カット、シーン、シークエンス
「カット、シーン、シークエンス」
これは映像シナリオを例にとるとわかりやすいでしょう。
○道路(夜)
車の一台もいない車道
太一が走っている
太一「いったい、どうして」
背後、黒づくめの男が追っている
太一「はあはあ、このままじゃ」
目の前に地下鉄の入り口
太一「しめた!」
とびこむ
映像の最小単位は「カット」といいます。
これはカメラをスタートさせてから止めるまでの間、おおざっぱにいえば監督が「はい、スタート!」といってから「はいカット!」まで。
つまり長さに絶対的な決まりはなく、静止画をワンカットとすることもあれば、全編長回しで撮影してワンカットで作られた映画もあります。
このカットをつなぎ合わせたものが「シーン」。
つまり、カットの次に小さなまとまりです。
これは主に場所の移動で分けられることが多く、シナリオでは柱を立てて『○道路』のように表記されます。
さて、前述のシナリオを見てみましょう。
夜の道路で太一という男が黒づくめの人物に追いかけられている、このシーンにカットがいくつ入るかは、監督次第です。
例えばカットバックで逃げる太一と追いかける男を交互に写す、これだと短いカットがたくさん入るシーンになります。
逆に逃げる太一にカメラを持たせたならば、このシーンはワンカットで撮影することも可能です。男を観測するのも太一の視線、地下鉄の入り口を見つけるのも太一の視線、監督は太一に決められた順序通りに走るように指示を出した後は、地下鉄の入り口に飛び込むまで「はい、カット!」を言わなければいいだけなのですから。
ところで、この仕組みを知ってしまうと、私たちが小説を書くときに言う「このシーンは」がずいぶんと不安定なものだということに気づきませんか?
言い表すときだけではなく、自分が作ったプロットでも、少しばかり齟齬が起きる人もいるかもしれませんね。
ですから、書き手としての思考を軽量にするためには、シーンのもう一つ上の単位を覚えておきましょう。それは映画などでは「シークエンス」と呼ばれています。
シークエンスとはシーンをいくつかつなぎ合わせて作りあげた物語を構成するパーツの一部です。
めちゃくちゃおおざっぱな説明をしちゃうと「意味を成すひとまとまり」みたいな感じです。
冒頭のシナリオ、一般に文作で「逃亡シーン」と呼ばれるものの一部です。ところが映像のシーンで区切った場合、これはあくまでも逃亡の一部分でしかありません。この後、太一が地下鉄の駅構内を逃げるシーンを手始めに、男の手が届かないところまで走るシーンをいくつもつないで、やっと「逃亡」は成立するのです。
つまりは「逃亡シークエンス」ということになりますね。物語全体はこのシークエンスをつなぐことによって成立します。
この逃亡の物語の続きを、「ついうっかり寝取った女がやばい女だったために死にそうなメにあう物語」としましょうか。逃亡シークエンスの後に続くものは「この男の恋人を描く」シークエンスです。
シークエンスが最小単位ではないのだから、当然、これをさらに細かい「シーン」に分割することができます。
シーン1 家
勝手に上がりこんでいる美人の女
シーン2 レストラン
二人で食事へ。金を使うことに躊躇ない女
シーン3 ATM
金をおろしている男。女は残高の少なさにびっくり
と、こうしたシーンをつないでゆくと「ろくでもない女に捕まった」を表すシークエンスが出来上がるわけです。
ここで勘違いしがちなポイントは、シーンの移り変わりに物理的な移動を伴う場合が多いため、ここでついうっかりシークエンスを区切ってしまいがちになることです。これをやってしまうと、シークエンスとして構築するはずだった情報をシーンにぎっちり詰め込んで、場所の移動とともに新たなシークエンスを始めてしまうため、ドラマが不足するのです。
つまりシーンが最小単位であると思っているから、ここに意味を持たせなければならないと思い込んだり、逆に意味も持たせず状況説明に終始したりといった不具合を起こす。
こうしてシーンという断片で作られた物語は尺足らずで謎や起伏に乏しく、読者を退屈させてしまいます。
物語はまず、シークエンスで構築しましょう。
プロットの段階ではシークエンスで思考しておきながら、シーン分けの段階でやらかす向きも少なくない。自分が今書いているものがシーンなのか、それともシークエンスなのかの違いを把握する癖をつけましょう。
そして、その時にびっくりしないように言っておきます。シーンそのものには意味がないこともままあります。
時系列の調整のためだったり、ドタバタ劇だったり、説明のためだったり……これは大きなシークエンスをさらに小さい単位に切り分けたのだから当然のことであり、そのシーンが意味を成すのはシークエンスとしてつなぎ合わせた時、それでいいのです。文章だって一文字のみでは意味を成さない、それがつなぎ合わされて単語になり、さらにつながれて文になるがごとくなのです。
一見すると無意味に思えるパーツがつなぎ合わさってシーンを作り、そのシーンがさらにつなぎ合わさってシークエンスを作る、そしてそのシークエンスをつなげた全体を見回した時に初めて「物語」の全貌は現れる、それが理想の形と心得て試行錯誤してみると良いでしょう。