崩れゆく虚飾と新たな光
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収穫祭の翌朝、ヴァレンティーヌ邸の応接間には、封蝋を施された手紙の山が積み上げられていた。
蜂蜜色の巻き毛を乱したまま、ショコラは震える手で封筒を開いていく。
「『今後一切のお付き合いをお断り申し上げます——モンブラン侯爵夫人』……嘘よ、こんなの……」
次の封筒を破るように開ける。琥珀色の瞳が文面を追うたびに、その輝きが失われていく。
「『貴女との茶会への出席は、今後控えさせていただきます——レーヴェン伯爵令嬢』……なぜ、なぜこんなことに……」
さらに別の手紙を開く。その文面は、これまで以上に冷酷だった。
「『才能泥棒と噂される方とは、家名に傷がつきますゆえ——』……才能、泥棒……」
ショコラの琥珀色の瞳から、涙が零れ落ちた。つい先日まで「ショコラ様のお菓子は絶品ですわ」と称えていた令嬢たちの、手のひら返し。昨夜の収穫祭で、全てが崩れ去ったのだ。ルナが月光魔法を披露し、隣国の国王が真実を暴いた、あの瞬間から。
侍女が恐る恐る近づく。
「ショコラ様……本日予定されておりましたフローラル公爵夫人の茶会ですが……お断りのお返事が届いております」
「嘘よ! フローラル夫人は私の一番の理解者だったのに! あの方だけは、私の味方でいてくださったのに!」
「申し訳ございません……他にも、本日届いた絶交状だけで三十通を超えております……」
「黙りなさい!」
ショコラは手紙を床に叩きつけた。華やかな社交界の寵児だった彼女の周囲には、今や誰もいない。かつて群がっていた取り巻きたちは、まるで疫病を避けるかのように離れていった。
窓の外では、秋の陽光が無情なほど明るく降り注いでいる。その光の中で、ショコラの影だけが暗く、孤独に伸びていた。
ヴァレンティーヌ邸の奥座敷。ショコラは母の前に跪くようにして縋りついていた。
「お母様、ルナが全て嘘を——あの子が私を陥れようとしているのです! 私は被害者ですわ! お願い、お母様だけでも私を信じて……」
涙で濡れた顔を上げたショコラが見たのは、氷のように冷たい母の表情だった。かつて娘の成功を誇らしげに語っていたその顔には、今や嫌悪と諦念しか浮かんでいない。
「ショコラ」
母の声は、晩秋の風のように冷え切っていた。
「私は以前から薄々感じていたのです。あなたには、あのショコラを作る才能がないと」
「そんな……お母様まで、私を疑うの?」
「疑う? いいえ、確信していました」
母はゆっくりと立ち上がり、娘を見下ろした。その瞳には、もはや親としての情愛は感じられない。
「あなたが持ってくる菓子と、厨房で作る菓子。味が違いすぎた。けれど私は見て見ぬふりをしていた。あなたが王太子妃になれば、全てが丸く収まると思っていたから」
「お母様……」
「でも、もう無理よ。社交界中が真実を知ってしまった。私まで巻き込まないでちょうだい」
母は背を向け、部屋を出ていこうとする。ショコラは必死にその裾に縋りついた。
「待って、お母様! 私は……私はどうすれば……」
「自分で考えなさい。今まで従姉妹の才能に寄生してきたのだから、これからは自分の力で生きていくことね」
扉が閉まる音が、処刑台の刃が落ちる音のように響いた。
一人残されたショコラは、冷たい床の上で震えていた。社交界からも、家族からも見捨てられた。彼女の周囲には、もう誰もいない。
その胸の奥で、悲しみは徐々に形を変えていく。
「……全て、ルナのせいだわ。あの女が、私から全てを奪った……」
絶望の底で、黒い炎が静かに燃え始めていた。
