第6話 「いらないこと」
「私はそれなりに勤勉に暮らしていたのだが、それが認められてか大神様に気に入られ、織姫の婿になるようにと勧められた。織姫は大神様の四十五番目の娘だった」
話を引き立たせるかのように、周囲からはぴたっと音が消え、静寂のなかで松本さんの澄んだ太い声だけが発せられていました。
「彼女はとても優しく、美しかった。彼女も私を気に入ってくれて、私たちの間に愛が生まれるのにそう時間は掛からなかった。しかし、私たちはお互いを愛しすぎてしまい、他のものが見えなくなってしまった。やがて遊びふけることが常となり、私はいつの間にか勤勉とは言えなくなっていた。織姫も、神の衣を織る仕事をピタリとやめてしまっていた」
以前から知っていた話とはいえ、それが松本さんの口から出たものだと、その重みがまるで違いました。
「大神様は激怒して、私から織姫を取り上げたあげく、怠惰の大罪を与えた。そうして、私は七夕の日まで勤勉に過ごし、さらに七夕当日にはこの仕事を周到に済ます。そうすることで、ようやく一日だけ織姫と会うことが許されたのだ」
松本さんは、一瞬だけ悲しそうな表情を見せましたが、すぐにいつもの和やかな顔へ戻りました。話の筋を考えるに、どうやら織姫と彦星の再会は今日ということになるのです。
しかし、私はある一言が心に引っかかりました。
「あの……七夕の仕事は、周到でないと駄目なのですか?」
私の恐る恐るとした質問に、松本さんは「当たり前だ」と間髪入れずに答えました。
「もしも先ほど言ったように不可能な願いや、他人を不幸にする願いを叶えれば、再会を認めてもらえるどころか、一生会うことすら叶わなくなってしまうよ」
冗談めかして笑う松本さんでしたが、私はそれどころではありませんでした。
やってしまった……。
私は静かに俯き、声もなくそう口を動かしました。
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先ほど、まだ短冊にバツを描きこむ作業を続けている時のことです。松本さんは「喉が渇いた」と一言呟き、手に持った筆を私に押し付けると遠くに佇む手水舎へ向かっていきました。
私も大人しく待っているつもりだったのですが、ふと眼前で「見て見て!」と主張する短冊に誘われ、ついつい書かれた文章に目を通してしまいました。そこには幸か不幸か、少女マンガで形成された私の乙女心が鷲づかみにされるような淡い恋の願いが書かれてあったのです。小さな短冊に米粒ほどの文字でポエム風にギッシリ連ねられたその願いは、幼い頃から仲良くしていた友達と、恋仲になりたいというものでした。そんな内容ならば他にもあったのですが、その短冊に限って書き主の切ない思いだとか、くすぶる嫉妬心、幼き日の幸せな記憶などが丁寧に記されていたのです。私はもうマルを付けてあげたくて堪りませんでした。
そして、手元に持たれた筆をじっと見つめたあと、遠くで水面に顔をつける松本さんのシルエットを確認したとたんにサッと筆を走らせたのです。