第9話 河越兵の躍進
奥州の雪は、静寂と死を包み込む白き膜のようだった。
その下で、河越勢は確かな変化を遂げつつあった。
槍は折れにくくなり、
馬は疲労を最小限に抑え、
行軍速度は他の武士団を上回り、
兵たちは“自分たちは強くなった”という実感を得ていた。
だが――
私は知っている。
技術力の向上とは、成果を生み出す“序章”に過ぎない。
(ここからは、“組織”としての強さが問われる)
◆
翌朝。
白い息が空へと立ち昇る中、父・重房が麾下へ声を張り上げた。
「本日、義家殿より新たな命が下った!
我ら河越勢は、北方の敵小勢力を掃討し、
本軍の進軍路を確保する!」
「おおっ!」
兵たちが槍を掲げ、叫び声を上げる。
「重綱さまのご加護があらんことを!」
「河越! 河越家に勝利を!」
……なんだ、この“過剰な信仰心”は。
私は小さくため息をつく。
(やはり“神格”みたいな扱いを受けている……
まぁ、否定はしない。兵の士気が上がるなら)
◆
河越勢は素早い編成で陣形を組み、北へ進んだ。
私は乳母の背に負われながら、兵たちを観察する。
昨日までの彼らとは明らかに違っていた。
・歩幅が揃っている
・槍の角度が統一されている
・発声が一定リズムを保っている
・馬の歩調が無駄なく滑らか
(これは良い……改善が実を結びはじめた)
この「統一された動き」こそ、軍の強さの核心だ。
個の力は強くても、バラバラの動きでは勝てない。
逆に動きが揃えば、三倍以上の効果が生まれる。
◆
やがて、森の端から敵影が見えた。
土豪どもを中心とした寄せ集めの軍勢。
装備は古く、統率も取れていない。
(……しかし侮るな。
地の利があれば、このような兵でも手強い)
父が槍を掲げ、声を張る。
「河越勢、前へ!」
「槍隊、構え!!」
兵たちが槍を掲げ、一斉に構える。
その動きが――奇跡のように、揃っていた。
敵兵たちが驚いた声を上げる。
「な、なんだあれは……統率が……!」
「武蔵の兵とは思えぬ!」
◆
私は父の肩を叩き、ひとことだけ告げた。
「……いま……すすめ……」
父は頷き、叫んだ。
「突撃!!」
雪しぶきが舞いあがる。
河越勢は槍の穂先を揃えたまま、一直線に敵へ突進した。
「うおおおおっ!!!」
「河越ッ!!」
槍の列が敵陣へ突き刺さる。
まるで雪原を切り裂く一条の光であった。
敵兵は悲鳴を上げ、列は瞬く間に崩れる。
だが私は満足しない。
(まだだ……河越勢はもっと強くなれる)
◆
敵兵が散り散りに逃げる中、
私は父へ手を伸ばす。
「……ちがう……
みぎ……ひだり……わかれる……」
「右と左に……分かれろというのか?」
私は強く頷く。
(ここで追撃の選択肢を“分断”すれば、
敗走した敵兵の再集結を防げる。
敵は山道を利用して再び襲撃してくる可能性がある)
父はすぐに命じた。
「右陣、丘へ! 左陣、川沿いを追え!
敵を分断し、残敵を許すな!!」
「応!!」
左右に走る二つの部隊が、敵の逃走路を完全に分断した。
しばらくして戻ってきた斥候が叫ぶ。
「敵、本陣に戻れず! ばらばらに崩れました!!」
「見事だ……!」
「なんと見事な追撃か……!」
(当然だ。
一つの勝利に満足していては戦は終わらない)
◆
小競り合いが終わり、
河越勢は森の中で軽く休息を取った。
父は私を抱き、深く息を吐いた。
「重綱……
そなたがいるだけで、河越勢は別の軍になったようだ」
(“いるだけ”ではなく、“指導している”が正しい)
私は父の鎧を掴みながら、小声で言った。
「……つぎ……
ならぶ……ひと……かわる……」
「隊列を……変えるのか?」
私は地面に指で簡単な図を書いた。
《二列縦隊》→《三列横隊》
(奥州の大地は狭い山道が多い。
だが平地では、横隊の方が“突撃力”が増す)
父はしばらく図を見つめたのち、口元に笑みを浮かべた。
「なるほど……
これは義家殿の軍略にも使えるやもしれぬ」
(その通り。
あなたは源氏の信頼を得るべきだ、父上。
それが後の源平合戦で河越家を守る力となる)
◆
帰還の道すがら、斥候が駆けてきた。
「報告! 義家殿より伝令!
本日の河越勢の働き、まさに天晴れなり!
“先陣の誉れ、揺るがず”とのこと!!」
兵たちの歓声が雪原を揺らした。
「重綱さまのおかげだ!」
「河越の名が、さらに高まるぞ!」
「武蔵国の中でも群を抜く武士団よ!」
父は私を高く掲げ、誇らしげに叫んだ。
「重綱!
そなたの目が、この軍を導いたのだ!」
(いいや、まだ序章だ父上。
河越家の未来は、ここからさらに鍛え上げねばならない)
◆
その夜、陣営に戻ると、
私は焚き火の前で静かに座った。
兵たちは皆満足げに眠り、
鍛冶師たちは槍の具合を確認し続け、
馬は疲れを癒して草を噛んでいた。
その光景の中で、私は考える。
(河越兵の強さは、技術にある。
だが技術だけでは限界がある。
次は、組織そのものを“可視化”しなければならない)
情報管理、行軍計画、兵站、食料保存、武具の整備――
このどれか一つでも欠ければ、軍は弱くなる。
(私は“軍政”という概念をこの時代に持ち込む)
遠い未来の戦争で当たり前となる
“数値で戦を管理する手法”を、この時代に。
雪が舞い落ち、静かな音を立てる。
私は乳母の腕の中で目を閉じ、
明日の改良案を列挙していった。
・行軍距離の算出法の導入
・分隊ごとの指揮系統整備
・馬の飼料改善
・槍の規格統一(長さ・重さ)
・簡易な“布製地図”の作成
・弓矢の束ね方の革新
(これらが整えば、河越勢は東国最強となる)
不思議と、不安はなかった。
河越家の未来は、確実に良い方向へ動き始めている。
――まだ私は赤子。
――だが、赤子に過ぎぬ私が“未来を変え始めた”。
その実感が、静かに胸の中で燃え続ける。
明日、また新しい革新を行うために。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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