同じ頃、セレスティーヌ伯爵邸の居間には、朝陽が柔らかく差し込んでいた。テーブルの上には、開封を待つ手紙の山が小さな丘のように積み上げられている。
「まあ、また届きましたわ」
ステラは嬉しそうに新しい手紙の束を抱えて入ってきた。銀髪を優雅に結い上げた彼女の紫の瞳は、喜びに輝いている。
「ようやく、あなたの才能が認められましたね、ルナ」
窓辺に佇むルナは、淡い紫の瞳で手紙の山を見つめていた。銀灰色の髪が朝の光を受けて、月光のように淡く輝いている。
「フォンターナ公爵夫人からは百個の注文、エーデルワイス伯爵からは専属契約の申し出……昨日までルナを『地味な令嬢』と呼んでいた方々ばかりですわね」
ステラは皮肉げに微笑みながら手紙を読み上げる。しかし、娘の表情が晴れないことに気づき、傍に寄り添った。
「どうしたの? 嬉しくないの?」
「嬉しいですが……復讐のような形になってしまったことが、少し心苦しいのです」
「復讐?」
「ショコラは今頃、社交界から追い詰められているでしょう。私はただ真実を示しただけですが……結果として、彼女の全てを奪ってしまった」
ステラは娘の銀灰色の髪を優しく撫でた。
「あなたは優しすぎるのよ、ルナ。五年間、才能を搾取され、婚約者を奪われ、それでもまだ従姉妹を気遣うなんて」
「でも……」
「あなたは真実を示しただけです。嘘をついていたのは向こう。罰を受けるのは当然のこと」
ステラは娘の頬に手を添えた。
「自分を責めないで。あなたはようやく、あなた自身のための人生を歩み始めたのだから」
「……ありがとうございます、お母様」
ルナは母の温かな手のひらに、少しだけ頬を寄せた。窓の外では、秋の陽光が庭園の紅葉を黄金色に染めている。
五年間の忍耐の果てに訪れた、静かな解放の朝だった。
午後、セレスティーヌ邸の庭園。色づいた楓の葉が風に舞う中、アルテミス・ノクターン・ヴァン・ルナリアが歩いてきた。銀髪が秋の陽光を受けて輝き、深い藍色の瞳は真っ直ぐにルナを見つめている。
「陛下、ようこそおいでくださいました」
ルナが礼をすると、アルテミスは小さく首を振った。
「形式は不要だ。……昨夜のことで、気に病んでいると聞いた」
「お耳が早いですね」
「ノワールから報告があった」
「まあ、あの子は。師匠の心情まで報告するのですね」
ルナは苦笑した。二人は庭園のベンチに腰を下ろした。楓の影が二人の上に模様を落としている。
「貴女は真実を示しただけだ」
アルテミスの声は静かだが、確かな響きを持っていた。
「それを復讐と呼ぶのは間違っている。嘘で塗り固められた虚飾が崩れただけのこと。貴女が責任を感じる必要はない」
「陛下は、お優しいですね」
「事実を述べているだけだ」
アルテミスは少し間を置いてから、続けた。
「改めて、ルナリア王国への招聘を申し出たい。我が国の王立製菓院で、貴女の才能を存分に発揮してほしい」
「ありがとうございます。光栄なお申し出です」
「そして——」
アルテミスが言葉を詰まらせた。普段は冷徹で隙のない「銀月の君主」が、珍しく言葉を探しているように見える。
「陛下?」
ルナが首を傾げると、アルテミスは深く息を吸い込んだ。藍色の瞳が、真っ直ぐにルナを捉える。
「個人的にも、貴女にそばにいてほしいと思っている」
秋風が止まったように感じた。楓の葉だけが、二人の間でひらひらと舞い落ちる。
「……え?」
「国王としてではない。一人の男として、貴女の傍にいたい」
アルテミスの声は低く、けれど確かな熱を帯びていた。普段の冷徹な仮面の下から、不器用な誠実さが滲み出ている。
「……お気持ちは、とても嬉しいのですが」
ルナは驚きを隠せないまま、正直に言葉を選んだ。
「私はまだ、陛下のことをよく知りません。陛下も、私のことを——ショコラ職人としての私しかご存知ないのでは」
