5話 しょうもないことほど男は本気になれる
さて、祐介にとっては予想外のキャスティングだったようがそれはよく考えてみれば当然のことだった。
彼女は祐介と同じように昨日は入院で休んでいるし、その上舞台では映える。
サラサラと風になびく黒髪はシルクのようであるし、その黒い瞳を一目見れば誰でも胸の高鳴りを意識してしまうだろう。実際、彼女のことをよく知らない一・三年生には、ちらほらとファンがいるようだ。
その代わり同学年の間ではその話しかけづらい雰囲気と、勇気を出して話しかけた時に帰ってくる毒舌のせいで、そういう類の輩は一切いないが。
しかし、舞台に置いてなら話は別だ。テレビの女優相手に釣り合うとかそんなことを考える人はいるまい。
ともかく、少しでも考えれば祐介だって分かったはずなのだが。
「おい千春。あまり余計なことはしないでくれないかな。君はいったい何なの? 何がしたいの? 僕にゴール前でナイスアシストをしているつもりなのかもしれないけど、パスには相手を思いやる気持ちっていうのが大事なんですからね」
「心配しなくても大丈夫ですよ。机の引き出しの二重底の奥に、さらに表紙を『哲学の道』に変えてまで厳重にケダモノの本を隠している祐介さんならきっと――」
「そこまで必死に隠してないやい!」
「ほう、ほう」
「あ……」
千春の妙な相づちに、祐介は自滅したことを悟る。
そもそも、彼女がお宝本の隠し場所を知るはずがないのに。……でもお気に入りのサイトぐらいは知ってそう……。
それはともかく。
「けどさ、それとこれとは全然関係ないだろ! それに何でよりにもよって相手が奏なのさ!」
「……そんなに嫌なら兄さんと変えましょうか?」
「お前しか得しない!」
「……いいえ、多分学園外からも観客が来てくれると思いますよ? 私本気出しますから」
千春は手をワキワキとさせる。その様子に祐介は冗談じゃないと判断し。
「如月さんの王子様役とかマジ光栄っす望外の喜びでありんすだからそれだけは勘弁してください!」
秋一のドレス姿に興味が無いわけでもなかったが、その王子様を演じた暁にはどんな噂が立つか分かったもんじゃない。
祐介は語尾があやふやになるほど必死に拝み倒したのであった。
◆
さて、祐介の預かり知らぬところでキャスティングが何週間。その日々は内容の濃さも相まって、怒濤の速さで過ぎて行った。
うちのクラスは別に賞とかをとる気はない。けれど、せっかくやるならとことん頑張りましょう的な千春の勢いに乗せて、マジで挑む雰囲気がクラス内に流れてしまったのだ。おかげで現場の士気は高い。
別にある日、千春がはじっこの方でさぼっていたクラスメイトに「ちょっとお願いしたい仕事があるんだけど、暇そうだしいいわよね♡」と三人ほど体育館から連れ出したことは関係ない。誰しもがサボるわけにはいかないと察して、無理矢理に明るくふるまっているわけでもない。
それとは別に、予想外の幸運があった。奏の演技力だ。
元々そういうことに才能があったのか、普段のクールな(本当はただボーとしてるだけ)雰囲気とは一変してはきはきと下町娘をほぼ完璧に演じたのである。
中々台本を覚えてくれなかったり、少しでも出番がなくなると帰りたがったりするなど言いたいことはあるが、それも演技のことを考えれば十分プラスだ。
また、野獣役が相手が祐介というのがいい方向に働いた。
舞台上で調子に乗った奏でがかなりのペースでアドリブをブッ込んでくるのだが、それももう何年もの付き合いになる彼からしたらお手の物。時には受け流し、時にはそのアドリブを正面からブッ潰し、時には一緒になって他の役を困らせ……ともかくうまくやっている。
演技についてはお世辞にもうまいとは言えないレベルだったが……それも練習しているうちに許せるレベルにまではなった。
「ふぅー」
切りのいいところで休憩をはさんだ祐介は体育館にある、うんていを縦にしたみたいなやつ(後でググったら肋木って言って、スウェーデン体操っていうのに使うんだって)に寄りかかって休む。周りを見渡すと、みんなそれなりに楽しそうだった。
ふと、昔父さんが言っていた、男の価値の話を思い出す。今時古い考え方だし、そもそも自分にはとてもできそうにない生き方。けれど、こうして役をやりきるぐらいのことなら、頑張ってみようかと思えた。
しかし、一つだけ問題が。
「……私、ここのシーンが不安」
「そこ、確か昨日やりませんでしたか?」
「……それでも、不安」
「は、はぁ……」
奏と千春の会話を耳にした面々の考えていることはきっとこれだろう。
ああ、またか。
問題というのはこのことだ。
一見、奏は頑張っているようでいて、実はラストシーンから逃げ続けているのだ。
しかし、それを口にするものはこの場にはいない。
美女と野獣のラストシーン。それは、王子様の野獣に変えられていた呪いが解けるシーンだ。
そして、その呪いを解くためのキーとなるのが。
告白である。
「いいんか祐介? お前今日も逃げられてるで」
いつの間にか隣にいた秋一が、声をかけて来た。
「そうは言ってもさー。お前だって本人には言えない癖に」
「当ったり前やろ。触らぬ髪にたたりなしや。この学校じゃあ有名なことわざだろ?」
