第28話 変わり始めた日常 ――五歳から七歳――
五つになった重綱は、自分の立ち位置を正確に理解していた。
幼い。
だが、無力ではない。
声はまだ高く、背も低い。大人の視線は自然と頭上を越えていく。だがその「見落とされる位置」こそが、重綱にとっては都合がよかった。誰もが油断し、誰もが本音を漏らす。
――人は、守られている時ほど、周囲を見なくなる。
それを、重綱は学び始めていた。
◆
城下の暮らしは、確実に変わりつつあった。
病は減り、腹を下す子供の数も目に見えて少なくなった。井戸水の煮沸は「決まり」として根づき、厠の周りに石灰を撒くことも当たり前になる。湯屋の利用は増え、皮膚病や目の病を訴える者が減った。
だが、変化はそれだけではない。
道だ。
ぬかるみやすかった小路は、石の配置が変わり、水が溜まりにくくなった。雨の後でも足を取られにくい。荷車が通れる日が増え、行商の足が止まりにくくなった。
大人たちは口々に言う。
「最近、道がいいな」
「誰が直したってわけでもないのに」
「河越は、住みやすくなった」
誰も「原因」を知らない。
だが、結果は確かだ。
重綱は縁側に座り、城下を眺めながら小さく息を吐いた。
――まだ、足りない。
◆
六歳になった頃、変化に最初に気づいたのは家臣たちだった。
「若様」
ある日、父の側近である老臣が声をかけてきた。
「城下の整い方が、あまりにも早い」
責める口調ではない。疑問と警戒が混じった声だ。
「人の手が足りぬはずの所まで、行き届いている。
偶然にしては……」
重綱は、少し考える素振りを見せてから答えた。
「みんな、こまってたから」
「……は?」
「こまってると、よくなるとこ、すぐわかる」
子供らしい言い方。
だが、内容は的を射ている。
老臣は、しばらく重綱を見つめ、やがて苦笑した。
「なるほど。若様は、人を見る目がある」
それ以上、踏み込まなかった。
踏み込めば、答えが返ってこないと理解したからだ。
――これでいい。
重綱は、内心で線を引く。
説明できる部分だけを渡す。
説明できない部分は、渡さない。
◆
七つを迎える頃、重綱は「危機の芽」をはっきりと捉え始めていた。
河越領は豊かになりつつある。
豊かになる土地は、必ず狙われる。
境の村で、見慣れない行商が増えた。
宿に泊まらず、夜明け前に去る者。
荷の中身を見せたがらない者。
重綱は、城下を歩きながら、それらを一人ひとり確認する。
足取り。
目線。
荷の重さ。
――探っている。
その確信が、胸に落ちた瞬間、重綱は迷わなかった。
自分の力を、**はっきりと敵対に向けて使う**。
個人使用。制約なし。
見えない「圧」を、さりげなく街道に流す。人を押し潰すほどではない。だが、進む気を削ぐ程度には十分だ。足が重くなり、気力が萎え、自然と引き返したくなる。
実際、二日もすると噂が立った。
「河越の道は、妙に疲れる」
「居心地が悪い」
それでいい。
敵は、居心地のいい土地に戻る。
居心地の悪い土地からは、自然と離れる。
血も、悲鳴も、必要ない。
◆
父は、変化を見逃さなかった。
「最近、境が静かだ」
「……はい」
「何か、したか」
重綱は、少しだけ笑った。
「なにも、わるいことは、してない」
父は、その笑みの意味を深くは追わなかった。追えば、答えが自分の理解を超えると感じたからだ。
ただ、ひとつだけ言った。
「ならば、それでいい」
それは、全面的な信頼の言葉だった。
◆
重綱は、自分の中で整理する。
守るためには、三つが要る。
一つ、暮らし。
二つ、情報。
三つ、力。
暮らしが整えば、不満は減る。
情報があれば、先手が打てる。
力があれば、最悪を潰せる。
そして、自分は――そのすべてを持っている。
使いどころを、間違えなければいい。
重綱は夕暮れの城下を見下ろした。煙がまっすぐ上がり、子供の笑い声が響く。今日も、人は普通に生きている。
その「普通」を守るためなら、どんな手段も選ぶ。
七歳の少年は、もう迷っていなかった。
河越は、変わり始めている。
そしてその変化は、まだ誰にも止められない。
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