アルテミスは頷いた。その表情に、落胆の色はない。
「わかっている。だから、時間をかけて知ってほしい。焦らせるつもりはない」
彼は立ち上がり、ルナに手を差し伸べた。
「貴女が答えを出すまで、私は待つ。ただ、一つだけ覚えておいてほしい」
「何でしょう」
「私は貴女の才能だけを見ているのではない。五年間、理不尽な扱いを受けながらも折れなかった強さ。復讐という形を望まなかった優しさ。——そういう貴女自身に、惹かれている」
アルテミスは僅かに頬を染めながら、視線を逸らした。
「……口下手で、こういうことを言うのは得意ではないが」
ルナは思わず微笑んだ。冷徹と噂される「銀月の君主」の、意外なほど不器用な一面。
「陛下。少し、お時間をいただけますか」
「もちろんだ。貴女が望むだけ」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れた。楓の葉が再び舞い始め、秋の陽光が庭園を黄金色に染めている。新しい何かが、静かに芽吹き始めた瞬間だった。
王宮、謁見の間。高い天井から降り注ぐ光の中、クロード・レグルス・フォン・エストリアは父王の前に跪いていた。
「クロード」
父王の声は、氷のように冷たかった。
「お前の元婚約者が、幻のショコラティエだったというのは本当か」
クロードは唇を噛みしめた。昨夜の収穫祭での出来事は、すでに王宮中に知れ渡っている。
「……はい」
認めるしかなかった。何百人もの貴族が目撃した事実を、否定することはできない。
父王は玉座から立ち上がり、息子を見下ろした。その眼差しには、怒りと失望が混ざり合っている。
「お前は何をした? ルナ・セレスティーヌ嬢の月光魔法は、我が国にとってどれほどの価値があったか、わかっているのか」
「父上、私は——」
「月光魔法の使い手は、大陸でも数えるほどしかいない。その希少な才能を持つ令嬢が、五年間もお前の婚約者だった。それをお前は——」
父王の声が、謁見の間に響き渡った。
「——浅はかな色恋沙汰で、自ら手放した」
クロードは顔を上げられなかった。父王の言葉が、一つ一つ胸に突き刺さる。
「それだけではない。ルナリア王国の国王が、直々に彼女を招聘している。お前は国の宝を、自らの浅はかさで隣国に献上したも同然だ」
「父上、私は知らなかったのです。ルナがそのような——」
「知らなかった?」
父王の嘲りを含んだ声が、クロードの言い訳を遮った。
「五年間、傍にいながら婚約者の真価も見抜けなかったと? それこそが問題だ」
父王は玉座に戻り、冷たく宣告した。
「王位継承権について、再考が必要だ」
クロードの顔から血の気が引いた。
「父上……それは……」
「お前の弟は、国政への理解も深く、判断力も確かだ。今回の件で、お前の資質には大きな疑問符がついた」
「お待ちください! 私は長子です。継承権は——」
「長子であることと、王にふさわしいことは別だ。下がれ」
父王は手を振り、クロードを退出させた。
謁見の間を出たクロードは、廊下で壁に手をついて立ち尽くした。婚約破棄が、まさか継承権にまで影響するとは。
焦燥が胸を締めつける。あの地味で愛想のない女が、これほどの価値を持っていたとは。
——ルナを取り戻せば。復縁を申し出れば、全ては元通りになる。
それは後悔からではなく、純粋な打算だった。しかしクロードは、自分の考えが打算であることにすら気づいていなかった。
日が傾き始めた王宮の私室で、クロードは羽ペンを手に便箋と向き合っていた。
「私の過ちにより、貴女を深く傷つけたことを心よりお詫び申し上げます。つきましては、直接お会いしてお話しする機会をいただけないでしょうか——」