「何か今、含みを感じたんだけど?」
「気のせいやろ」
なんとなく、授業時間が長い数学教師の顔が浮かんだ。
「せやけど本番までもう三日しかないで? 手順の確認とか、ライトの当て方とかいろいろ考えるとなー」
「それは僕だって分かってるけどさ……」
女の子に向かって、「俺に告白する練習しようぜ」とは口が裂けても言いたくない祐介だった。
だけどそろそろ本当にスケジュールやばくなってきたし……休んでた奴に主役を押しつけるようなクラスの奴らが動いてくれるとは到底思えないし……。
「よし、秋一、じゃんけんだ。負けた方が如月さんの説得に行くよ」
「様式美的に勝った方にした方がにせんか?」
「男気? あれリアクション間違えるから嫌なんだよ」
祐介の案に少し迷った秋一だったが、やがて「分かった」と頷く。
「そういえばさ、これってありか?」
グーチョキパー。
「そういうボケかましてる場合じゃないでしょ!」
「えー、いいやんグーチョキパー。どう考えてもあいこなのに、絶対に勝ったことになるこの理不尽さ」
「さらにその上をいく爆弾の自爆具合の方が僕は好きだけど、それじゃ勝負付かないでしょ」
肋木寄りかかりながら、小学生ってやっぱバカだけど実は超天才なんじゃないかと思い始めた祐介だった。
そして、その古い思い出の内のどうでもいいひと幕が浮かび上がる。
「ならさ、せっかくなら足じゃんけんとかどう?」
「別に普通のでもええんとちゃう?」
「ちっちっち。分かってないな秋一。あれって実は相手よりも高く飛んで、いかに後だしをするか、それと足の動きからどの手を出すか読み合うという超高度なじゃんけんなんだよ」
「え、ウソ!」
「まじまじ」
普通なら一斉に出すところなんだろうが、昔の体育の授業でやった記憶があったのだ。
「運頼りやないとこがええな。よし、のったで」
秋一は軽く飛びながら、準備運動を始めた。
祐介はその様子にニヤッと口角を釣り上げ、
「泣いても負けても一発勝負な。じゃ行くよ」
「「最初はグー。じゃん――」」
じゃん、の時点で大きく足を折る二人。少しでも相手より高く、そして長く飛ぶことを要求される足じゃんけんでは、既に勝負は始まっているのだ。
「「けんっ――」」
その言葉とともに同時に飛び上がる。高さはほとんど同じ――いや、少し秋一の方が優勢か。
身長的には秋一の方が高いから、当然か。けど、このくらいの差ならあってないようなものだ。
ここまであくまで前哨戦。本番はいかに相手の動きを読むか、という戦いである。
読まれないように中途半端な位置に足を置いている祐介に対し、先に動いたのは秋一であった。
両足をほんの少しだが、前後に開いている。
(チョキかな? でもこんな序盤で動かすことからして、ほぼ間違いなくフェイントか)
だが、ここで予想外のことが起こった。
いつまでたっても秋一の足に変化が生じないのだ。
これには完全に予想が外れたので困惑するしかない祐介。
(こいつ本当にそのままチョキを出すつもり? それとも、ここで僕がグーを出すのを狙っている?)
答えの出ない自問自答を繰り返す。
視界の端で秋一が笑ったような気がした。
だが祐介には一つの確信があった。
絶対に負けないという確信が。
「な……っ!」
今さらながらに祐介の技に気付く秋一だったが、既に後の祭り。
既に手を出しつくしている秋一に、祐介はドヤ顔でドン、と着地した。
「パー対チョキで、僕の勝ちだね?」
「ちょ、お前それはせこいやろー」
「うん? 何が? 地の利を使っただけですけど? って言うかお前も結構グレーゾーンついてるくせに」
何が起こったのか説明すると、まず、秋一が足を前後に軽く開いたのはやはり罠だった。
そのままチョキを出すと見せかけて、ギリギリで足首の角度を90度変更。
結果、「横を向いてパーを出しましたけど何か?」という状況を作り出したのだ。
だが、それでは祐介には一歩及ばない。
足じゃんけんを誘った時から、既に勝負は決まっていたのだから。
「うっせい! その……梯子みたいなやつに捕まるのよりはマシやろ!」
「確かにそうかもしれないけど、勝ったのは僕だ。後でこれの名前ググってやるからさ。そんじゃ、説得おねしゃあす!」
祐介は運動部っぽく腰を90度曲げて、見えない角度でほくそ笑んだ。
◆
役目を押し付けることに成功した祐介だったが、問題は奏が説得に応じるかだ。
秋一も最初はぐずぐずと作戦を考えていたが、千春も巻き込んで説得しにいった。
「ってそこは一人で頑張れよ兄さん……」
ついつい呟いてしまったものの、よく考えればあいつが一対一で女子と話せるわけないかと納得。
唯一話せる妹を連れたのは、案外ファインプレイかもしれない。
と、三人はそのまま歩きだした。どうやら別室に言ってこっそりと話すようだ。
そうなると祐介も友達として混ざるべきか一瞬迷ってしまうが、そこにクラスメイトから声がかかった。
「おい、上谷。暇ならこっち手伝ってくれー」
「あー、まあいっか。おー、すぐ行くー」
彼は少しだけ迷ってから、結局そっちのヘルプに向かうことにした。
もしもこの時こっそりと三人の会話を盗み聞きでもしていれば、きっと違う未来が待っていただろうに。