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短編

問う

 今。私たちは生きている。しかし、生きている中で、その中に何人が年老いているだろう。私が問うのは今いる年配の方の数ではない。若者の皮をかぶった年配の方である、

 そもそもこれの定義は確立したものが存在しているわけではない。これはある意味今の関心度を測る道具かもしれない。この小説の読者に問う。今あなたには自分が持てる明確な目標があるか。夢があるか。この問いに「いいえ」の答えをした人はある意味老いているかもしれない。

 夢がある人には自分を追い込んでまでも。自分に現実という刃を向けながらも。その目標。自分が理想とする将来の自分に向かって、(いばら)の。そして、(くれない)に染まる剣の上を歩いている。しかし、今はこんな剣の上など歩きたくないと思う人もいるようだ。歩きたくない人はどこを歩くのか。大人という名の自由という階段である。果たして。今あなたが登っている階段は本当の大人という名の自由の階段だろうか。「いいえ」と答えておきながら、今自分が自由だと言えるのなら、それは幻想を見ているのだと思う。現実に縛られるのが嫌で自分が夢見る幻想にだ。それは自由ではない。単なる自分の逃げ場を作っただけにすぎないのだ。逃げ場はいつまでも健在であり続けるだろう。しかし、その逃げ場にいつまでも逃げ込むことはいいことではない。自分から年老いていくのを早めることに何の意味がある。私が言う若さというのは輝ける若さ。その若さはいつになっても。幻想よりも強いものである。

 この輝きは誰にでも持つことはできる。それは夢。自分の理想。自分の将来のあるべき姿。これを夢見て、立ち向かい続けることこそ、本当の若さを発揮することができるのではないかと思う。もちろん、この権限の行使は何も若者に限ったことではない。たとえ志す人間が100歳だったとしても、それは輝く。しかし、今現在を生き、そして将来を支える人間になる若者にそれが足りない。若者はいつまで自分の幻想の中に自分を生き続けさせるのだろうか。君には何か目標というものがないのか。自分が憧れた背中はどこに行った。幻想に他人を巻き込んで何が面白い。

 だから、いま幻想の中にいるなら、そこから這い出ることを勧める。幻想にとどまり続けること。それは己の敗北をすでに決定づけている。

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