第10話 戦場の観測者
奥州の雪は次第に深さを増し、
森には凍てつく静けさが満ちていた。
しかしその静寂の下、戦は確実に進行し、
河越勢は前線の重要な戦力として再配置されつつあった。
私は相変わらず乳母の背に負われながら、
行軍の列の中で周囲を観察している。
(積雪は昨日より七寸深い……
このまま進めば、馬の脚力が先に限界を迎える。
雪上での行軍効率は、地表の凍結具合と勾配で決まる)
風向き、雪の密度、兵の姿勢、馬の息、
敵が潜む気配、地形のわずかな起伏――
私はすべてを観測し、頭の中で地図に落としていた。
この時代の武士は“体感”で判断する。
だが私は違う。
(科学で判断する。それが私の仕事だ)
◆
行軍中、前方から斥候が駆け戻ってきた。
「報告! この先に敵の陣営あり!
しかし妙です……槍を立ててはいますが、人数が少なすぎる!」
「伏兵か……?」
「雪の中で待ち伏せとは厄介だぞ……」
家臣たちの声がざわつく中、父は私をちらと見る。
「重綱……そなたは、どう思う?」
(ありがたい父上……聞くべき相手は正しい)
私は冷えた空気を吸い、
敵の陣地方向に眼を細めた。
(雪煙の上がり方……足跡の密度……
風下に漂う“血の匂い”……
これは……)
私は小さな手で父の鎧をつかんだ。
「……ちがう……
おとり……」
「囮……!」
父は即座に判断し、家臣たちへ叫んだ。
「全軍停止!!
陣形を乱すな! 敵は囮を置いて後方に伏兵を潜ませている!」
家臣たちが驚愕に目を見開く。
「まさか……あのわずかな敵が囮……?」
「重綱さまがそう申されるのだ! 従え!」
(そう、これは典型的な“引き込んで包囲する罠”。
だが、まだ根が深い。
この伏兵は二段構えだ……!)
◆
私は続けて、斜面の方向を指差した。
「……うえ……
みえない……」
「上……?」
父はすぐに斥候を呼んだ。
「斥候!
斜面上方を調べよ!」
数人の斥候が雪の中へ消えていき、
戻ってきたときには顔が青ざめていた。
「報告!
敵、斜面の上に多数潜伏!
矢を放つ構えです!!」
「なんと……!」
「二段伏兵とは……!」
父は怒号のように命じた。
「すぐに陣形を組み直せ! 盾持ちは前列!
弓隊は斜面上方を牽制!」
私は続けて、雪を掴み握りしめ、父へ見せた。
「……すべる……
した……」
「滑る……?」
(この斜面、雪が薄くて下が凍っている……
敵が矢を放とうとしているが、
ここで突撃してくれば……)
私は短く言った。
「……くる……おちる……」
父は即座に理解した。
「敵は斜面を使って、勢いをつけて突撃するつもりだな……!
だが雪下は氷……足が滑る!!」
◆
そう、敵は“突撃で雪崩のように押しつぶす”戦法を取る。
だが、この斜面は薄雪の下が氷になっている。
滑落して隊列が崩壊するのは敵の方だ。
私は父へ手を伸ばし、最後の指示を出す。
「……まえ……
いし……まく……」
「石を……撒けと?」
父は迷わず命じた。
「斥候隊!
斜面中腹に石を撒け!
氷を砕け! 足場を壊せ!!」
家臣たちが雪をかきわけて石を運び、
斜面中腹へ散らばった石を投げ込み砕いていく。
◆
間もなく、斜面上から敵の号令が響いた。
「突撃ーーーッ!!」
敵兵が一斉に駆け下りてきた。
だが――
足を踏み出した瞬間、石の破片が滑走を阻害し、
彼らは凍った斜面に足を取られた。
「うおっ!?」「足が……!」
「ぐああっ!!」
「滑る!! 止まれ――ッ!」
敵兵の列は一斉に崩れ、
滑落する者が次々と雪の中へ転がり落ちていく。
下から弓隊が放った矢が、倒れた敵を正確に貫いた。
「行け! 今だ!!」
「河越!! 押し返せ!!」
河越勢が突撃し、
滑落して混乱した敵兵を完全に蹴散らした。
◆
戦が終わると、
兵たちは雪上に腰を下ろし、震えながらも興奮に満ちていた。
「なんという戦いだ……」
「斜面を利用した罠だったのに、逆に敵が飲まれた……」
「重綱さまのおかげだ……!」
父は私を抱きしめ、しばらく何も言わなかった。
やがて、静かに言う。
「重綱……
そなたは、戦場をすべて見ていたのだな」
(見ているだけではない。
私は“未来から逆算している”。
この戦場の物理条件、兵たちの状態、風向き――
すべてを計算し、最適解を導いている)
◆
しかしそのとき。
私はふと、胸の奥に奇妙なざわめきを感じた。
(……これは……)
雪の向こうから、
わずかな“量子の揺らぎ”が流れ込んでくるような感覚。
初めてのことだった。
その揺らぎは、私以外の“何か”が――
この戦場を観測しているかのようだった。
(まさか……
この時代に“別の観測者”……?)
胸の奥で、遠い未来の記憶が燻る。
――輪廻の演算には、必ず干渉者が存在する――
その言葉が、過去の重綱たちの記憶から浮かび上がる。
(……つまり、これは……
河越家を脅かす“未来の敵”の存在……?)
私は雪空を見上げ、静かに息を吐いた。
父が不審そうに覗き込む。
「重綱……どうした?」
私は首を振り、短く言った。
「……まだ……
ここ……くる……」
「まだ来る……?」
父は驚き、すぐに家臣を集めた。
「警戒を強めよ!
重綱が“敵がまだ来る”と申した!」
「はっ!」
(違う……
この敵は“この場の敵ではない”。
もっと大きな、もっと深い敵……
輪廻そのものを脅かす観測者だ)
だが、その正体が何なのかはまだ見えない。
◆
私は深く息を吸い込み、心の中で呟く。
(河越家の未来は順調に伸びている。
しかし同時に、“別の力”も動き始めている)
焚き火がぱちりと弾ける。
白い雪の中、私は確かに感じた。
――これからが本番だ。
――歴史の流れを変えるだけでは足りない。
――輪廻の敵と戦う必要がある。
幼い身では抱えきれないほどの使命感が、
静かに私の胸を燃やしていた。
どうぞ気軽に読んでいただければ幸いです。
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