第16話 武蔵国の地勢と政治構造の観測
奥州戦という極寒の戦場を離れ、
河越勢が武蔵国の地へ帰り着いたのは、
雪解けの兆しがわずかに見える早春であった。
だが、私――重綱の胸中には、
春の気配とは真逆の、冷たく重い“揺らぎ”が残っていた。
(別の重綱……未来修正派……
奴らはこの武蔵国にも、必ず介入してくる)
奥州での戦いに比べれば、
武蔵国は穏やかな大地。
しかしその穏やかさは、
武力や政治が複雑に絡む“底無しの泥沼”でもある。
◆
河越荘へ入ると、兵たちは歓声を上げた。
「帰ったぞーー!!」
「河越の土の匂いよ!」
「重綱さま、我ら戻りましたぞ!」
父・重房は家中を集め、
凱旋の礼を簡素に終えた後すぐに私を抱き上げた。
「重綱……戦場での働きは見事だった。
だが、ここからが本当の難しさよ」
戦場よりも難しい――
そう、政治だ。
私は父の胸に手を置き、周囲の“力”を観測した。
荘内の村人、荘官、寺社の使い、
隣接する豪族の密使……
すべてが河越家の帰還を“計るように”見ていた。
(力の空白……
平家政権の影響、荘園の権力構造、盗賊化した元武士……
この土地は、戦場以上に複雑だ)
◆
帰還した翌日、
父は主要家臣を屋敷に集めた。
「奥州での武功により、河越家は勢力を増した。
しかし……武蔵国の情勢は一筋縄ではいかぬ」
そう言って父は、縄で枠組まれた地図を広げた。
河や街道、荘園、寺社、豪族の館が細かく記されている。
私はそれを見て、
未来知識が即座に“問題点”を描き出した。
(治水不足……
洪水で道路が寸断される構造……
年貢の流れが悪い原因……
寺社領の行路支配……
軍事の中核が分散……全部改善できる)
しかし、幼児の私は言葉が足りない。
そこで私は、父の指を握り、
地図のある一点を強く指した。
「……みず……ながれる……
ここ……わるい……」
「ここが悪い……?」
家臣たちは顔を見合わせた。
「まさか、川の曲がりか?」
「いや、この付近は毎年田畑が流されておるが……」
(やはりか……未来の視点で見れば答えは一つだ)
私は続けて言った。
「……みち……つくる……
みず……かわす……
こめ……ふえる……」
家臣たちがざわめいた。
「治水……道……米……?」
「まさか、奥州でも重綱さまは……」
「こんな幼子にそこまで見えるのか……!」
父は黙って私の指を見つめ、
深く頷いた。
「……重綱が言うなら、やってみる価値はある。
治水工を呼べ。川の流れを改修する!」
こうして、河越家で初となる
**“未来型治水計画”** が始動した。
◆
その日の午後。
私は乳母とともに荘園の見回りへ出た。
ぬかるむ農道、崩れかけた橋、
水が溜まりすぎる田。
(この時代の農地はすべてが非効率だ……
少し水の流れを操作するだけで収量は倍になる)
私は小石を拾い、
田の畦に置いて流れを示した。
「……ここ……きる……
こっち……ながす……」
村の者たちは茫然としながらも、
幼い私が示す“水路案”に見入っていた。
「坊ちゃんのおっしゃる通りにすれば……
田が乾くどころか、均しやすくなるのでは……?」
「まるで……水の心が読めるようだ……」
(読んでいるのは“水の心”ではない。
**流量と傾斜の科学**だ)
◆
その帰り道。
私はふと周囲の空気に違和感を覚えた。
(……揺らぎ……?
いや、これは……尾行……)
別重綱派の残滓に似た波動が、林の陰に潜んでいた。
私は乳母の肩を叩き、小さく囁く。
「……ひと……みてる……」
「え……?」
乳母が振り返った瞬間、
林の奥の影が風のように走り去った。
黒装束の残り香が微かに揺れる。
(やはり……ここ武蔵国にも潜んでいる)
◆
屋敷に戻ると、父が険しい顔で待っていた。
「重綱……お前を尾行する者がいたと報告があった。
お前には、もう“奥州の敵”だけではない。
武蔵の地にも影が蠢いている」
私は静かに頷いた。
(分かってる……
あの連中の目的は“私の未来改変を妨げること”。
ここからが本当の戦いだ)
だが、私は幼い声で簡潔に答えた。
「……まもる……
かわごえ……」
父の手が震えた。
「重綱……
お前は……どこまで見えているのだ……?」
(どこまで?
――未来全部だ)
◆
夜更け。
私は燭台の明かりを眺めながら、静かに呟いた。
(治水、道、農業、寺社の権力……
武蔵国の“構造”を変えれば、
河越家の地盤は揺るぎないものになる)
(そして、ここを基点に
頼朝の時代、鎌倉の時代、室町の時代を動かす――)
胸の奥で“揺らぎ”が波打つ。
(だが、あちら側――未来修正派も、
必ずこの武蔵国に介入してくる)
重綱は静かに目を閉じた。
**――未来を作るための戦いは、
ここ武蔵国から本格的に始まる。**
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