽元煮込みと弓先生のラザニアと答えると思う。
〜〜〜〜side マリア
弓先生から、とんでもない宝石の原石があなたのところへ行くわよと言われ戦々恐々としつつも彼がきたときは拍子抜けしたものだ。
そう、年末に顔合わせした彼だ。
彼と初めて会った時に彼のピアノを初めて聞いたが絶句という表現がまさにピッタリだった。
そのことを知っているのに先生はなぜ彼のことを原石と?
初授業で互いに改めて自己紹介をして、また一曲弾いてもらった。
曲名はストラヴィンスキーのペトルーシュカ。
入試でもやったらしい。
うん。うん。
あー、うん。
すごいね。ピアノが負けてる。
いや負けてるというか、可愛がってもらってるというのか。
ピアノがかまってもらってうれしそうなんだよね。
大人に遊んでもらってる子供というか。
こんなに響く子じゃなかった気がするのよ。確実に。
ピアノが「私こんな音も出せたんですね!」って言いながら歌ってるような。
私の部屋のピアノ、スタインなんだけどこの学校で一番モノがいいスタインなんだけどなぁ。
物が良すぎて私以外誰も弾きこなせないって言われてた奴なんだけどなぁ。
なんだかなぁ。
「はい。お疲れ様。」
「ありがとうございます!」
「君どんな練習してたの?」
彼の口から出てくる練習内容は、私でさえ嫌がるような基礎練の山。
とにかく基礎。
そして体力作り。
で。内容を聞いてもコツコツ系。
結局それが一番早いって知ってるんだろうね。
とにかくセンスがあると思う。
こんなマゾヒストみたいな練習してるくらいだから、その日、私が常々理想とする厳しい練習を課してみたら、出てきた言葉が
「先生優しいですね。」
なんかもう同情しちゃったよ。
辛かったね、寂しかったねって。
思わずハグしちゃったけど先生には秘密ね。
いや、結構好みなのよ、彼。
幸い歳も近いしさ。
抱き着いたけど、彼、体もイイのよね。
ちょっとこれから楽しみかも。
これはとんでもない宝石の原石だったわ。
あくまでも本作は実在のものと一切関係はございません。
似ている物があってもそれは似ているだけで、現実世界と異なる表記などございましても、この作品の世界ではこうなのだとご納得いただければ幸いです。