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千年の時を巡り、滅びの歴史を書き換える。 ――河越家は、もう二度と沈まない。  作者: 空識


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第3話 留守所総検校職

 父・重房の私への信頼は日々深まっていった。

 井戸の汚染を当てた“奇跡”を境に、私は家中の者たちから

 「神意を授かる御子」として扱われはじめたのだ。

 これは都合が良い。

 幼い私が改革を進めるには、“神秘性”という言い訳は欠かせない。


 しかし本当の戦いは、ここから始まる。

 武蔵国留守所総検校職――

 それは武士団の統括と民政、司法、軍事を担う職であり、

 父・重房がその実権を握っている。


 私は父の仕事場に初めて連れられた。



 留守所は、武蔵国の政治を司る中枢であった。

 大きくはないが、土間と板敷きが明確に区分され、

 中央には文書が積み上がり、

 周囲には記録官や下人が忙しなく動き回っている。


 赤子の私を抱いたまま、父は苦笑した。


「重綱、このような場所に連れて来ても分からぬだろうが……

 いずれお前が継ぐ職だ。慣れておけ」


(いいや、分かるどころか、改善すべき点が山ほど見える)


 私は父の胸の中で目を光らせた。


 まず文書整理――

 紙は貴重であるため“口頭伝達”が中心だが、

 そのせいで情報の損失と遅延が甚だしい。

 記録官が走り回るたびに、伝達の順番が狂っていた。


(情報の統一体系を作らなければならない)


 私は父の袖を軽く引いて、言った。


「……おと……さま。

 かみ……ならべる……ちがう。

 ひと……ならべる……ちがう」


 家臣たちがざわめく。


「重綱さまが……なにか申しておられる!」


 父は目を細め、私を見つめた。


「並べ方を変えよ、ということか……?」


(さすが父。察しが早い)


 私は小さく頷いた。


 それに応えて父は、記録官たちに命じた。


「文書箱と記録棚の位置を改めよ。

 未処理・処理済みを分け、明確に区画するのだ」


 記録官たちは慌てて動き、

 やがて留守所は見違えるように整理されていく。


(これで少しは情報の流れが改善される。

 いずれは“帳簿”と“案件管理簿”を導入したいところだ)



 翌日、父は私を馬で村へ連れて行った。

 武蔵国の地勢と村落構造を見せたいのだろう。


 村では農民たちが畝を作っていた。

 だが――問題が多すぎた。


(畝の向きが逆だ。

 これでは雨水が流れず、湿気がこもる。

 病気が蔓延する)


 農民たちが頭を下げる。


「重房さま、今年もよろしくお願いいたします」


 父は頷いたが、私は堪え切れず指を伸ばした。


「……あの……うね……かえる……」


「うね……?」

「畝を変える、ということか?」


 農民たちが顔を見合わせる。


 私は地面に掴んだ棒切れで、簡単な図を描いた。

 赤子の動きだから歪んでいるが、

 “斜め畝”の概念は伝わる。


 父が図を見て目を見開いた。


「……水のながれ、良くなる……

 そう言いたいのか、重綱?」


 私は頷く。


(正解だ父上。

 地形に合わせた“流線畝”を導入すれば、

 収量は5〜15%上がる)


 農民のひとりが震える声で言った。


「重房さま……!

 このお方は、本当に神童にございます……!」


(違う。私は千年分の知識を持つ転生者だ)


 だが説明するわけにもいかない。

 誤解は都合良く利用する。



 村を歩くうちに、私はさらに数十の改善点に気づいた。


・井戸の位置を高地へ移すべき

・堆肥を“土と混ぜる”工程が不十分

・家屋に換気口が足りない

・家畜小屋が密閉されすぎている

・稲の苗間隔が狭すぎて病弱


 そのすべてを、私は指差しと簡単な音で伝えた。

 重房は最初こそ困惑したが、

 次第に私の言葉を真剣に受け止めるようになっていった。


 彼は村長を呼びつける。


「重綱の指示を写し取り、村全体に伝えよ。

 これは“神授の農法”である」


(神授……まぁいい。結果さえ出れば何と呼ばれても構わない)



 その夜、私は家に戻ると、母が布団のそばに座っていた。

 母は私の額に手を当て、優しく囁いた。


「重綱……あなたは何を見ているの?

 どうしてそんなにたくさん知っているの?」


(母よ、あなたにはいつかすべてを話したいが……

 今はまだ早い)


 私は赤子らしく、母の指を握ることで答えた。



 翌朝、父が私の寝所に来た。

 顔に疲労と興奮が入り混じっていた。


「重綱……あの畝の件だがな」

「……?」


「農民たちが試したところ、

 水はけが格段に良くなったらしい。

 病の稲の割合も減ったという」


(よし、効果が早い。

 次は村の上下水道だな)


「重綱……お前は、この家を導くために生まれたのか……?」


 父の言葉は重い。

 だが私はその期待を裏切るつもりはない。


(導くどころか、私が“基準”になるのだ父上。

 武蔵国は、これから変わる)



 数日後、父は私を留守所に連れて行き、

 一つの文書を見せた。


「重綱。これは武蔵国全体の農政に関わる重要な記録だ。

 だが、わしにはどうも改善点が掴めぬ……

 もしや、そなたは何か気づくのではないかと思ってな」


(父上……。

 あなたはすでに私を“補佐役”として扱っているな?)


 私は文書を見つめ、そして、父に向かって言った。


「……みず……ながれ……かえる……」


 父は瞳を見開いた。


「やはりか! やはりそうか!」


(違う。そうではない。

 本来なら“河川改修”“治水”“湿地排水”と続けたいのだが……

 まあ、今はこれでいい)


 この瞬間、私は確信した。


 ――武蔵国の政治は、すでに私の掌に入りつつある。


 そして私は、静かに胸の奥で誓いを新たにした。


(ここから、河越家の千年繁栄計画を本格的に始める)


 父も民も気づかないまま、

 武蔵国の歴史は、確実に新しい道へと踏み出していた。

どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。


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