1話 始まり
「お前、何だよその冗談。笑えないぞ」
全く、今時ドッキリ番組でもこんなことはしないぞ。放送規定に引っ掛かるし。
そんな祐介の思いとは裏腹に、彼は意味が分からないと言ったような顔をする。けれど、それも一瞬のことで、ぼっと顔に血を上らせると見開くと祐介の胸倉をわし掴みしてきた。
その血走った目で真っ直ぐにこちらを睨みつけて。
「俺がっ……! こんな冗談、言うわけが……ねぇやろっ!」
『ダンッ』
直後、祐介は床にその体を投げ飛ばされた。盛大な音がする。
けれど、痛みは感じなかった。そんな余裕はなかった。彼の表情は、あまりにも真に迫っていたから。
今から身近な誰かが死にます、なんて、急に言われても信じられるわけがない。
けれど、よく考えたら兆候とかが、色々あった気がしてくる。そう、数週間前のことだが、確か急に倒れて病院に搬送されたって。
ただ、ようやっと理解したら、今度は怒りが湧いて来た。
もし本当に彼女がそんなことになっているのなら。きっと、こいつの顔を見たいに決まっている。
「だったら、何でお前はここにいるんだよ! こんなところにいるんじゃなくて、お前が――」
「お前を呼ぶために決まってんやろが!」
「はぁ?」
こいつは一体、何を言ってるんだろうか?
だっておかしいだろう? こいつらは、親友を裏切ってまで、こっそりと仲良くしやがって……。
「あいつはこう言ってた。祐介と仲直りしたかったなって。私、嫌われちゃったのかなって。
……お前、好きな女にそんなこと言われたまま逝かれちまってもええんか」
最後の言葉は、掠れて、消えてなくなってしまいそうな声で。
だけど、なぜか祐介の耳には、すぅっと自然に入って来て。
「ごめん、ちょっと出て来る」
この時間帯だと、渋滞に引っ掛かってしまうのでタクシーよりも自転車の方が速い。
祐介は彼を置いて、全力でペダルを漕いだ。
この数日間の自堕落生活で体がかなりナマっていたが、そんなのは気力でどうにでもなる。
漕ぐたびにふくらはぎが悲鳴を上げる。そんなものは無視した。
肺が締め付けられるような気がした。でも、こんなので死ぬわけがない。だからきっと彼女の方が痛いはずだ。
「なぁああああああっ!」
上半身を低く保って、祐介はただ全力でペダルを漕いだ。
周りの景色が流れるように過ぎ去っていく。ビュンビュンと後ろの方へと消えていく。
ハンドルが軽い。ほんの少しの力でクルッと回ってしまいそうだ。
そんな運転をして安全なはずがない。
「なっ……!」
前輪が小石を踏んで、ハンドルが暴れた。
トップスピードでそんなことになれば、もう立て直すことなどできはしない。
ぐらっと視界が傾き、一瞬だけ世界が止まったかのように遅くなる。
周りの騒音がどこか遠いもののように感じて――。
「ぐっ!」
肩に強烈な痛みとともに戻ってきた。口の中に血の味がして、左腕に湿った感触。
人生でこの上ない大怪我のような気がする。傷口に手を触れて見てみると、想像以上に半分ほど赤く染まっていた。正直ビビる。
しかし、立ち止まってる時間などない。すぐさま痛まない方の右腕に力を込めて自転車を起こし、もう一度漕ごうとする。
だが、ペダルが動かない。意味が分からず、ガンガンと踏みつけるが、やっぱり動かない。
仕方なくストッパーをかけて止めて見てみればすぐに原因は分かった。チェーンが外れている。ガチャガチャといじってみるが、これは少しかかりそうだ。
今の位置と病院の距離を判断し、祐介は走ることを選択。戻ってきたら愛車がどうなっているか分からないが、今はそんなことはどうでもいい。
祐介はふらつきながら、走る。
走る。走る。
傷口が一歩踏みしめるたびに、痛みを脳に教えてくれる。とっても痛い。なんだか泣きそうだ。
不意に、何とも自分が情けなくなった。
好きな人が死にそうなのを、勝手に恨んでいた親友に教えられ、必死に自転車を漕いだところで、転ぶ。どうにか走ってはいるものの、言いようがない程ダサい。
――けど。
ここで諦めるのはもっとダサい。好きな人の前くらい、格好つけたいのだ。
理由は分からないけど、彼女が自分の名を呼んでいるのなら。
颯爽と駆けつけてやりたいのだ。
じゃないと、俺は。
――――死んでも後悔するだろうから。
◆
物語の始まりとしたら、一番は最初の生まれた瞬間が良いのだろうが、流石にそれを語るには十六年かかってしまうので割愛。
ちょうどいいところがあるとしたら、きっとここになるだろう。
「ここで、a=b d=a+dということが分かるので……」
それは彼の名前がまだ『上谷 祐介』だったころ。
日付は九月の一五日。
その日の夜に見たい地上波発放送の映画があり、CMで何度も耳にしていたためしっかりと覚えていたのだ。
今はその五時間目。
祐介は「骨と皮しかねぇの?」と言いたくなるくらいがりがりな先生のつまらない授業を聞いていた。
本当は今にでも寝たい気分なのだが、この先生の授業は内容がギッチリと濃く、そんなことをしていればあっという間に置いていかれるのだ。
つまりは、骨皮先生の声をしっかりと聞かなければいけないということであり……どうしても発声源の見え過ぎる喉仏が気になる。
《キーン コーン カーン コーン》
そして、ついに呪縛からの解放を告げる鐘が鳴った。
六時間目は体育だ。チョロい。
金曜日のラストに体育を持ってきてくれる辺り、この学校の時間割を決める先生にはしっかりと感謝をせねばなるまい。
そんなことを考えながら今か今かと「起立」の言葉を待っている祐介だったが、徐々にそれはいら立ちに変わる。
「長い……」
教卓に立つ先生は解説しきれなかったのが納得いかないのか、未だに黒板に字を書き続けているのだ。
さっさと終われよこのハゲ!