書き終えた文面を読み返し、クロードは満足げに頷いた。ルナは控えめで従順な女だった。自分が頭を下げれば、喜んで復縁を受け入れるはずだ。
彼の頭の中には、かつての「地味で愛想のない婚約者」の姿しかない。収穫祭で月光魔法を披露し、毅然と真実を語った女性の姿は、都合よく記憶から消えている。
「セレスティーヌ伯爵邸へ届けろ。今日中にだ」
窓の外では、夕陽が血のように赤く沈んでいく。それが「愛」でも「後悔」でもなく、ただの「自己保身」であることに、彼は最後まで気づかなかった。
夜、セレスティーヌ邸の秘密の地下工房。月明かりが天窓から差し込み、銀色のカカオ豆と銅の器具を幻想的に照らしている。ルナは作業台の前に立ち、届いたばかりの手紙を開いていた。
傍らには、黒い服を纏ったノワールが控えている。
「王太子殿下からの面会要請、ですか」
ノワールの黒曜石のような瞳が、手紙を睨みつける。
「断るべきです、師匠。あの男に会う必要はありません」
「ノワール」
ルナは手紙を静かに折りたたんだ。
「気持ちは嬉しいけれど、これは私が決めることよ」
「しかし……」
「クロード殿下の狙いは、おそらく復縁。継承権が危うくなっているのでしょう」
ルナの声は、湖面のように静かだった。
「今日、アルテミス陛下からそのようなお話を聞いていたの?」
「……陛下より、王太子殿下が窮地に立たされているとお聞きしました」
ノワールは頷いた。彼が元々アルテミスの密偵だったことを、ルナは知っている。
「だからこそ、会うべきではないのです。あの男は、師匠を利用することしか考えていません」
「わかっているわ」
ルナは月明かりの中で微笑んだ。銀灰色の髪が光を受けて、まるで月そのもののように輝いている。
「だから、会いましょう」
「……師匠?」
「最後に、きちんと決着をつけるために」
ルナの淡い紫の瞳には、静かな決意が宿っていた。
「五年間、私はクロード殿下の婚約者だった。その間、私は何も言わず、何も求めず、ただ尽くしていた。でも、それは本当の関係ではなかった」
ルナは作業台の上のカカオ豆を、指先で転がした。
「あの頃の私は、婚約者に見てもらえないことを悲しんでいた。でも今は違う。クロード殿下に何を言われても、もう心は揺らがない」
「……」
「だから、直接会って、きちんと断るの。言葉ではなく、態度で。私はもう、あの頃の私ではないと——伝えるために」
ノワールは暫く黙っていたが、やがて深く頭を下げた。
「わかりました。師匠の決断を尊重します。ですが、お供させてください」
「ええ、お願いするわ」
ルナは手紙を燭台の炎に近づけた。羊皮紙が燃え上がり、灰になって崩れ落ちていく。
「明日、全てに決着をつけましょう」
月明かりの下、ルナの横顔は穏やかで、けれど揺るぎない強さを湛えていた。五年間の過去と向き合い、それを超えていく——。新しい人生への、最後の一歩が近づいていた。
その時、工房の扉を叩く音が響いた。ノワールが素早く扉に近づき、来訪者を確認する。
「……アルテミス陛下」
銀髪の国王が、月明かりの中に姿を現した。その藍色の瞳には、いつになく真剣な光が宿っている。
「夜分に失礼する。一つだけ、伝え忘れていたことがある」
アルテミスの声が、静寂の工房に響いた。ルナは首を傾げ、彼を見つめる。
「何でしょう、陛下」
「明日の面会について——」
アルテミスは一歩、ルナの方へ近づいた。月光が彼の銀髪を照らし、その表情に深い憂いを浮かび上がらせる。
「クロード王太子が、貴女だけを狙っているとは限らない。追い詰められた者は、時として予想外の行動に出る」
その言葉には、ただの心配以上の何かが込められているように感じられた。




