第3話 留守所総検校職
父・重房の私への信頼は日々深まっていった。
井戸の汚染を当てた“奇跡”を境に、私は家中の者たちから
「神意を授かる御子」として扱われはじめたのだ。
これは都合が良い。
幼い私が改革を進めるには、“神秘性”という言い訳は欠かせない。
しかし本当の戦いは、ここから始まる。
武蔵国留守所総検校職――
それは武士団の統括と民政、司法、軍事を担う職であり、
父・重房がその実権を握っている。
私は父の仕事場に初めて連れられた。
◆
留守所は、武蔵国の政治を司る中枢であった。
大きくはないが、土間と板敷きが明確に区分され、
中央には文書が積み上がり、
周囲には記録官や下人が忙しなく動き回っている。
赤子の私を抱いたまま、父は苦笑した。
「重綱、このような場所に連れて来ても分からぬだろうが……
いずれお前が継ぐ職だ。慣れておけ」
(いいや、分かるどころか、改善すべき点が山ほど見える)
私は父の胸の中で目を光らせた。
まず文書整理――
紙は貴重であるため“口頭伝達”が中心だが、
そのせいで情報の損失と遅延が甚だしい。
記録官が走り回るたびに、伝達の順番が狂っていた。
(情報の統一体系を作らなければならない)
私は父の袖を軽く引いて、言った。
「……おと……さま。
かみ……ならべる……ちがう。
ひと……ならべる……ちがう」
家臣たちがざわめく。
「重綱さまが……なにか申しておられる!」
父は目を細め、私を見つめた。
「並べ方を変えよ、ということか……?」
(さすが父。察しが早い)
私は小さく頷いた。
それに応えて父は、記録官たちに命じた。
「文書箱と記録棚の位置を改めよ。
未処理・処理済みを分け、明確に区画するのだ」
記録官たちは慌てて動き、
やがて留守所は見違えるように整理されていく。
(これで少しは情報の流れが改善される。
いずれは“帳簿”と“案件管理簿”を導入したいところだ)
◆
翌日、父は私を馬で村へ連れて行った。
武蔵国の地勢と村落構造を見せたいのだろう。
村では農民たちが畝を作っていた。
だが――問題が多すぎた。
(畝の向きが逆だ。
これでは雨水が流れず、湿気がこもる。
病気が蔓延する)
農民たちが頭を下げる。
「重房さま、今年もよろしくお願いいたします」
父は頷いたが、私は堪え切れず指を伸ばした。
「……あの……うね……かえる……」
「うね……?」
「畝を変える、ということか?」
農民たちが顔を見合わせる。
私は地面に掴んだ棒切れで、簡単な図を描いた。
赤子の動きだから歪んでいるが、
“斜め畝”の概念は伝わる。
父が図を見て目を見開いた。
「……水のながれ、良くなる……
そう言いたいのか、重綱?」
私は頷く。
(正解だ父上。
地形に合わせた“流線畝”を導入すれば、
収量は5〜15%上がる)
農民のひとりが震える声で言った。
「重房さま……!
このお方は、本当に神童にございます……!」
(違う。私は千年分の知識を持つ転生者だ)
だが説明するわけにもいかない。
誤解は都合良く利用する。
◆
村を歩くうちに、私はさらに数十の改善点に気づいた。
・井戸の位置を高地へ移すべき
・堆肥を“土と混ぜる”工程が不十分
・家屋に換気口が足りない
・家畜小屋が密閉されすぎている
・稲の苗間隔が狭すぎて病弱
そのすべてを、私は指差しと簡単な音で伝えた。
重房は最初こそ困惑したが、
次第に私の言葉を真剣に受け止めるようになっていった。
彼は村長を呼びつける。
「重綱の指示を写し取り、村全体に伝えよ。
これは“神授の農法”である」
(神授……まぁいい。結果さえ出れば何と呼ばれても構わない)
◆
その夜、私は家に戻ると、母が布団のそばに座っていた。
母は私の額に手を当て、優しく囁いた。
「重綱……あなたは何を見ているの?
どうしてそんなにたくさん知っているの?」
(母よ、あなたにはいつかすべてを話したいが……
今はまだ早い)
私は赤子らしく、母の指を握ることで答えた。
◆
翌朝、父が私の寝所に来た。
顔に疲労と興奮が入り混じっていた。
「重綱……あの畝の件だがな」
「……?」
「農民たちが試したところ、
水はけが格段に良くなったらしい。
病の稲の割合も減ったという」
(よし、効果が早い。
次は村の上下水道だな)
「重綱……お前は、この家を導くために生まれたのか……?」
父の言葉は重い。
だが私はその期待を裏切るつもりはない。
(導くどころか、私が“基準”になるのだ父上。
武蔵国は、これから変わる)
◆
数日後、父は私を留守所に連れて行き、
一つの文書を見せた。
「重綱。これは武蔵国全体の農政に関わる重要な記録だ。
だが、わしにはどうも改善点が掴めぬ……
もしや、そなたは何か気づくのではないかと思ってな」
(父上……。
あなたはすでに私を“補佐役”として扱っているな?)
私は文書を見つめ、そして、父に向かって言った。
「……みず……ながれ……かえる……」
父は瞳を見開いた。
「やはりか! やはりそうか!」
(違う。そうではない。
本来なら“河川改修”“治水”“湿地排水”と続けたいのだが……
まあ、今はこれでいい)
この瞬間、私は確信した。
――武蔵国の政治は、すでに私の掌に入りつつある。
そして私は、静かに胸の奥で誓いを新たにした。
(ここから、河越家の千年繁栄計画を本格的に始める)
父も民も気づかないまま、
武蔵国の歴史は、確実に新しい道へと踏み出していた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
ブックマーク・ポイント⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️・リアクション・感想など、励みになります!