もちろん、そんな願いが通じるはずもない。
「最後にですね、宿題ですが……」
なんと、この期に及んで宿題の話までし始めた。しかもプリント系でない為、一度締まったシャーペンとノートを出して目もしなければならない始末。
――うわ、教科書六ページかよ。
と、ここで真ん中の席の方の頭の良いクラスメイトが手を挙げた。
「先生、ここもうやったはずです」
生徒の指摘に骨が教科書を見直す。
一方、祐介はもうすでに出ている自分のノートのページを前に戻して確認した。
……確かにやっているようだ。ということはつまり、今回はナシ!?
「じゃあ、その後の六ページしてください」
「はぁぁぁぁぁぁげぇぇぇぇぇぇぇっ!(本人にしか聞こえないごく小ボイス)」
◆
計十分の内の四割もの休憩時間を侵食してようやく授業が終わり、皆はそれぞれバックやロッカーの中をあさり始めた。当然、祐介もその仲間に加わろうとする。
《真っ赤なお鼻の~♪ トナカイさんは~♪》
が、唐突になった着信音が、彼の手を止めた。
ちなみに、『赤鼻のトナカイ』は消してネタではない。
祐介は個人的に、この曲がかなりのお気に入りなのだ。
人に馬鹿にされ続けていたコンプレックスが、誰かの役に立つことがある。
子供向けの歌でバカみたいと言われればそれまでだが、彼の中ではこの素晴らしさが分からない人の方が相当バカだと思っている。
「おっと、それより電話電話」
いつの間にか、サンタのおじさんが言い始めていた。祐介はあわててスマホを操作した。
本音を言うなら早く更衣室に行って着替えたいところだが、少しくらいなら大丈夫だろう。
画面の表示は『如月 奏』。
小学生の頃から知っている、紫がかった黒髪をストレートに伸ばしている女の子だ。
物静かで、とてつもなく綺麗で……そして、彼の思い人。いつか恋人になれたらいいなと思いつつも、お生憎告白する勇気なんて持ち合わせていないのだ。心の中で小さくため息。
それからもう一度名前を見て祐介は軽く首をかしげた。
わざわざ電話なんてしなくても、直接……あ、そういえば今日はあいつ休みだっけ。
なんなく謎が解決し、通話ボタンを押す。
「もしもし、何か用? もしかして僕の声が聞きたくなっちゃったとか?」
『…………』
あれ、おっかしーなー。いつもだったらそれなりの反応が返ってくるんだけど……。
しかし、祐介は「あ、今日は放置プレイの日か」という結論に達し、そのまま流れる用意話し続ける。
「無言電話なんてひどくね? あっ、それとも本当に僕の声が聞きたかっただけとか? いや~モテる男ってのは罪だね~。あれだね、漫画とかに出て来る七つの大罪を背負った人の中で、僕って絶対『色欲』の人になっちゃうくらい、僕って罪な男だよね」
『…………あの、奏の父です』
「間違い電話ですっ!」
《ピッ》
「よっしゃー、ギリギリセーフ」
さっきの会話の中で名前を名乗っていないことを確認し、ばれるはずがないと自分を無理やり納得させる。
……いや、本当は分かってるよ?
だって如月の携帯から来たってことは、番号登録されてるってことだし。
いや、もしかしたら娘の個人情報を見ないために、直接番号を入力したって線も――
ああ、でもそれなら自分の携帯から電話するか。
……………………。
「なんで自分で論破しちゃうんだよ!」
《真っ赤なお鼻の~♪ トナカイさんは~♪》
「ゲッ」
祐介はどんな調子で出ればいいのか顎に手を置いて真剣に悩む。
絶対あっちだって気付いているだろうし、このままじゃお互い気まずくなるに決まっている。
実際に話すなら話は別だが、電は出両方が沈黙するという事態は避けたいものだ。
って言うかもう出なくてもよくね? という悪魔のささやきが君元から聞こえ、祐介そっちに流されそうになる。
が、わざわざお父さんの方から掛けてきて、その上掛け直してきたのだ。よっぽど大事な用事なのだと考えなおし、通話ボタンを押した。
「もしもし、上谷です」
『もしもし、こちら奏の携帯ですが、私は奏の父です』
「はぁ……何かご用事ですか?」
至って常識人的な対応をすると、お父さんも応じてくれた。真相が分かっているかはともかく、無かったことにしてくれるらしい。
とりあえずはそのことに安堵する。
だがその代わり、祐介はなぜか、嫌な感じがした。おじさんの口調がとっても重いようなものに感じられたのだ。
『あの、驚かないで聞いてください』
「は、はぁ……」
不安が加速する。
彼にそのことを話すことをためらっているのか、少しの間が置かれた。
「あの、そんなに言いづらいことならいいですよ。知らない方がいいことだって世の中たくさんありますし」
『いや、そういう訳にはいかない。すぐにいろんなところに広まるだろうから。先にあの子の特に仲の良かった子には言っておこうと思ってね』
そして、今の自分自身の言葉に励まされたかのようにおじさんは一息に言った。
『奏が倒れた』