11話 処方箋
「じゃあ聞きますけど、あなたはいつになったら告白するんですか」
「――っ…………それは、まぁ。そのうち……」
「へー。いつになったらその『そのうち』は来るんでしょうね」
「そのうちは……そのうち、だよ」
「便利な言葉ですね」
千春は睨むような……否。侮蔑するような視線を彼に送った。いや、もしかしたら彼にとってはそう感じるだけなのであって、実際にはそうかは分からない。それは本当にそうだったのか、それとも劣等感からか。
なんだか、いらつく。
「ってか、急にどうしたんだよ。ほら、今僕らはサクラしてるんだ。こんな話をしている場合じゃない」
「話をそらさないでください。そんなことを聞きたいんじゃありません。逃げ道を探さないでください」
「逃げ道って……」
確かに、それは事実ではあるけれど。
今日の千春はヤケに積極的だ。この話は、完全に祐介の個人的な領域。普段の彼女ならからかうことはあっても、ここまで無遠慮に踏み入ってくタイプじゃない。一体どうしたっていうのだ。
言葉に詰まっていると、さらに彼女がたたみかけてきた。
「そんな風にうじうじして、何年経ったと思ってるんですか。いい加減男を見せたらどうですか?」
「うるさい」
静かな声音。
けれど、そこに確かに含まれていた怒気に千春はがひるんだ。女の子相手に何やってんだと思いつつ、先に仕掛けてきたのはあっちだし、と考えなおす。祐介は続けた。
「あのさ、誰も彼もが千春みたいに好意を全開に出来るわけじゃないんだよ。普通は胸の中でくすぶって、そう簡単にはいかないもんなの。分かる?」
千春の眉がピクリと動いた。目つきがまた鋭くなって、普段の彼女からは考えられないほど低い声音で言ってくる。
「普通なんて知ったことじゃありません。それともあれですか。胸の奥にしまっている方が、純愛っぽいとか、思ってるんですか? それは違いますよ。好きだって気持ちは、ちゃんと伝えた方がいいに決まってます!」
「――っ」
一瞬、何も言い返せなくなった。
彼女はいつでも、思い人に気持ちを伝えている。それは少し歪な形ではあるけれど、違いない。
その通りなんだ。
が、同時にそれはとっくの昔から分かっていることでもあって。祐介の頭に血が上る。
「――……まれよ」
「はい? 何ですか? 言いたいことがあるならはっきり……あぁ、あなたはそういう人で――」
「うっさいんだよ! ほっとけよ。僕が何か迷惑をかけたか!? 違うだろ。むしろ迷惑してるのはこっちだ! 文化祭じゃ主役させるわ、今日はぞろぞろ家に来るわ。祭りに来たら肝心の如月さんとはぐれるし、スマホは隠した? ふざけんなよ。余計なお世話なんだよ。頼むからさ……放っておいて…………」
「…………」
「……ごめん。ちょっと言い過ぎた」
怒鳴る、とまではいかなかったものの女子にガチギレしてしまった。
まるっきり嘘という訳でもないけれど……本当でもない。はずだ。
すぐにやり過ぎたと謝罪を口にするも、これだけ盛大に壊してしまった空気がその程度で修復されるはずもない。
普段そんな性格じゃないせいか、気付けば思っている以上にいろんな言葉を口走っていた。冷静になった時には遅過ぎた。
一度言い出したら、それをきっかけに次から次にあふれ出てきてしまったのだ。
これまで何度も、そうしようと思うことはあった。けれど、いざその時になると声がでなくなって誤魔化す。その繰り返しだ。
それで、いつの間にかそれでいっか、とか思い始めていた。告白をすれば、良くも悪くもいろんなことが変わってしまう。それが怖かった。
好きだって気持ちは、伝えた方がいいに決まっているのに。
千春に声を荒げてしまったのは、図星だったせいだ。
自分で必死に見ないようにしていたことを、ピンポイントで見せつけてきたから。もしかしたら彼女は祐介に嫌われる覚悟くらいは持ってたのかもしれない。
なのに自分は、嫌だ嫌だとわめき散らして、声を荒げて怒鳴り返して……こんなの、ただの八つ当たりじゃん。
だっせぇ。
だっさぇなー……ぼく。
でも。
これ以上、ださくなる訳にはいかねーな。
心の中で呟き、自分自身をあざ笑うと同時、千春が呟いた。
