第7話 矢の雨の中で
奥州戦線での先陣突破から数日後。
奥羽の寒風はさらに鋭さを増し、
雪と泥が混じり合う戦場は、兵たちの体力を容赦なく奪っていた。
だが、河越勢の士気は驚くほど高かった。
「一番槍は我らだ!」
「源義家殿が褒めておられたぞ!」
「これで武蔵国に名が響く!」
兵たちは疲労を押し隠し、誇りに満ちた顔をしている。
私は乳母に抱かれながら、その熱気を観察していた。
(士気の高さは軍の強さに直結する。
だが、慢心すれば命取りになる。
この戦はまだ終わっていない)
◆
その日の夕方、源義家の本陣から使者が到来した。
「重房殿! 義家殿より伝令!
敵の主力が丘陵の麓に布陣し直しました!
明朝、再び激戦が予想されます!」
父は静かに頷いた。
「承知した。河越勢は今夜より警戒を強めよ!」
家臣たちが散っていく中、父は私を見下ろす。
「重綱……明日、また戦だ。
そなたには見せたくはないが……
この戦は避けられぬ」
私は父の胸元を握り、首を振った。
「……みる……
しらべる……」
(戦場は“観測すべき情報”の宝庫だ。
風の流れ、地形、敵兵の配置、兵の疲労、
武器の弱点、戦術の穴――
これらをすべて把握し、未来の戦に活かさなければならない)
父は苦い笑みを浮かべた。
「……そなたの目は、我ら武士とは違うものを見ているようだ」
(違う。
私は千年先の軍事科学を視ている)
◆
翌朝。
空は暗く、雪雲が渦を巻いていた。
前衛からの報告が届く。
「敵弓隊、多数! 丘陵上よりこちらを狙っております!」
兵たちに緊張が走る。
「くそ……! あの高さから矢を降らせてくる気か!」
「馬が怯むぞ……!」
父が厳しい表情になり、家臣に命じた。
「盾持ちを前へ出せ! 防ぎきれるかどうか……」
(無理だ。
この地形、この風、この距離……
そのまま突撃すれば、河越勢は矢の雨に貫かれる)
私は乳母に抱かれたまま、父へ向かって手を伸ばした。
「……おと……さま……
や……かぜ……よむ……」
「風を……読む?」
父が眉をひそめる。
私は小さな指で敵陣を指し、続けて味方陣を指した。
風は、こちらから敵へ向かって吹いていた。
(この風向きなら、敵の矢は遠くまで飛ばない。
逆にこちらの矢は、意図以上に伸びる)
私は明確に告げる。
「……うて……
さきに……」
家臣たちがざわつく。
「赤子が……? 先に射よと……?」
「しかし敵は高所に……」
父は私の目を覗き込み、かすかに震えた声で言った。
「……重綱。風が我らに有利だと……そう言うのか?」
私は強く頷いた。
やがて父は決断する。
「弓隊、構えよ!!
敵より先に射かける!
風が我らに味方している!!!」
◆
弓隊が矢を番え、
一斉に弦を引く音が張りつめた空気の中に響く。
「放てぇぇぇ!!」
空へ解き放たれた矢が、風を受けて大きく伸びた。
雪混じりの風が後押しする。
矢は弧を描き――
丘陵上の敵弓隊に降り注いだ。
「ぐあっ!」
「何故だ!? 距離が……!」
「風だ! 風が逆だ!!」
敵陣が混乱する。
(これで敵の初撃を封じた。
次は――)
私は父の鎧を軽く叩いた。
「……いま……
まえ……でる……」
「突撃……だと?」
父は短く息を呑み、すぐに表情を引き締めた。
「全軍前進!! 槍隊、斜面下より駆け上がれ!!」
◆
河越勢が雪と泥を蹴散らし、斜面へ突撃していく。
敵は混乱が収まらぬうちに攻撃を受け、隊列が崩れる。
「押せぇぇ!!」
「河越! 河越!!」
槍隊が敵前衛を割り、騎馬武者がその隙を突く。
私は乳母にしがみつきながら、その流れを観測した。
(良い。
槍の長さ、突き上げの角度、
隊列の圧力……
すべて昨日までとは別物だ)
眼前で戦場が動いていく。
敵旗が倒れ、兵が逃げ惑い始めた。
◆
しかし――
そのとき、丘の奥から新たな敵が現れた。
「伏兵だ!!!」
「矢構え、第二陣!!」
突如として、矢の雨がこちらへ向けて降り注ぐ。
兵たちが叫び、盾を掲げるが――
敵は高所からの一斉射。
風向きは依然こちらに有利だが、
敵が距離を詰めれば無視できない威力になる。
(まずい……!
この距離、この角度…盾では間に合わない)
私は乳母の腕から父へ身を乗り出し、
必死に叫んだ。
「……した……!
まえ……いわ……かげ……!!」
「岩影……!?」
父は即座に判断し、叫ぶ。
「全軍、前方の岩陰へ退け!
散開せよ!! 密集するな!!!」
兵たちは斜面中腹の大岩を目指し、
左右へ散りながら走った。
次の瞬間――
敵の矢が激しく降り注ぎ、
地面に突き刺さる音が雷鳴のように響いた。
もし密集して突撃を続けていれば、
河越勢は壊滅していたであろう。
父は私を抱きしめ、震える声で呟く。
「……重綱……
そなたは……戦の神か……」
(違う。
私は未来から来た、ただの観測者だ。
だが父上……この言葉は、今後の河越家にとって重要になる)
◆
岩陰へ退避した河越勢は態勢を整え、
再び反撃へ移った。
敵の伏兵は、風向きを読み誤ったまま矢を撃ち続け、
やがて弾切れに近づく。
その瞬間――
父が手を挙げた。
「突撃――!!!」
河越勢が岩陰から一斉に飛び出す。
「うおおおおおおっ!!!」
「河越!!!」
槍の穂先がいくつも光を放ち、
敵陣へ一斉に突き刺さる。
敵は完全に崩壊した。
◆
夕刻――
戦場は雪と血の匂いで満ちていた。
だが勝利の実感が、河越勢の胸に温かい熱を灯している。
「二連勝だ……!」
「河越家、恐るべし……!」
父は私をそっと抱き、静かに言った。
「重綱……
そなたがいなければ、我らはここで終わっていた」
(まだ終わりではない。
奥州の戦は続く。
だが今日の勝利で、河越家は確実に歴史へ名を刻んだ)
私は父の胸の中で、遠くの雪空を見上げた。
(これでよい。
河越家は少しずつ、“滅亡の未来”から離れ始めている)
雪が静かに舞い落ちる中、
私はひとつの決意を胸に刻んだ。
――この戦を足がかりに、河越家を武蔵国最強にする。
――やがて訪れる源平の乱、その先の歴史をも動かすために。
奥州の冬空は灰色だったが、
その下で河越家の未来は確かに光を放ち始めていた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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