「私こそ、ごめんなさい」
「いや、謝るのは僕の方だし」
「……でも、迷惑はかかってます」
「……えっと?」
話が見えず、祐介は首をかしげる。
すると、千春は何故かぐぐっと伸びをして、はぁっと力を抜いてから、どこか遠くを見つめながら言った。
「知っての通り、私は兄さんが大好きです。愛しています。この世であの人以上に誰かを好きになるなんて、想像もできません」
一体何の話をしているのだろうか。唐突に始まった全く関係のない話に困惑している間に、千春は続ける。
「おかしいですよね。兄妹なのに。気持ち悪いとか、後ろ指さされても当然です。自分でもちょっと思ってますし……」
「……別にそういうのは自由でいいんじゃない、かな」
「ありがとうございます。でも、気づいてしまっている分にはどうにもなりません。実の兄妹ではどうあがいたところで結婚できませんし、それに私ももう十七歳です。色々と……もう諦めがつくというか、現実を見ます」
「秋一が、振られるとは……」
なんとなく、真面目な空気に耐えられてくなって、祐介は茶化すようなことを言った。
けれども、それには曖昧な笑顔を返すだけで、続ける。
「私も、こんなふうに思える日が来るとは思いませんでした。子供の頃は、兄さんと結婚するんだーって。何も考えずに……羨ましい限りです」
千春はたったと跳ねるように数歩先を歩いて、くるっと振り返った。気合を入れるように息をはく。
祐介を、真っ直ぐに見る。
「祐介さん。失恋に効く一番の処方箋って、新しい恋だと思いません?」
「……知らないよ」
「私もです。けど、多分そうなんだと思います」
「…………」
「…………」
少しの沈黙。祐介は困惑する。
もしかして話の流れからして、そうなのだろうか。……そうなのかも、しれない。
けど、彼女は祐介の気持ちがどこにあるか、そんなことは知っている。その気持ちの固さも。
あまり言いたくはないが、彼が千春と付き合うなんて可能性は万に一つ……流石にそこまでは言い過ぎか。万に一つくらいしかない。
だから、ここでなぜ彼女がそんなことを言い出したのか、祐介にはさっぱり分からなかった。
けれど、その沈黙の後。
彼女はそれまでの陰鬱な表情を一変させて。ニパっと、いたずらな笑みを浮かべた。
「――なんて! 全部冗談ですよ! 祐介さん、マジになりすぎです。そんなこと本当にあるはずがないじゃないですか!」
「……あぁ、そっか。冗談かー……。なんだよもう、すっかり騙された」
「作戦大成功です。もちろん今のはドッキリなので、全部ウソですからね。本気にしちゃ……ダメですから。祐介さんにはほかに結ばれるべき人がいますし」
――絶対にその人と、未来永劫末長く、お幸せになりやがってください。
そんなセリフを、千春は表情を変えぬままコロッと言った。祐介の胸が、チクリと痛む。
気のせいだ。
気のせいだ。
祐介は小さく頷いた。彼女はそれを確認すると、隣りを視線を向けて。
「あ! 見てくださいよ、祐介さん、いつの間にかこんなに屋台に行列が……! 私たちの宣伝効果のおかげですね」
言われてみてみれば、確かにそこには十人ほどの列が出来ていた。行列というのは少し言い過ぎだが、それでもなかなかのものである。屋台のおじさんはとても忙しそうにしていた、額に玉の汗を浮かべている。食べているお客さんは、「美味しい」「おい、これ結構いけるぞ」と言いながら去っていく。この調子なら、あっという間に口コミで広がっていくだろう。
こちらの視線に気づくと、サムズアップで答えてくれた。ついでにアイコンタクトで先ほどりんご飴を隠したところを示される。好きなだけ持ってけ、と口が動いた。ありがとうございます、と祐介は頭を下げる。
とはいっても、りんご飴は何本も食べまくれるタイプの食べ物ではない。自分の分と奏の分の二本で充分だ。秋一のは千春が取るに決まってる。
店の奥に入ろうとしたところで。
「おう、お前らこんなところにおったんか。はー、やっと見つかった」
独特のイントネーション。男相手に言いたくはないが、聞き慣れた声と関西なまり。
振り向けばもちろん秋一が。そしてその隣には。
奏がいる。




